2007年10月17日(水)
イラクの混乱に日本は無関係か
昨日の日記に、「2004年4月当時のイラク報道は、『日本人人質事件』報道にすり替わった」と書いた。また、日本の自衛隊がサマワ入りすると、日本の「イラク報道」は「サマワの自衛隊問題」報道にすりかわっていく。そしてサマワから陸上自衛隊が撤退すると、日本では「イラク報道」は激減し、今ではほとんど報じられることもない。しかし、その後、イラクは内戦状態になり、連日のように何十人もの住民がテロの犠牲になっている。が、それは日本ではもう「ニュース」ではないのだ。「自分たち同士で殺しあう、どうしようもない野蛮な連中だ」と冷笑する空気さえ日本国内にはある。まさに「われ関せず」である。
だが、私たち日本人は、「われ関せず」で済まされる立場なのだろうか。言うまでもなく、現在の混沌としたイラクの現状はイラク戦争によって生み出されたものだ。まさにあの戦争によって、“パンドラの箱”を開けてしまったのである。
当時の小泉政権は、そのイラク戦争を始めたアメリカやイギリスを熱烈に支持し、その「アメリカへの忠誠心」をかたちで示すためにイラクの「非戦闘地域」のサマワへ自衛隊まで派遣した。2004年4月と11月、千人単位の住民が殺傷されたアメリカ軍のファルージャ侵攻に参加した海兵隊の多くが、日本の沖縄の基地から派遣された兵士たちである。そのファルージャの集団墓地で、現地住民の男性が日本人ジャーナリストの私に怒気をこめて「軍隊をイラクへ送った日本は、アメリカと同様に、我われの敵だ!」と叫んだ。インタビューしたバグダッド大学の学生たちの多くも、「日本はアメリカの同盟国だ」と言い切った。イラクの人々の中には、日本が、イラクに侵略し占領したアメリカと同じ立場にいると認識した人は少なくないのである。
つまり現在のイラクの混乱を招いた責任の一端は、イラク戦争を支持し加担した私たち日本にも間違いなくあるはずだ。しかし小泉政権を引き継ぐ自民党政権だけではなく、野党にもその責任を口にする者はほとんどいない。それどころか、自民党政権は、そのイラク戦争にも転用されていたインド洋での自衛隊による給油活動を「国際社会への貢献」のためとして、その延長を主張する。日本政府の言う「国際社会への貢献」とは「アメリカ政府への貢献」の代名詞なのに、である。そこには、自国が支持したイラク戦争の結果で、現在、これほど多くのイラク住民が苦しんでいるという反省の一欠片(ひとかけら)もない。
政府だけではない。ジャーナリズムの中からもそういう声は出てこない。ましてや一般国民は、である。まったく「われ関せず」の「他人事」である。
一方、アメリカと共にイラク戦争を始めたイギリスでは、現在のイラク情勢を招いたイラク戦争の結果の責任を取らされるかたちで、ブレア首相が退陣を余儀なくされた(それだけがブレア退陣の理由ではないにしろ、イラク政策の失政は大きな要因の1つだった)。しかし、日本では、誰も責任を取らない。またそのことを日本のメディアは追及しようともしない。そんなメディアを、「知識人」と呼ばれる人たちもジャーナリストも、そして一般国民も「おかしいではないか」と異論も唱えない。そしてテロの犠牲者の数を伝える小さなベタ記事を、日本人は「哀れなイラク人たち」と“憐憫の眼”で一瞥し、すぐに忘れ去る。こんな無責任な国と国民があろうか。もちろん、こうやって日記に書くばかりで、何も行動を起さない私を含めてであるが。
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