Webコラム

ハマスとどう向かいあうのか

(以下の文章は、2006年2月19日『毎日新聞』紙上の「発言席」に掲載されたものです)

 もしあなたが、自分の町から隣町に行くにも検問所で何時間も足止めされ兵士に屈辱的な扱いを受け続けたら。パレスチナ人をイスラエルから切り離すための「分離壁」、パレスチナ人地区に点在するユダヤ人居住区「入植地」、それをつなぐユダヤ人専用道路の建設で土地や水資源は奪われ、地域と共同体も寸断されて「くに」としての一体性さえ奪われている。イスラエルの封鎖政策で経済は窒息状態。一方、そんな“占領”下の窮状を訴えても、自治政府は状況を改善する力もない。それどころか、「和平」の代償として入ってくる海外援助で高官たちは私腹を肥やし、内部の利権・権力争いに明け暮れている。そんな状況下で生きなければならないとしたら、あなたは「武装闘争」によって溜飲を下げさせ、手厚い福祉事業で生活の窮状に手を差し伸べ、清廉なイメージをもつハマスに投票しないだろうか。ハマス圧勝の背景にはイスラエルの“占領”と、それに打つ手もなく腐敗しきった自治政府、その母体であるファタハの現状があった。
 今、世界は一斉に、「ハマスよ。テロと決別せよ」と叫ぶ。だがパレスチナ人は逆に、「ならば日常的に自分たちを苦しめている “占領”(パレスチナ人はこれを“国家テロ”と呼ぶ)を止めよと、なぜ同時にイスラエルに要求しないのか」と反論するだろう。
 欧米諸国はハマスが武装闘争路線を放棄せず政権につけば、パレスチナへの経済支援を絶つと警告している。支援が途絶えれば、ハマスは政府運営さえ難しくなる。住民の生活はさらにひっぱくし、民意はハマスから離れるという読みがあるようだ。しかし過去のイスラエルの封鎖政策とその結果からすれば、必ずしもそうなるとは限らない。ハマスらが自爆テロを行うたびにパレスチナ人地区は封鎖されてきた。封鎖で仕事を失い物資輸送も困難になる住民は生活苦に追い込まれ、それが封鎖の大義名分を与えたハマスへの反発となり、その人気は凋落するはずだった。
 しかし実際は、その怒りはむしろ封鎖・占領を強化するイスラエルに向けられ、武装闘争を続けるハマス人気を高めるという皮肉な結果を生んだ。実質的な“占領”下に置かれた住民の心情を読み違えると、パレスチナ人全体をいっそう急進化させることになりかねない。
たとえハマス政権に住民が絶望しても、十数年の失政と腐敗に辟易させられたファタハにも期待できない。光を失った民衆が自暴自棄になったとき、パレスチナは今以上に中東の不安定要因となっていく。ならば国際社会は、ハマス政権とどうつきあっていくかを模索していくしかない。「ハマスの軟化」を一方的に要求するだけではなく、国際社会もまたハマス政権への柔軟な対応が不可欠となる。一方、ハマスも国家運営という重責のなかで現実路線に転換せざるをえない。国際社会の対応次第で、IRA(アイルランド共和軍)のように政治路線へ転換する可能性はある。
 米国が提唱する「ロードマップ」案に沿った、二国共存こそが「和平」への道といわれる。しかしパレスチナ人は、国土となるべき土地がずたずたに分断され、生活・経済基盤さえ奪われつつある現状を国際社会が黙視しておきながら「二つの国家の共存を」と諭す声に、「いったいどこに、どんな国を造れというのか」と叫ばずにはいられないはずだ。机上の「和平」論ではなく、現場の民衆の目線に立った真の“和平”を──ハマス圧勝という現実は、国際社会にそう訴えかけている。