(以下の文章は、2004年4月「琉球新報」に掲載されたものです)
血まみれの毛布、頭皮がついたままの女性の髪、引き千切られミイラ化した女性の足の一部・・・。米軍の攻撃が最も激しかったイラク・ファルージャのジュラン地区で、避難していた親族31人が空爆によって殺害された現場の瓦礫の上に、それらが無造作に置かれていた。郊外の農家では、中庭で寝ていた母親と4人の幼児たちがミサイルの直撃を受けて即死、飛び散ったその肉片と血が近くの壁一面にたたきつけられこびりついていた。住民の死者731人、負傷者2847人(総合病院の統計)を出した米軍のファルージャ侵攻開始からこの4月5日でちょうど1年になる。
その侵攻のさなかにイラクでは3人の日本人人質事件が起こり、国内のテレビや新聞の報道は連日、そのニュースで埋まった。救命の叫びは市民運動にまで発展し、中東の衛星放送「アルジャジーラ」を通してイラクにまで伝えられた。しかし同時期、ファルージャで700人を超える住民が殺戮されていることへの抗議の声は、国内ではほとんど起こらなかった。当時、湾岸地域に滞在していたある中東専門家は、「ファルージャを黙認し、日本人3人の命だけを助けてくださいというのは、現地の人々や周辺のアラブ人には受け入れられない」と日本に伝えてきた。
なぜ私たちは日本人3人の生命にはあれほど敏感なのに、その何百倍もの人々の生命がファルージャで失われていることにこうも無関心でありえるのか。どうして日本人の生命の“重さ”と同じ程度に、イラク人の命の“重さ”を感じとれないのだろうか。私たちは、遠く離れた人々を同じ人間だと感じ取り、その痛みを“想像する力”を失ってはいまいか。「国際人」という言葉に、私たちはまっさきに「英語やフランス語を自由に操り、ビジネスや外交で欧米人と対等に渡り合う日本人」を思い浮かべる。しかし私は「外国語が堪能であること」「欧米人に近づくこと」が「国際人」であるための必要十分条件かのような考え方に違和感を抱いている。私はそれよりも、言葉など文化や風習、肌の色も違い、地理的にも遠く離れた異郷の人々を“自分と同じ人間”だと感じ取る“感性”と“想像力”こそが“国際人”の必要条件だと思う。
昨年秋以来、私は、ファルージャの被害実態を記録したビデオを全国各地で上映してきた。初めて目にするその凄まじい映像に会場の人たちの多くが衝撃を受ける。中でも最も強い反応が返ってきたのは、2月末、沖縄宜野湾市での講演会場だった。沖縄戦を体験した元「ひめゆり学徒」の女性は「まさに私たちが体験した戦争そのものです。当時をまざまざと思い出してしまいました」と語った。多くの一般住民が犠牲となった沖縄戦、そして今なお広大な米軍基地を背負わされ、アメリカが引き起こす戦争に直接関わらされる沖縄の住民だからこそ、ファルージャ侵攻を“遠い国での出来事”として看過できないにちがいない。実際、4月と11月のファルージャ侵攻を行った米軍の海兵隊の一部は沖縄から出陣している。
自らの“痛み”に埋没することなく、遠いイラクの人々の“痛み”にも共感する“感性”を持ち続ける沖縄の人たちに、私は深く感動した。
2004年4月