(以下の文章は、2005年12月岩波書店月刊『世界』に掲載されたものです)
「38年間のガザ占領の終結」「和平への大きな前進」と世界のメディアの脚光を浴びたガザ地区からのユダヤ人入植地撤退劇。だが、あれから3ヵ月近くが経過しても、パレスチナ・イスラエル情勢に「和平」の兆しはまったく見えてこない。いったいあの入植地撤退は、パレスチナ人にとって何だったのか。なぜ「和平への第一歩」とならなくなったのか。その後、ガザ地区はどうなったのか。
それらの疑問を、パレスチナを代表するオピニオン・リーダー、ラジ・スラーニ弁護士(52歳)に8月と10月、2度にわたるインタビューで問うた。人権活動家として国際的にその名を知られるスラーニは、1993年、PLOとイスラエル政府の「オスロ合意」が決して“占領の終結”につながらず、やがて民衆の失望と怒りがいつか爆発すると予言し続けてきた。果たして、その予想は、「合意」から7年後、第二次民衆蜂起の勃発となって現実のものとなった。そのスラーニは、現地ガザからこのユダヤ人入植地撤退劇とその後のパレスチナ社会の動きをどう捉えているのか。
スラーニは1980年代にイスラエル占領当局によって4年近く投獄され、拷問を受けた体験を持つ。またパレスチナ自治政府(PA)誕生後には、“司法の独立”を侵す「軍事裁判」の設立反対の先頭に立ってアラファトの逆鱗に触れ、今度はPAによって一時逮捕された。
10年前、スラーニがガザ市に設立したNGO「パレスチナ人権センター」は、イスラエル、パレスチナ側双方の人権侵害を監視し報告し続けてきた。現在はガザ地区とヨルダン川西岸に数十人の現地調査員を配備し、パレスチナ各地での人権侵害、占領の実態を追い続けている。その活動は国際的に高く評価され、1991年にアメリカのロバート・ケネディ人権賞、96年にはフランス人権賞、さらに2002年にはオーストリアの人権賞が授与された。
Q・ガザ入植地撤退のメディア報道を見ていると、「シャロン首相が和平のために多くの犠牲を払っている」とイメージが伝わってくるのですが?
その通り、それこそイスラエルが外の世界に伝えようとしていることです。それはハリウッド的な、しかも第1級品の「映画」です。しかしこの「映画」は外の世界をまったく欺いています。
私たちがメディアの報道で見ることができるシーンは、「イスラエルのリーダーがガザ地区のユダヤ人入植者たちの撤退を命じた。イスラエル軍兵士が、若い、素敵なユダヤ人入植者たちを力ずくで、神が約束し、彼らが30年以上も住み慣れた土地から切り離そうとしている」というものです。しかし一方で、この土地が元々誰のものであり、誰がこの土地に住んでいたのかはメディアは語りません。ユダヤ人入植地に隣接するパレスチナ人地区でこの入植地のために何千いう家が破壊され、何千という人命が失われたこと、それら入植者たちが犯した犯罪のことは語られないのです。これはまったく不公平で、非現実的で、事実に反する描き方です。
Q・ガザ地区からの入植地撤退という考え方、狙いをどう見ていますか?
シャロン首相、ブッシュ大統領、ライス国務長官らの発言や他の資料を基に、私たちはこの入植地撤退計画の真の狙いは何かについて分析しました。その結論はとても単純なものです。ガザ住民はこれまで利用してきたイスラエル南部のアシュドット港を使えない。ロッド空港(ベングリオン空港)も使えない。また2008年からはイスラエルへの労働者は禁じられる。さらにこれまでイスラエル、ヨルダン川西岸(以後「西岸」)、エルサレムへの唯一の出入口だったエレツ検問所は、4つのカテゴリーのみ使用できることになります。1つは国際的な外交官、2つ目は赤十字国際委員会やUNRWA(国連パレスチナ難民救済機関)などの国際組織のメンバーやジャーナリスト、3つ目はPAの幹部、パレスチナ評議会のメンバー、PA治安機関の幹部、4つ目はビジネス関係者たち、この4つのカテゴリーに限られます。
つまりガザの住民は完全にイスラエルから切り離されるのです。そのこと自体それほど残念なことではないのですが、もっとも重要なことは、我われガザ地区住民がヨルダン川西岸やエルサレムから切り離されるということです。
ガザ地区では空港は破壊され、港もありません。だから外と行き来できる唯一のルートはガザ地区南部のラファ、エジプトとの国境です。しかしこれはイスラエルのコントロール下になる。エジプトとラファとの国境沿いの緩衝地帯、いわゆる「フィラディルフィア道路」はエジプトとパレスチナ側の管理になるが、人や物資の通過はイスラエルのコントロール下になります。
もしガザ住民が空港を使おうとすれば、カイロ空港になる。港はエジプトのポートサイド港などになる。前者は国境から450キロ、後者は350キロもある。しかも陸、海、空はこれまでのようにイスラエルによって完全にコントロールされることになります。
ガザ地区の22のユダヤ人入植地が撤退するということ自体は素晴らしいことです。それは、22の“戦争犯罪”であり、8000人の入植者たちも“戦争犯罪者”だったのだから。これまでガザ地区全体365平方キロの広さの70%が130万人のパレスチナ人に属し、30%が22の入植地、8000人の入植者に支配されてきました。それらが撤退し、ガザ地区の土地の30%が戻ってくることはいいことです。しかしそれはガザ地区の社会的、経済的な状況をまったく改善するものではありません。不幸にも“占領”は続いていくからです。
Q・入植地撤退で、ガザ地区住民の生活は変わらないということですか?
