(以下の文章は、2005年9月23日『信濃毎日』新聞に掲載されたものです)
9月初めイスラム教休日の金曜日の昼、モスクのスピーカーから礼拝の祈りがまだ流れているさなか、ヨルダン川西岸(以後、「西岸」)のビリーン村の通りは、完全武装したイスラエル軍兵士にふさがれた。パレスチナ人のこの村の農地53%を奪う “分離壁”建設に反対する住民やイスラエル人支援者たちによる毎週金曜日の礼拝直後の恒例デモを封じるためだ。礼拝が終りモスクから出てきた村人たちがデモ行進に移ろうとした途端、群集に向かって兵士たちが催涙弾を放ち始めた。村の青年たちが投石で応じると、イスラエル兵たちはゴム弾と実弾の銃撃を浴びせる。たちこめる催涙ガスの白煙、路上に広がる無数の石、耳をつんざく銃撃音。いつもは静寂な村が、戦場さながらの光景に一変した。いったん衝突が収まり、村人やイスラエル人平和運動家たちが村はずれの壁建設の現場近くへデモ行進すると、待ち構えていた兵士たちが、ヘブライ語で激しく抗議するイスラエル人活動家たちを引きずり出して、数人で囲み、殴り蹴るの激しい暴行を加える。さながら“リンチ”だ。西岸では、土地収奪に抗議するための平和的なデモさえも、イスラエル当局は許さないのだ。
私は、2週間ほど前まで連日テレビで伝えらたガザ入植地の強制退去のシーンを思い起こしていた。丸腰の兵士や警官たちが、退去を拒む入植者や支援者たちを辛抱強く説得し、時には抱き合って共に泣く。泣き叫び、従わない者たちは数人の警官たちが手足を抱えバスまで運ぶ。当局側の暴力とは無縁の、冷静で自制の効いた対応、それはビリーン村でのイスラエル軍兵士の行動とは対極の姿だった。世界中のテレビニュースが、そんな入植者たちの「痛々しいシーン」を延々と流すことで、イスラエル政府は「多くの国民や入植者たちの抵抗を押し切り、これほどの犠牲を払って、和平を推進しようとしている」というイメージ作りに成功した。そして8000人ほどの入植者たちの強制撤去を演出することで、当局は、およそ20万人の入植者たちが西岸に残り続けることへの国際的な非難をかわすことに成功したかにも見える。
しかし現実には、この「ガザ入植地撤退」劇の陰で、ヨルダン川西岸では、「テロを防ぐため」という名目の壁建設によってパレスチナ人の土地をさらに奪い、隣接する入植地の拡張の準備が着々と進められている。また既存の巨大な入植地をイスラエル側に取り込むために、分離壁は西岸側に深く食い込み、周辺のパレスチナ人の村々を西岸から切り離し孤立させていく。さらに点在する入植地をつなぐユダヤ人専用道路を西岸に縦横に走らせてパレスチナ人社会をずたずたに分断し、地域の一体性を奪っていく。
一方、エルサレム周辺に点在する入植地は、左右に拡張されつながり、点から線となってエルサレムを取り囲む。さらに周辺を壁で囲い込むとで、エルサレムと西岸のパレスチナ社会とのつながりを断ち切ってしまう。エルサレム内のパレスチナ人居住区にもユダヤ人入植地を次々と建設することでパレスチナ人人口と地区の拡張を抑え、“エルサレムのユダヤ化”を着々と進めていく。
他方、ガザ地区の封鎖政策を強めることでヨルダン川西岸との住民や物資の往来を遮断し、両地区の物理的、精神的な紐帯を断ち切っていく。つまりイスラエルは、「ガザ地区とヨルダン川西岸に東エルサレムを首都とするパレスチナ国家を建設する」というパレスチナ人の目標の基盤を着実に切り崩しつつあるのだ。為政者たちが声高かに叫ぶ「平和」という言葉や、メディアが作り出す「平和のイメージ」に惑わされてはいけない。「ガザ入植地撤退後は、西岸やエルサレムのユダヤ化、難民の帰還、今後も続く“占領”について、世界はもう語らなくなる」とガザのある有識者は懸念する。撤退後こそ、圧殺される現場住民たちの“声なき叫び”に、耳を澄まし続けなければならないのだ。