(以下の文章は、2006年08月25日発売の 『週間金曜日』第619号 に掲載された「日米欧の誤算が招いたガザの窮状」の元原稿です)
ガザ市に隣接するビーチ難民キャンプのある民家。居間のマットレスに生後6ヵ月になる幼児が寝かされていた。猿の赤ん坊のように、顔が小さく、目だけが異様に大きい。服を脱がすと、身体も胎児のように小さく、手足も少し力を加えると折れてしまいそうに細い。肌もまったく艶が失せ、老人の肌のように皺ができている。1.5キロの未熟児で生まれたその子は半年経っても2.1キロしかない。母乳で育てているが、母親の栄養不良のため乳の出も悪い。お尻もオムツかぶれで真っ赤だ。イスラエルによるガザ地区の封鎖の強化によって紙オムツも手に入りにくくなっている。たとえ店頭にあっても、この家族のような貧困家庭には品不足で値が急騰した紙オムツを買う余裕はない。現在、多くの貧困家庭では古着を切り裂いた布をオシメ代わりにつかっているという。しかも水不足で洗濯も頻繁にできない。この子のようにオシメかぶれになる例は少なくないはずだ。
ガザ地区のNGO「人間の大地」は、このような栄養失調の子どもたちのために栄養食の給食活動を行っている。週3回、ガザ市内の本部に2,30人の幼児とその母親がこの給食のために集まってくる。この日は、野菜と肉を煮込んだ料理だった。子どもが飲み込めるようにミキサーで砕き、おかゆ状にして配膳される。なかなか飲み込めない子どもの口の中に若い母親たちが一生懸命、スプーンで食べ物を入れようとする。どうか生き延びて大きくなってほしいという必死の母親の想いが伝わってくる。慣れない母親に担当の看護師が食べさせ方を指導しながら、子どもの食べる様子、その表情を観察する。食べ終わった後は、母親ひとりひとりに子どもが食べた量を聞き記録し、異常があれば階上の診察室へ回し、医者の診断を受けさせる。
「封鎖の強化で失業者が増えたことで、栄養失調の子が増えました」と、現地のNGO「人間の大地」のイテダル・ハディーブ代表は言う。「貧困による母親の栄養失調も深刻です。ここへやってきた38人の母親に『今朝、朝食を食べてきた人は?』と問うと、手を挙げたのは3人だけ。昨晩、夕食を食べた人は訊くと7人だけでした。母親たちは子どもたちに食べ物を与えるために自分を犠牲にしているのです。この母親の健康のために彼女たちのための給食活動も必要になっています」
日本のNGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」は、食料経費と看護師など専属スタッフの給与のために3ヵ月当たり120万円を援助し、栄養失調の子どもたちの救援活動を支援している。
「人間の大地」のオフィスで、母親に抱かれた、顔や手足が異常に小さい生後1歳1ヵ月の男の子に出会った。健常ならば10キロを超えていなければならないが、5.5キロしかない。生まれたとき、体重が2.4キロの未熟児で、半年で5キロまで体重は増えたが、それ以後、ほとんど成長が止まっている。栄養失調だけが問題ではなかった。生まれながらにして小大腸の消化機能に異常があり、栄養を体内に吸収できないでいると医者は診断した。しかもX線写真で腎臓がひとつしかないことも判明した。また耳の内部にも感染症を患い聴覚障害があることもわかった。これが言語能力にも悪影響を及ぼしている。さらに右脚の骨の成長が遅れ、軽い肺炎も患っていた。まさに満身創痍の子である。
抱え切れないほどの病気と障害を持ったこの子に、さらに不幸が襲った。政府系学校の教師である父親ジャーベル・ウハイディ(36歳)の給与が3月から途絶えてしまったのだ。