入植地撤退後も、ガザ地区の社会的、経済的な窒息状態は明らかです。ガザ地区と西岸との間の行き来はほとんどできず、ガザ地区は西岸から社会的に、経済的に分断されます。一方、ガザ地区は外の世界から孤立させられます。イスラエルが海も空も国境もコントロールするからです。間違いなく、ガザ地区はイスラエル経済から分離され、エジプトのカイロ空港やポートサイード港やデミアット港を使用することになり、エジプトとの関係が強まり、エジプトの経済の一部に組み込まれることになります。ガスや石油、食料、電気も将来、エジプトから供給されることになるでしょう。それはつまり物価が低下すると同時に、収入が減少し、エジプトが抱える経済的な問題がガザ地区に“輸入”されることになります。これはガザ地区の経済的、社会的な状態をさらに複雑、困難にするでしょう。
例えば、ガザ地区北部のイチゴを450キロ離れたカイロ空港からヨーロッパに輸出できるでしょうか。それは不可能です。またガザ地区の生産品をエジプトに輸出できるだろうか。価格がはるかに低いエジプト生産品に競争できないから、それもできない。だからさらに問題がガザ地区に起こってくると私は懸念しています。このような窒息状態がガザ地区の住民に影響を与えないことは、ありえないでしょう。
Q・シャロン首相が入植地撤退を決断した真の狙いは何だと思いますか?
シャロン首相やブッシュ大統領らの発言から判断すると、それは「ガザ地区の入植地とイスラエル軍配置転換」です。ブッシュ大統領は、西岸の3つの入植地群(アリエル入植地群/マアレアドミム入植地群/グシュエツィオン入植地群)をイスラエルの一部だと認め、難民問題(帰還権)の放棄も認めました。シャロン首相はこれら点でアメリカ政府と大きなトレードをしたのです。
同時に、シャロンは重大な問題の論議を完全に脱線させました。その1つはエルサレム問題です。エルサレムでは、民族浄化、ユダヤ化が昼夜続けられています。また分離壁はおそらく2、3ヵ月後には完成し、さらに西岸の多くの土地が奪われます。一方で、ユダヤ人入植地を横にも縦にも拡張する活動は昼夜続いています。またパレスチナ難民の帰還権についても、“占領”についても、もはや語られなくなります。
一方、シャロン首相がガザ地区からの入植地撤退によって世界から手に入れる大きな成功は、「かわいそうな入植者たちをガザ地区から退去させてまで平和を求める政治家」という自己イメージを作ったことです。しかし、ガザ地区の“占領”というやり方をこれまで通りやり続けます。 “ナクバ”(1948年にパレスチナ人が故郷を失った大惨事)から57年になります。1967年の占領から38年、マドリッド中東和平交渉から15年、オスロ合意から13年になりますが、“占領”は物理的に法的にも続いているのです。
Q・どうしてハマスやPAは、入植地撤退を自分たちの勝利だと主張したがるのでしょうか?
