(以下の文章は、2006年1月13日『信濃毎日』新聞に掲載されたものです)
「ハマスよ、テロと決別せよ」「イスラエルを承認し、交渉せよ」。パレスチナ評議会選挙での「ハマス圧勝」後、世界の政治家、メディア、専門家が一斉にそう叫ぶ。ある「中東専門家」は、「政治参加したハマスには選択肢は二つしかない。武装闘争か、イスラエルに対する立場を変えオスロ合意を認めること」とまで言う。 これらの論調は、1993年の「オスロ合意」以降、パレスチナ人が置かれてきた状況をまったく無視している。
あの「合意」以降、「和平」という言葉に世界が幻惑されている間に、パレスチナではユダヤ人入植地の拡大によって土地はさらに奪われ、封鎖政策によってパレスチナ経済は窒息状態に陥った。ガザ在住の人権活動家ラジ・スラーニ弁護士は、「あの『合意』は実質的な“占領の合法化”」と言い切った。その“占領”に武力で抵抗を続けるハマスを抑える役を「合意」によってアメリカやイスラエルに担わされたのがファタハの自治政府だった。「和平」の見返りとして与えられる海外援助は、政府やファタハ関係者たちの私腹は肥しても、封鎖による民衆の生活困窮の改善には繋がらなかった。その民衆の怒りは7年後、第二次インティファーダ(民衆蜂起)となって爆発したが、イスラエルはパレスチナ人の抵抗を強大な軍事力で押しつぶした。パレスチナ人地区の要所要所には軍の検問所が設けられ、人や物資の移動を制限されて経済も立ち行かない。さらに「テロ防止」を名目とした“分離壁”建設(真の狙いは「ユダヤ人国家維持のため、パレスチナ人流入阻止」といわれる)、入植地拡大と縦横に走るユダヤ人専用道路による地域の分断が着々と進み、すでにパレスチナ人コミュニティーの一体性は失なわれつつある。また封鎖政策はいっそう強化され、住民の生活はいっそう追い詰められている。パレスチナ人は今なおイスラエルによる実質的な“占領”下で生きているのである。
このような現状は黙認している国際社会が、パレスチナ住民やハマスに向かって、「テロをやめろ」、「イスラエルの存在を認め、交渉しろ」と叫ぶ。それはパレスチナ人にとって、「今のイスラエルの“占領”は黙って受け入れろ」ということだ。
「もし自分があの状況で生きるパレスチナ人だったら」と想像してみればいい。あなたが、「“占領”に対する抵抗を『テロ』だと糾弾するのなら、なぜ国際社会は、イスラエルに“占領”という“国家テロ”を止めよと要求しないのか」と叫ばないだろうか。「イスラエルとパレスチナ2つの国が共存する平和を」という世界にあなたは、「ずたずたに分断され、土地や水資源など経済基盤が奪われている地域のいったいどこに、どんな国を造れてというのか」と叫び返さないだろうか。
こういう現実を無視し、机上の『和平』をパレスチナ人に押しつけて「和平論者」を気取る政治家、また現地の実態を自分の耳と目で確かめることもせず、安全な国の快適なオフィスで集めた第二次資料を元に、高みから現場で呻吟する住民に教訓を垂れる「ジャーナリスト」や「中東専門家」はパレスチナ人の目からすれば、傲慢に映るにちがいない。
欧米諸国は「ハマスがテロと決別し、イスラエルを承認しなければパレスチナへの経済支援を絶つ」と警告している。それによってパレスチナ内部が大混乱となり、住民はハマスに絶望し、民意はまたファタハに戻るという狙いがあるようだ。しかし、たとえハマスに失望しても、十数年の失政と腐敗にうんざりしたファタハへの信頼がそう簡単に回復するとは思えない。どこにも期待が持てなくなった住民がさらに急進化してパレスチナが無法状態になれば、今以上に中東の不安定要因となる。それが周辺に波及し、今世界の焦点となりつつあるイランの核開発問題と連動すれば中東全域に激震が起こり、欧米諸国や日本が最も恐れる事態になりかねない。アメリカが再び軍を動かし、日本が再び自衛隊派遣を要請されることはありえない話ではないのだ。
“パレスチナ問題”は単なる抽象的な言葉ではない。モハマド、ファトマ、アリといった一人ひとりが人間らしく生きていく権利が奪われている現状、その総体が“パレスチナ問題”なのだ。私たちは今、一人の人間として、「もし自分が現地のパレスチナ人だったら」と想像する力と、その痛みと怒りを感じ取る感性を問われている。