1月のパレスチナ選挙で、イスラエルや欧米諸国の予想に反して、彼らが「テロリスト組織」と呼ぶイスラム運動組織「ハマス」が大勝して次の政権を担うことが決まった。これに対してイスラエルはパレスチナ自治政府に渡すべき間接税の送金を拒否、また欧米諸国や日本もこれまで自治政府を支えてきた援助を打ち切った。これによってハマス新政権は3月から公務員への給与さえ支払えなくなり、イスラエルによる封鎖の強化と共にガザ地区の脆弱な経済を直撃した。これによって数年前から慢性化していたガザ地区の貧困はいっそう深刻化したのである。
ウハイディ一家は以前から多額の借金を抱え、苦しい生活を続けていたが、給与の未払いで極貧状態に陥った。それが子どものさらなる栄養の悪化を招いた。現在、週3日、「人間の大地」の栄養食の給食に通い、ビタミン不足を補うミルクを月に1缶ずつ支給してもらっている。
ジャバリア難民キャンプにあるこの子の家を訪ねた。数年前に完成したという家の壁はしかし、コンクリート地肌の壁のままだ。家具らしいものもほとんどない。部屋の大半には照明器具はなく、壁から電線の先がむき出したままだ。台所には冷蔵庫もなく、シャワールームには洗面の場所もなく、栓をした水道管の先が壁から突き出したままだ。家の建設は途中で止まったまま、住居として使われている状況だった。この一家には家の建設を続ける資金がないのだ。月収は2000シェーケル(約450ドル)だが、家のローンなどを支払って残るのは750シェーケル(約170ドル)でやっと食いつないできた。しかし、それも半年前から途絶えた。
こんな経済状態でこの一家はどうやって生活していけるのか。ジャーベルは近くの商店街に私を案内した。まだ昼前だが大半の店がシャッターを下ろしたままだ。わずかに開店していた商店の1つ、雑貨店の主人が、「公務員や警察官に給与が出なくなってから客が激減し、商売は上がったりだよ」と訴えた。トマトやキュウリ、ナスなどが並ぶ八百屋の従業員は、「イスラエルによる封鎖のために品不足で値段が50%ほど上がってしまい、これが住民の生活をさらに苦しめる結果になっている」という。この八百屋にも、向かいの肉屋にも“ツケ台帳”が置いてある。現金を支払えないなじみの客は、その台帳に自分の名前と品物、その値段を書き込めば、野菜や肉が“買える”システムである。
またパレスチナ社会の互いに助け合う濃密な家族、親族関係が大きな支えになっている。国連関係やNGO、または商業などで収入のある家族が、失業または給与未払いの家族、親戚たちを支える。このような相互扶助の社会システムが、ガザ地区の住民をこの窮状から救っている。
ガザ地区の貧困は今に始まったことではない。2000年秋の第2次インティファーダ(民衆蜂起)勃発以来、ガザ地区住民の大きな収入源だったイスラエルへの出稼ぎ労働が厳しく制限された。封鎖もガザ地区の経済を麻痺させた。1日2ドル以下で生活する、いわゆる「貧困ライン」以下の住民が64%に達したという調査結果もある。これに追い討ちをかけたのが、前述したハマスの選挙勝利とハマス政権誕生に対するイスラエル、欧米諸国そして日本の“懲罰”だった。
それは“援助停止”、“経済封鎖”による貧困が、住民の“ハマス政権”への反発、支持の凋落へとつながることを狙ったものだった。しかし現実は皮肉なことに、その期待とはまったく反対の現象を生み出している。
重度の栄養失調児を抱えるジャバールに「今の窮状は、ハマスが政権につき、イスラエルへの攻撃を止めないためだと思わないか」と問うと、彼はそれを言下に否定した。「問題の元凶はイスラエルの占領です。これがパレスチナ人に多くの苦悩をもたらしています」というのだ。「私たちは民主主義の実現のために選挙をやりました。その選挙を監視したカーター元米大統領をはじめ海外の選挙監視員たちもそれが民主的な選挙だったと宣言しています。その選挙で新たにハマス政権が生まれのです。民主的な選挙だと宣言しながら、ハマスが勝利すると『テロリストの政府』だという。そして私たちがハマスを選んだことを後悔させようと、住民に圧力を加える。どうしてハマス新政府が何をやるのかのじっと見ようとしないのですか」
