Webコラム

ユダヤ人入植地撤去 ──「占領に幕」といえるのか

(以下の文章は、2005年9月3日『朝日新聞』紙上「私の視点」に掲載されたものです)

 「この土地は神から私たちユダヤ人に与えられたものよ。どうして出ていかなければならないの!」「どうしてユダヤ人が同じユダヤ人を追い出すの!」。大勢の兵士と警官に力ずくで建物から退去させられる若い母親が幼子を抱きしめながら泣き叫ぶ。心を動かされた兵士たちが入植者と抱き合って共に泣く・・・・。強制撤去が始まった8月17日から、CNNやBBCなど世界のテレビメディアは、悲嘆にくれる入植者たちの姿を連日トップニュースで伝えた。この入植地撤退の報道のために世界から4000人近い報道陣がイスラエルに押し寄せたという。イスラエル当局もインターネット設備の整ったプレスセンターを設け、英語の堪能なイスラエル軍将校たちを配備し、国内外の報道陣を手厚く支援した。そこには「入植者や多くの国民の強い抵抗を押し切って、シャロン政権は“和平”のためにこれほどの犠牲を払っていることを全世界に伝えてほしい」という政府の意図が見え隠れする。
 果たして世界の多くのメディアはイスラエル政府の期待に見事に応えた。強制退去の現場から実況中継するBBCのキャスターは、興奮のあまり、「今、ガザ地区の占領が幕を閉じようとしています」と伝えた。しかし入植地撤退で「ガザ地区の占領」は終わるのか。ガザ地区にほんとうに“平和”が訪れるのか。入植地の強制撤去が進むなか、私はガザ地区のパレスチナ人地区に入った。
 ユダヤ人入植地と隣接するハンユニス難民キャンプの住民は、長年、イスラエル軍による銃砲撃と家屋破壊にさらされて続けてきた。入植地と向かい合う家は一部をブルドーザーに破壊され、正面の壁は銃痕で蜂の巣のようになっている。家の主人は、入植地撤退によって、もう家の破壊や銃撃に脅えることなく、自由に道路を歩けるようになると安堵し、撤退を心から喜んでいる。
 南部ハンユニス市のアイスクリーム工場は1ヵ月前に休業に追い込まれた。5年前のインティファーダ勃発以後、いっそう強化されたイスラエルのガザ地区封鎖政策によって製品を自由にヨルダン川西岸やイスラエルに輸出が困難になったからだ。以前は毎日6台のトラックで出荷していたが、休業前には週に2,3回に激減した。経営者は入植地撤退後、ガザ地区と外部との物資輸送が緩和され、工場が再開できることを願っている。
 イスラエルの輸出業者を通して欧州に生花を輸出してきた農民も、長年の封鎖で、生花をイスラエルへ運び出せず、大きな赤字を抱えてきた。そんな農民たちにとって、入植地撤退は、事態が好転する絶好の契機にみえる。「今より、よくなるはずだ」とその農民も撤退後の“好転”に賭ける。
 このような住民の期待感は、12年前、PLOとイスラエルが初めて和解した「オスロ合意」直後の雰囲気に似ている。長年の民衆蜂起も行き詰まり、生活困窮に追い込まれていた住民は、オスロ合意によって、“占領”が終わり、自由と繁栄の時代が到来することを夢見た。しかし実態は「占領の合法化でしかなかった」(地元有識者)オスロ合意への失望と怒りは、7年後、第2次インティファーダとなって爆発した。
 ガザ在住の人権活動家、ラジ・スラーニ弁護士は、「今後、ガザ地区の封鎖状態は一層強化され、その経済は窒息状態になる。入植地撤退によってガザ地区は“小さな牢獄”から“大きな牢獄”に変わるだけ」と悲観的だ。入植地撤退によって、入植者やそれを守るイスラエル軍がいなくなることは「占領が終わる」ことを意味しない。真綿で首を絞めるように、一層強化される封鎖状態の中で住民たちの生活が窒息状態に追いこまれること──目に見えにくいが、これも“占領”なのだ。
 数千人の海外の報道陣は、センセーショナルな強制退去の山場が過ぎると、潮が引くように去っていった。しかし、「入植地撤退によってほうとうにパレスチナ人に平和が訪れるのか」という取材と検証は、これから始まるのだ。