2007年3月21日(水)
長いこと、「日々の雑感」の執筆が滞ってしまった。1月中旬から再開したパレスチナのドキュメンタリー映画の編集作業に追われ、日々の雑感を書き留める精神的な余裕を失ってしまったためである。
今回は第二部「侵蝕─ユダヤ化されるパレスチナ─」の編集作業で、前回、第一部と同様、取材、撮影はもちろんのこと、粗編集もすべて自分自身でやっている。その映像の意味合い、背景、その使用目的などは、現地を取材し、実際、カメラを回した私自身でないと判別できないからである。幸い、最初の自作ドキュメンタリー映像「ファルージャ2004年4月」の制作以来、若い「映像の先輩」の指導を受けてパソコンで編集する技術を曲りなりにも習得できた。十数年間に撮りためた数百時間の映像資料の中から、当時作った映像リスト(カット表)を手がかりに、使いたい映像を選び出し、リストアップする作業から始まる。そしてそのリストアップした映像をパソコンのハード・ディスクに取り込んでいく作業には気が遠くなるほど膨大な時間を要する。カット表から当時の状況や撮ったシーンを遠い記憶から呼び起こし、そのシーンを再生機で観て確認し、さらに使いたいと思う映像、使う可能性のある映像だけを抜き出す。そのため抜き出し取り込む映像は、それぞれは長くて1、2分だが、量が量だけに1本分の映像素材を取り組むと10時間を超え、その取り込み作業にはほぼ3、4週間を要してしまう。それを自分が試行錯誤して作った構成、映像の流れに従って抽出し、並べていく。これはシーンを選ぶ段階で、どのような使い方をしようと考えているから意外と早いが、それでも2時間半ほどの長さになれば、1、2週間はかかる。一応映像が繋がり、流れができると、次はテロップ制作。アラビア語や英語、ヘブライ語のインタビュー部分が多いため、その翻訳とその確認作業にまた膨大な時間がかかる。原則としてナレーションなしの映像のためにその状況説明もテロップで補わなければならない。だから打ち込まなければならないテロップの数も半端ではない。この作業にも2、3週間を要する。この1連の作業を独りで延々と部屋にこもってやるのだから、精神的にも参ってしまう。毎日、自分に義務づけている1時間ほどの散歩は、単に身体の健康のためではなく、気が変になってしまうのではないかと不安になるほど追い込まれる精神の安定と健康をかろうじて保つためには不可欠な“憩いの時間”である。
幸い、ときどきやってくるボランティアの学生たちや、夜、仕事を終えて帰宅する連れ合いとの他愛もない会話も大きな救いとなった。
また単調な仕事漬けの日々の気分転換と独断に陥りやすい制作に刺激と新たな発想を得るうえで、他のジャーナリストたちのドキュメンタリー映像を観に出かけることも大きな楽しみである。
2月中旬、中国人映画監督、班忠義氏のドキュメンタリー映画「蓋山西(ガイサンシー)とその姉妹たち」を観た。
日中戦争時代、日本軍が侵攻した中国山西省の黄土高原にある小さな村。物語はその日本軍兵士に性奴隷とされた村の若い女性たちのその後の人生をたどる。山西省一の美人を意味する「蓋山西」と呼ばれた女性が日本軍に捕らわれ、「慰安婦」とされる。同じ境遇に貶められた村の少女たちをかばいながら生き抜いた。しかしその心と身体に癒し難い深い傷を抱えた「蓋山西」には戦後も不幸が襲いかかる。結婚生活は破綻し、老後は孤独と貧困と後遺症の病苦の中で、自ら命を絶つ。その女性を知る同じく元「慰安婦」にされた後輩の女性たち、戦中を知る村人たちの証言を重ねながら、「蓋山西」の人物像、当時の悲惨な性奴隷生活を浮き彫りにしていく。
韓国の元日本軍「慰安婦」たちを取材したことのある私も初めて知る事実だ。なぜこれまで、日本人の手によって、日本で伝えられてこなかったのか。このドキュメンタリーにまずその問いを私たち日本人は突きつけられる。一方、証言するかつての元「慰安婦」たちも村人たちも、取材者が中国人だったからこそ、ここまで詳細な証言をあえてできたにちがない。その日本が犯した数十年前の犯罪を、中国人ジャーナリストによって今私たちは突きつけられているのだ。しかし監督の班氏は、私たちかつて日本人が犯した犯罪と、その事実への無知と無為を激しい言葉で追及することはしない。
映画上映と同時に行われたシンポジウムの席で、班監督は会場を埋めた数百人の日本人聴衆──大半は中年または年配者で、若い人たちの姿はまばらだったが──最後にこう語った。