6月25日のハマス武装勢力らによる攻撃に対するイスラエル軍の猛攻撃が、ガザ地区の経済悪化にさらに拍車をかけた。道路や発電所などインフラの破壊、停電による工場の生産停滞、封鎖強化による製品や農産物の輸送の停止などがガザの経済を瀕死の状態に追い込んでいる。
ガザ地区中部の街ハンユニスのアイスクリーム工場の中は灯りもなく、真っ暗だった。イスラエル軍による発電所破壊のために、この工場をふくめハンユニス市の住民は7時間おきにしか電気が得られない。冷凍施設が不可欠なアイスクリーム工場では深刻な打撃を受けることになった。
パレスチナではアイスクリームのシーズンは3月ごろから始まる。しかし今年は1月の選挙直前、ハマス優勢の予想をけん制するためか、イスラエルはガザと外との唯一の物資の出入り口となっているカルニ検問所を封鎖した。封鎖は6月中旬まで断続的に続き、この工場はアイスクリームを西岸に輸送することもできなかった。国際社会の圧力でやっとカルニ検問所が開いて10日後、ハマスの武装勢力らによるイスラエル軍陣地の攻撃の報復として再び検問所は封鎖された。アイスクリームの需要が最も高いシーズンにヨルダン川西岸のマーケットは完全に閉ざされてしまった。
さらに停電が追い討ちをかけた。アイスクリームを卸したガザ地区の各地の商店では、保存する冷凍ボックスが停電で役に立たず商品が溶けてしまうため、次々と工場にアイスクリームを返却してきた。なかにはすでに溶けて商品価値を失ったものを少なくなく、返却品の半分ほどを捨てなくてはならなかった。その損失は13万ドルにも及んだ。
現在、工場は生産を停止し、200人ほどの従業員は職を失ったままだ。しかもすでに生産された商品の保管も停電が断続的に続くなかでは深刻な問題だ。冷凍のために発電機を使用すれば、燃料費に1日1000ドルがかかってしまう。
このアイスクリーム工場の会計責任者マンスール・エスリームにも「ハマス政府や武装勢力の攻撃のせいで自分たちはこんなに苦しまなければならないと思わないか」という問いをぶつけた。するとエスリームは「イスラエルがハマスの攻撃の原因を作っているんです」と答えた。「ハマスの攻撃はパレスチナ人政治犯の釈放のためです。私たちの経済がひどい状況にあるのは、イスラエルがパレスチナ人の生活をまったく考慮しないからです。非難すべきはイスラエルであって、ハマス政権ではありません。ハマス政権は私たちの経済への圧力を跳ね返そうと努力し、パレスチナ人の政治犯について交渉しようとしたのです」
ガザ地区住民の“ハマス観”をさらに調査ために、最も貧困が深刻だといわれている最南端の町ラファと、他の地域と比べると貧困層が少ないといわれるガザ市で、それぞれ10人ずつ住民への街頭インタビューを試みた。その結果、「現在の窮状は、ハマスに責任がある」と答えた住民は両都市とも皆無だった。代わりに、判を押したように返ってくる答えは「“占領”こそ元凶である」という声、そして「ハマス政府は私たちが、アメリカの主張する“民主主義”を実行して選挙で選んだ政府であるにも関わらず、その政策を実行する機会さえ欧米社会は与えようとはしない」という欧米と日本への批判だった。
現在のパレスチナ情勢で、アメリカをはじめとする国際社会はこの民衆の“ハマス観”を完全に読み違えている。彼らの視野から完全に抜け落ちているのは、“占領”下で日常的な殺戮や封鎖の抑圧の中で生き続けている人々の舌筆しがたい苦しみと屈辱、その中に鬱積する“占領”する者とそれを支え続ける者への抑えがたい怒りと憎しみである。
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