1993年にオスロ合意が調印されたとき、PLOは「我われはパレスチナを解放した。占領は終結した」と主張しました。しかし私は当時から「占領は物理的にも法的にも存在し続ける。占領が終結するという幻想を持ってはいけない」と言い続けてきました。果たして、何年か経って、人々は占領が存在することを認識したのです。
今、同じ過ちをPAだけではなく、ハマスも冒しています。しかし双方の過ちの内容は違っています。PAはこの入植地撤退が自分たちの交渉によって達成した成果だと誇示していますが、それはまったく事実に反することです。これはシャロンによる一方的な撤退計画であり、PAとの交渉などまったくなかったのです。イスラエルはまさに自分たちの利益にために、一方的に撤退したのです。しかしPAは「自分たちの成果だ」と売り込み、民衆を誤った方向へ先導をしようとしているのです。
一方、ハマスは政治的な動機から、「我われのこの5年間の武装闘争、抵抗運動によって、イスラエルは撤退するのだ」と主張しています。私はハマスが活発に活動してきた事実を否定するつもりはないが、彼らの武装闘争の結果、シャロンが入植地撤退を決意したとは思いません。理由の一部にはたしかにそれはあったかもしれませんが。しかしシャロンは、もっと戦略的な理由で撤退を計画したのです。これはパレスチナ側の勝利などでは決してありません。
Q・ということは「オスロ合意」のように、何年かすると、民衆はこれが幻想だったとわかり、失望するということですか?
ほんの1ヵ月もすれば、ほとんどの民衆が「これは勝利でもなんでもなく、イスラエルはこれまでと同じようにコントロールし続け、何も変わらないのだ」ということを知るでしょう。
Q・この入植地撤退はパレスチナにどういう政治的な影響を与えるのでしょうか?
22の入植地が撤退した後のガザ地区30%の土地に関して多くの懸念があります。政治的、法的にもPAがその土地をコントロールすべきですが、このPA誕生から12年、その幹部、とりわけ治安機関の幹部たちの腐敗がひどく、これまでも公の土地を私有する者をいました。ガザ地区はとても狭い土地で、その30%の土地はパレスチナ人にとっても重要です。64%の失業率、住民の81%が貧困ライン以下の生活を強いられています。しかも、とても限られた土地と資源しかない。だからこの土地の有効な利用が保障されることをみんなが望んでいます。
ハマスとPAは対峙・衝突しているわけではありません。ただハマスの主張には2つの主要な点があります。第1は、入植地が撤退した跡の土地が、パレスチナ人全体のために適切に分配され、使われることが保障されるべきだ、ということ。そしてもう一つはハマスは、法の支配、選挙によって問題が解決され、スムーズな権力委譲が保障されることを望んでいるのです。
PAもファタハもひどく腐敗し、分裂している。そして強いリーダーシップもない。そんな中で、クリーンで力のある勢力がハマスなのです。だからと言って、ガザ地区においても、ハマスが大衆の人気を独占してわけではなく、おそらく支持率は30%ほどでしょう。ただ、イスラエルが今のような抑圧的な政策を続ける状況の中では、ハマスはさらに人気を増していくでしょう。一方、もし状況が緩和されれば、ハマスは政治的な勢力となっていくと思います。そして将来、ファタハと肩を並べる、パレスチナの政治的な機構の一部となり、パレスチナ社会をリードしていく主要な政治勢力となるでしょう。
Q・PAのアッバス議長は、パレスチナ社会をまとめていけるのでしょうか?
彼は自由な選挙で選ばれた合法的な“大統領”であり、PLOとPAの指導者です。しかし現在、アッバスはとても大きな障害にぶつかっています。内部的には、クレイ首相も、治安機関の幹部たちもアッバスに抵抗し、PLO最大派閥「ファタハ」も彼を十分に支援していません。ガザ地区の治安組織を牛耳る若手閣僚のモハマド・ダハランもアッバスに対抗する行動をとっています。アッバスに個人的な競争意識を持ち、自分が指導者になるべきだと思い、まるでリーダーのように振舞っています。また、ファタハ自体も若い世代と旧世代との内部抗争によって分裂し、対立している。一方、治安機関のかなりの幹部たちは、ひどく腐敗していて、その地位や権益を守るために、中央にとても強力なリーダーがいることを望まない。
外部的には、イスラエルがアッバスの仕事を困難にしています。イスラエルとパレスチナ側の2月の休戦協定以来、パレスチナの状況は何一つ改善されず、イスラエル軍の侵攻、土地の没収、逮捕、ユダヤ人入植地拡張など“占領”はこれまで通りで、ほとんど変化していません。さらにアメリカもアッバスに対する中身のある政治的な支援はしていません。
Q・パレスチナ人はこの事態にどう対応していくべきなのでしょうか?
我われには3つの戦略的なラインがあり、他には選択はありません。まず、内部的に、我われパレスチナ人社会は“法の支配”と“民主主義”を確立すべきです。民主主義と人権は我われパレスチナ人の命運を決めるものであり、もしそれらがなければ、無法地帯のような“ジャングルの支配”となり、我われは終わりです。
2番目は、パレスチナで国際的な人権法がきちんと施行されることです。
3番目には、ガザ地区、ヨルダン川西岸、東エルサレムでの占領を終わらせ、そこにパレスチナの独立国家を創設することです。
それらが我われの望むことであり、それ以上でも、それ以下でもありません。この3つのために私たちは闘うべきです。
Q・日本や欧米諸国はどういう支援をすべきだと思いますか?