「歴史は“鏡”であり、その事実は力があります。辛いものを読むのは現地の村人にも悪いとは思うけど、辛いものは噛み締めなければならない。このガイサンシーの日本語の本を読むと日本人の若い人たちは辛いでしょう。自分の祖先がやったことだけども、自分が否定されるような気になるということは私も承知しています。しかしその辛さを乗り越えて、歴史を鏡にして、私たちの国と民族を越えるべきです。この問題は個々人の人間の問題ではなく、国の政策ですよ。戦争はまずしてはいけない、仲良くしなければいけない。
取材も最初、どう相手に聞くか悩みましたが、あとでこう考えました。人間はみな同じです。人が罪を犯したら、憎むべきなのはその罪であり、人間を憎むべきではない。人間にそういう行為させたのは当時の制度や教育、社会環境です。その歴史の原点に立って、この歴史問題をみなければならない。中国でも一面的な面もあります。被害ばかり強調したり、共産党の戦いを強調したりする一面もないわけではありません。日本もそういうことは避けてもらいたい。
歴史は生きています。日本と中国、民族政治を越えて、民衆の手でこの歴史に直面して、この問題を解決したい。私はそれを望んでいます」
この班忠義氏は、90年代初期、「曽おばさんの海」というルポルタージュでノンフィクション朝日ジャーナル大賞を受賞した。だから私はライターとしての班忠義氏のことは知っていたが、彼が映像のドキュメンタリストだったことを今回初めて知った。8年前にはドキュメンタリー映画「チョンおばさんのクニ」も制作している。
今回のドキュメンタリー映画は95年から撮影が始まっている。班氏は10年にわたって断続的に「蓋山西」たちを追い続けてきたのだ。私も94年暮れから98年まで韓国の元日本軍「慰安婦」たちをビデオカメラで追い続けていたが、その後、取材を中断してしまった。なぜ中断してしまったのか、自分でも明確な答えがみつからない。ただ、私は主に撮り続けてきた「絵を描くハルモニ」姜徳景さんが97年に亡くなったこと、その記録映像を翌年NHKのドキュメンタリー番組にまとめてもらったことで自分の中で一つの区切りをつけてしまったような気がする。2000年秋の第2次インティファーダ勃発以後、パレスチナ取材に専念するようになり、韓国への足も遠のいた。
ちょうど時期を同じくして、日本のメディアでも元日本軍「慰安婦」問題が取上げられる機会が急減した。NHK・ETV特集での「女性国際戦犯法廷」に関する番組改ざん問題は、その傾向にさらに拍車をかけた。一方、中学校の教科書から「慰安婦」問題の事実も消えようとしている。もう90年代半ばのような元日本軍「慰安婦」に関する関心はほとんど日本社会から失われつつある。
そのような状況の中でも、つまり日本で発表する機会がほとんどない状況の中でも、延々と北京から遠く離れた寒村で暮らす中国の元「慰安婦」たちの元へ通い続け、その声を拾い集め続けた班忠義氏のジャーナリストとしての誠実は姿勢、その執念に感銘する。それは私にとって「ジャーナリストとテーマ、その取材対象となる人々たちとの関係」を問い正されることでもある。
私も、9年前にほぼ書き上げていた元日本軍「慰安婦」に関する長い文章を公表する手段を模索している。94年から亡くなる97年まで関わってきた姜徳景さんという元「慰安婦」の半生を追い記録したルポルタージュである。9年前に脱稿しながら、なかなか出版してくれるところがなく、ずっとしまい込んでいた。「このテーマは出しても売れない」というのが、私が打診した多くの出版社の反応である。しかし亡くなる前に、「私たちの事実を伝えてくれ」と姜徳景さんに託された私は、この原稿をこのまま眠らせるわけにはいかない。本として出版するために追加取材をし、もしそれでも出版が難しければホームページ上で公表することを考えている。それはまた私にとって、急速に右傾化する今の日本社会で、ジャーナリストとしてやるべきことの一つでもあるという意識もある。北朝鮮の「拉致問題」や「核実験問題」に関してはさかんに報道される現状に象徴されるような「被害国日本」の強調の一方で、日本の“加害”の報道がいっそうできにくくなっている今の日本社会の空気に強い危機感を抱くからだ。
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