Webコラム

2006年夏・パレスチナ取材日記 16

満身創痍の栄養失調児

8月5日(土)

 JVCが支援しているガザ市のNGO「人間の大地」のオフィスで、母親に抱かれた、顔や手足が異常に小さい子どもに出会った。13ヵ月になるこの男の子は健常ならば10キロを超えていなければならないが、5・5キロしかない。生まれたとき、体重が2.4キロの未熟児だった。半年で5キロになり、それ以後、ほとんど成長が止まっている。栄養不良だけが問題ではなかった。生まれながらにして小大腸の消化機能に異常があり、栄養を体内に吸収できないでいると医者は診断した。しかもX線写真で腎臓が1つしかないことも判明した。また耳の内部にも感染症を患い聴覚障害があることもわかった。これが言語能力にも悪影響を及ぼしている。さらに右脚の骨の成長が遅れ、軽い肺炎も患っていた。まさに満身創痍の子である。
 抱え切れないほどの病気と障害を持ったこの子に、さらに不幸が襲った。政府系学校の教師である父親(36歳)が、3月から給与が途絶えてしまったのだ。以前から多額の借金を抱え、苦しい生活を続けていた一家は、極貧状態に陥った。それが子どものさらなる栄養の悪化を招いた。現在、週3日、「人間の大地」の栄養食の給食に通い、ビタミン不足を補うミルクを月に1缶ずつ支給してもらっている。
 ジャバリア難民キャンプにあるこの子の家を訪ねた。父親ジャーバルと3人の兄弟が金を出し合って建てた4階建ての家の最上階にこの子の一家は暮していた。数年前に完成したという家の壁はしかし、コンクリート地肌の壁のままだ。家具らしいものもほとんどない。部屋の大半には照明器具はなく、壁から電線の先がむき出したままだ。台所には冷蔵庫もなく、シャワールームには洗面器もない。栓をした水道管の先が壁から突き出している。家は建設途中で止まったまま、住居として使われている状況だった。この一家には家の建設を続ける資金がないのだ。
 父親ジャーバルによれば、家の建設のために銀行から借金したが、その元金と利子の返済のため、2000シェーケル(約450ドル)の給与のうち生活費として毎月残るのは750シェーケルほどしかなかった。不足する生活費を補うために兄弟や知人からまた借金をした。そんな生活が7年前からずっと続いてきた。この生活に決定的な打撃を与えたのが、半年近く続く給与の未払いだった。
 こんな経済状態でこの一家はどうやって生活していけるのか。ジャーベルは近くの商店街に私を案内した。まだ昼前だが大半の店がシャッターを下ろたままだ。わずかに開店していた商店の1つ、雑貨店の主人が、「公務員や警察官に給与が出なくなってから客が激減し、商売は上がったりだよ」と訴えた。トマトやキュウリ、ナスなどが並ぶ八百屋の従業員は、イスラエルによる封鎖のために品不足で値段が50%ほど上がってしまい、これが住民の生活をさらに苦しめる結果になっているという。この八百屋にも、向かいの肉屋にも“ツケ帳面”が置いてある。現金を支払えないなじみの客は、その帳面に自分の名前と品物、その値段を書き込めば、野菜や肉が“買える”システムである。このような相互扶助の社会システムが、給与未払いの住民たちの生活を支えているのだ。

 ジャーベルがナブルス出身の妻マイスーナ(29歳)と結婚したのは1993年、第2次インティファーダの直前だった。その後強化された封鎖によって、実家のナブルスとの往来ができなくなったマイスーナはもう10年も実家の家族と会えないでいる。
 ジャーベル夫妻は長年、子どもに恵まれなったため、多額の費用をついやして不妊治療をした。その結果、結婚8年目にしてやっと長女が生まれた。それから2年後に次女、そして待ち望んでいた初めての男の子が生まれたのは結婚13年後の2005年だった。しかしその子はあまりにもむごい不幸を抱えて生まれてきた。これほど重度の栄養失調は、脳の機能に障害が起こしかねない。それでもなんとか生き延び成長してほしいと両親は祈るような思いで、5・5キロしかない小さな息子を必死に育てている。
 この子を診察した医者の中に、消化機能を回復するために内臓の手術を勧める者もいた。しかしそのための費用はこの家族にはなく、またその手術に不可欠な整備も十分な技術も今のガザ地区にはない。もしこの子を救う道があるとすれば、先進諸国での手術だろう。しかも1日も早い手術だ。

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