Webコラム

日々の雑感 61
パレスチナ・2007年 秋 15

2007年11月12日(月)
エレズ検問所を通過できないガザの重病患者たち

 シェファ病院はガザ最大の公立病院であり、ガザ地区で最も設備と人員が整っているといわれる。イスラエル軍の攻撃や内部抗争の負傷者たちが真っ先に運ばれてくるのもこの病院だ。封鎖によって医療部門にどのような影響が出ているか取材するため、このシェファ病院を訪ねた。
 女性職員に1つの病室へ案内された。隅のベッドに顔色を失い、生気を失った青年が横たわっていた。その側に母親が沈うつな表情で座っている。青年は癌患者だった。
 母親の説明によれば、21歳のナエルは、6ヵ月前にこのシェファ病院で右の睾丸に癌が発見され、手術を受けた。しかし小康状態は1ヵ月しか続かなかった。すでに癌が他に転移していたのだ。これ以上の治療はシェファ病院の設備と人員では不可能だった。ナエルの家族は、イスラエル内の病院で治療を受けるためにガザ地区を出る許可を4度イスラエルに申請した。4ヵ月後、4度目の申請でやっと許可書を手にした。その間も治療の手立てもなく、ナエルの病状は悪化していた。
 10月10日、ナエルは家族に付き添われ、車椅子に乗って検問所へ向かった。残暑の厳しい日で、体力が衰えたナエルには、その移動さえも大きな負担だった。炎天下で通過許可を得るために待つ間、ナエルは何度も嘔吐を繰り返した。3時間半待たされたが、結局、ナエルは通行を許可されず、追い返された。通行許可書があるにも関わらず、である。
 シェファ病院に戻ったナエルの家族はその後、さらに3回、通行許可を申請し、イスラエルの最高裁にも訴えた。明日、その裁判結果が出るという。しかし、素人の私の目から見ても、もう手遅れだろうと察しがつく。ときどき目を開け、こちらに力のない視線を向けるその瞳はすでに黄色がかっていた。二言三言、言葉を発するのが精一杯だ。もう自力で飲食もできない。病院で今できることは栄養のための点滴と痛みを和らげる薬の投与だけだという。付き添う母親がその手で、しかめ顔で目を閉じる息子の頭を何度もなでた。なんとしても生き延びて欲しいという母親の思いがひしひしと伝わってくる。その老いた母親の姿が痛々しかった。

 イスラエルの病院へ運ばれる途中、エレズ検問所で待たされている間に死亡した外科医の遺族を訪ねた。ナズミ・アッシュール(54歳)が、高血圧で倒れたのは11月6日だった。ガザでは治療の可能性はなかった。家族はイスラエルへの移送の許可を申請した。30時間後、許可は下りた。意識不明のナズミに弟のジャミールが付き添った。ナズミはパレスチナ側の救急車でエレズまで運ばれ、そこでイスラエル人医師の立会いの下、イスラエル側の救急車に移された。しかし、付き添いのジャミールは別室で3時間半近い尋問を受けなければならなかった。尋問をしたエレズの責任者は「どこへ行くのか。目的は何か」など、許可書を見ればわかるような質問を延々と繰り返した。3時間半の尋問の後、その責任者は、「君のお兄さんは亡くなった」と告げた。イスラエル人医師が立ち会っていたにも関わらず、彼らは何の処置もせず、尋問の間、ただ救急車の中に瀕死のナズミを放置したと弟のジャミールは訴えた。エレズから入院を予定していたイスラエルの病院まで45分しかかからない距離だった。もしイスラエル側の救急車に移されてすぐに病院に運ばれていたら、助かったかもしれない。
 ナズミの死によって、10歳から17歳までの7人の子どもが遺児となった。

 他にも心臓病の子どもがイスラエルの病院へ向かう途中、エレズ検問所で4時間も待たされる間に死亡した例もある。封鎖後、検問所で通過を待たされている間に死亡した例は37例(ラファ検問所も含むと思われる)に及ぶと保健省の広報担当官は言う。そして現在もなお、ガザ地区で治療ができず、イスラエルやエジプト、ヨルダンでの治療を受けるために許可を申請しているガザの患者が、分かっているだけでも約400人いるという。

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