(以下の文章は、2005年8月『琉球新報』に掲載されたものです)
ガザ入植地撤退が始まる1週間ほど前、ユダヤ人女性に案内されて、入植地側からエジプト国境付近を訪ねた。国境沿いに幅100メートルほどの空き地が帯状に続いている。「この国境にパレスチナ人のテロリストたちがトンネルを掘って武器を密輸しています」「あの近くの家からテロリストたちがいつも攻撃してくるんです」。300メートルほどしか離れていないパレスチナ人の建物を指しながら説明した。あの帯状の空き地に、3千を超すパレスチナ人の家が立ち並んでいたこと、その家々が突然、イスラエル軍のブルドーザーや戦車によって破壊され、3万5千人の住民が住処を失ったこと、その家屋破壊にイスラエル側からの補償はまったくないことには、もちろん彼女は言及しなかった。
3年半前、入植地に隣接するパレスチナ難民キャンプで、36軒の家が1夜にしてイスラエル軍に破壊された現場を取材したことがある。その直後、隣の入植地住民の反応を訊くと、全員が「テロリストの攻撃に対する反撃であり、あくまでも自己防衛のため」と主張した。罪悪感の片鱗もなかった。
「パレスチナ人を憎んでいるわけではないですよ。入植地に働きに来る彼らとは友人のように親しいですよ」とある入植者はいう。しかし、撤退直前までそこで働いていた約3000人のパレスチナ人労働者たちの賃金が、イスラエル最低賃金の3分の1以下であり、農業主たちがその安い労働力で莫大な利益を上げてきたことは語らない。
「この土地は、神がユダヤ人に与えた土地です。『パレスチナ人』など120年ほど前までは存在しなかったのです」と入植者の1人がまくし立てた。「彼らは、ユダヤ人がこの地に戻ってきてから、仕事を求めてやってきた移住者たちですよ。この土地をパレスチナ人と分かち合う?そんなつもりはありませんよ。彼らには他に22カ国も同じアラブ人の国があるのですから」
彼らは“宗教”という鎧(よろい)を心にまとうことで、パレスチナ人の土地を奪い占領しているという自覚が麻痺し、後ろめたさや罪悪感をまったく抱かない。それどころか、「自分たちは、多くの犠牲を払ってパレスチナ人のテロからイスラエルを死守するため、最前線の“砦”となっている」という“被害者”のような意識さえ抱いている。しかし一般のイスラエル国民は冷静だった。「ガザの入植地はイスラエルの安全のために不可欠」という入植者たちの主張を、あるエルサレム市民は、「イスラエルの安全のためなら、中東全体を支配しなければいけない。でもそれは不可能です。パレスチナ人と共存するしかないのです」と一蹴した。テルアビブ、エルサレムの両都市で私が街頭インタビューした29人の市民のうち、26人がガザ入植地撤去に賛成だった。
一方、シャロン政権は、撤退を拒否して泣き叫ぶ入植者たちの姿を世界のメディアに大きく報道させることで、「イスラエルは“和平”のためにこれほど大きな犠牲を払っている」というイメージ作りに成功した。そのあまりに見事な演出効果は、政府と入植者たちとの間に暗黙の“シナリオ”“協力関係”があったのではないかと疑ってしまうほどだ。ジャーナリストは今、この「入植地撤退」劇の真の狙いと、パレスチナ人住民への影響をこそ取材・報道していかなければならない。