2007年10月22日(月)
“沈黙”を破った元兵士
エルサレムとテルアビブのほぼ中間にあるキブツに、一人のイスラエル人青年を訪ねた。現在、「ツアーガイド」の専門学校で学ぶ25歳のこの青年は、かつてヘブロンで兵役につき、その後、その自らの体験を公に語ることで、占領地でのイスラエル軍の活動の実態をイスラエル社会に訴える運動を続けている。
彼は3年間の兵役の中での自分の中の変化を「それはちょうど階段を登るようなもの」と表現した。
「1歩はとても小さなものです。最初は階下から始まる。毎日、少しずつ階段を登り、最後つまり兵役が終りになる3年後には、丘の上にいる。自分が最初の位置からずいぶんと離れたところにきてしまったことに気付くんです。自分の精神状態、自分自身が変わってしまっているんです。しかし兵役についているときは、それに気付かない。その変化の1歩1歩がとても小さいからです。今日はパトロールに出て、外出禁止令でも家に戻ろうとしないから、銃を向け脅かす。その次の日は、次のステップに出る。家に戻ろうとしない小さな子供に銃を向けるまでになる。しかしそれは、1つの階段の次の段に過ぎません。
占領地に最初に入ったとき、銃をもった他の兵士が警棒で老人をなぐるのを見て、『なんというひどいことだ』と思う。しかしその1歩1歩を登りだすと、3年後には、それをひどいと感じなくなっている。しかし日常は、そんな自分の変化に気付かないのです。
今は、過去を振り返って、なんと馬鹿げたことをやってきたんだと思う。また他の人々がそのことを告げる。そのときは当たり前だったことを、今は狂気じみた、非理性的な行動だったと思える。しかし当時は理にかなったことだったんです。自分が占領地の現場にいて、今のように非理性的だと判断できただろうか。できません。私はそういう判断はできなかったんです。成し遂げなければならない任務を与えられていたし、部隊の中では周囲の兵士たちが同じことをするんです。生徒が教室に入って、ある子が緑色の肌をしているのに、みんなが黒人だといえば、自分もそうだと信じ始めるものです。みんなそういう行動をとれば、そうなるのです。そんなふうに非理性的な行動をとってしまうんです。
何年もしてから、それが“非理性的な行動”だと気付く。中には自分の変化に気付いている者もいます。しかし、『自分は狂気じみたことをやっている。しかし他にどうすることができるというのだ。自分は兵士として占領地にいるのだから』と言うんです。そしてその議論は終るのです」「イスラエル人のすべてが軍隊の体験を持っています。だからその中で何が起こっているのかわかっています。だから秘密でもなんでもない。それは自分の“裏庭”で起こっていることだから、それを自分の家の窓から見ることさえできるんです。
しかし両親は、それを『ニュース』として観ます。しかし自分は兵士としてその“裏庭”である占領地にいて、そこでパレスチナ人の日常を目の当たりにするんです。同じ“絵”を観ているようだけど、現実は『ニュース』の“絵”とは違うんです。だからお互いそのことについて会話をすることはありません。3週間ぶりに休暇で友人を訪ねたときも占領地で何が起こっているのかなど話をしたいとは思わない。だから誰も現実に起こっていることを語ったりしません。禁止されていることではありません。しかし“タブー”なんです。
誰もが知っているのに、誰もがそれを否定するんです。これが重要な点です。自分が占領地とりわけヘブロンに来たとき、自分がそれまで学校で教育されてきたことは、事実ではないということを思い知ったんです。そしてその事実を教えてくれなかった人たちを責めました。ヘブロンの入植者たちが正気でないという事実をです。ヘブロンで入植者の子どもたちが私の脚元を走り回り、『これからアラブ人を殺すから、僕を止めないで』という。それもとても自然にです。そんな正気を失った『夢想者』たちをどうして自分たちは守らなければならないのか。自分の周囲の両親や教師たちは、占領地のことや入植者たちの問題をとっても安易に片付けてしまっていました。パレスチナ人にとっては深刻な占領も、イスラエル内では誰もがその問題にカバーをしてしまう。そしてその現実をカバーし受け入れるように教育されるのです。そして退役後、そのイスラエル社会に戻ると、そこで語られることに、『いったい何を語っているんだ。馬鹿げている』と思う。(占領地で起こっていることは)これまで私が教育されてきたすべてのことと、まったく反対のことだったんです。パレスチナ人が兵士に制止されて従うこと、それがヘブロンでは自然なことです。学校からの帰り道、パレスチナ人の子どもに、入植者の大人が子どもに投石をさせること、それも自然のことです。入植者は、相手がパレスチナ人だからと投石する、私はパレスチナ人とユダヤ人を引き離し、パレスチナ人に向かって銃口を向けるのです。それが私が受けた指令です。私への指令は、家へ帰るパレスチナ人を制止することであり、夜中に家に侵入して捜索することです。それが我われの指令です。住民は我われに従う。それが現実なのです。
そのパレスチナ人の扱い方、アラブ人とユダヤ人の隔離は、南アフリカでの黒人と白人の隔離、つまり“アパルトヘイト”のようなものです。人びとはこの表現を嫌うけど、それが現在、起こっていることです。私は今自問するんです。『なぜ私の歴史の先生はアパルトヘイトについて教えたんだろう。一方でなぜヘブロンで起こっていることを教えなかったんだろう。これが現実なのに』と。だから自分が裏切られてきたように感じるんです。なぜその現実を教えてくれなかったんだろうか。教えもせず、私たちを占領地に送ったんです。なぜなのか。一方で、教室の中で『正義』や『人権』などを教えながら、その教え子たちを占領地に送るんです。しかしその責任者は誰かを指差すことはしない。そのなかで、この“感情の重荷”をどうすればいいのか。だから私は“沈黙”を破ったんです」
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