もしパレスチナ独立国家の創設に政治的な展望がなく、パレスチナ人が自分たちの運命を自ら決めることができないなら、生き残るために2つのことが必要になります。
1つはガザ地区と、西岸やエルサレムとのコネクションを持つこと。つまり一つの民族として政治的、社会的、経済的に強い関係を維持できることが不可欠です。
もう1つはガザ地区が外の世界と自由な関係とアクセスを持てることです。それら2つがなければ、ガザ地区は大きな困難に陥る。しかしそれを妨害する“占領”は強力な形で存在し続け、私たちガザ地区住民の生活をコントロールし続けるのです。
もしこの2つが現実的なレベルで存在しないなら、100%、我われは社会的、経済的に窒息状態に置かれ、近い将来、もっとひどい流血を伴う新たな民衆蜂起が起こることでしょう。
私はパレスチナ人に物理的な支援が必要だとは思いません。ただ前述した2つのことに関してこそ支援が必要です。たとえ経済的な支援を与えようと、政治的な展望がなければ、どこへも向かうことができませんから。
また、日本を含めどのような国でも、真剣にパレスチナ人を支援しようとするなら、パレスチナ人に対して国際人権法、ジュネーブ協定が尊重され守られるようにイスラエルに圧力をかけるべきです。そうでなければ、パレスチナ人を“法の支配”ではなく“ジャングルの支配”を望むビンラディンのような方向へ向かわせることになります。
Q・この2ヵ月で、ガザ地区はどう変わりましたか?
占領は以前のままです。9月中旬以降、今日までイスラエルが海も空も国境もコントロールしてガザ地区は完全に封鎖され、だれも出入りできない状況が続いています。漁師たちは海にも出られません。イスラエル軍による空爆、砲撃、暗殺も続き、ガザ地区の東部、北部の境界に幅数百メートルの緩衝地帯を作り、住民の立ち入りを禁止しています。
Q・9月下旬、ハマスの「勝利パレード」で武器を積んだトラックが爆発し、ハマスは「イスラエルの攻撃」と責任転嫁し、ロケット弾攻撃をイスラエルにしかけた。その報復としてイスラエル軍はガザ市内に激しい空爆を再開した。また10月初旬には、ハマスの武装勢力が武器を取り締まろうとするPA警察と衝突し、ハマスが警雑$を襲撃する事態にまで発展した。この2つの事件で、ハマスに対する人々の批判が高まっていると聞きましたが?
あのパレードは間違いなく、ハマスが政治的な動機つまりその力を誇示し、より大きい大衆の政治的支持を得ようとしたものでしたが、あの結果は間違いなく、その支持を減少させることになった。その後のPA警察との銃撃戦は、ハマスが警雑$を対戦車砲などで襲撃する事態になり、民衆を激しく怒らせました。しかしハマスは状況を直ちに理解し、失敗から教訓を学ぼうとした。この2つの事件でたしかにハマスはいくらか人気を失うだろうが、「民衆全体がハマスを憎む」というものでは決してありません。
人々のハマスへの怒りの背景には、入植地撤退への住民の幻想が打ち破られた失望、変わらない封鎖による窒息状態への疲れと怒り、そして前例のないイスラエル軍のF16の音響爆弾による凄まじい爆発音に住民が四六時中さらされパラノイア状態に陥ったことがあります」
Q・ハマスとPA警察との衝突が内戦に発展する可能性はないのですか?
それはありません。「パレスチナ人の生き残りのための原則」つまり内戦の回避は、すべてのパレスチナ人が理解しています。実際、PAとハマスの関係は48時間で一応、修復した。もちろん両サイドにわだかまりは残っているが、その緊張関係は1月の評議会選挙で緩和されるでしょう」
Q・今回の事態は、選挙にどう影響を与えるでしょうか?
PAは自分のポケットにまったく“チョコレート”、つまり人々を引き付ける“弾”を持っていない。これまで入植地撤退によって住民はほとんど“果実”を見出せなかった。もしこのまま入植地撤退によっても状況が何一つ改善されず、また政治的な明るい展望が見えてこなければ、PAは恐ろしい問題を抱えることになります。10月20日のアッバス首相のワシントン訪問後も何の事態の進展がなければ、つまり封鎖状態が続き、住民の失業状態も、PA内の内部抗争も改善されなければ、PAの母体であるファタハは選挙に敗れ、ハマスがとって代わるでしょう。