Webコラム

日々の雑感 74:
ガザの惨状と報道を私はこう観る

2008年3月4日(火)

 2月27日以来、パレスチナ・ガザ地区がまた悲惨な状況に陥っている。イスラエル軍による空爆と侵攻によって、3月1日だけでも死者は60人を超え(2000年に第2次インティファーダ以来、1日の死者数では最悪)、2月27日からの6日間で、パレスチナ人118人が殺害され、350人が負傷したと報道された(3月4日現在)。その多くが一般市民である。生後6ヵ月の赤ん坊が瓦礫の下敷きになって死亡した。隣接する「内務省」への空爆による瓦礫が寝室の天井を突き破ったためだった。またサッカーをしていた10〜15歳の少年4人も殺害されている。
 これほどの一般民衆の被害を非難する声にもイスラエル側は、パレスチナ人武装グループのロケット弾攻撃によってイスラエル人市民1人が犠牲になったことへの「報復」だと主張している。しかし、その直前にイスラエル軍がハマスのメンバー5人を空爆で殺害した事実は、この惨事に関する多くの報道からすっぽりと抜けている(『毎日新聞』(3月3日電子版)はこの事実をきちんと報道している)。
 今朝(3月4日)のNHK BS1『おはよう世界』のガザ情勢に関するスタジオでの出演者たちの会話は、そのような報道を象徴している。

(女性キャスター)
 「スデロットやアシュケロンへのロケット弾攻撃が続き、先週、イスラエル人男性が死亡したことが直接的な原因で、イスラエルにとっては自衛の権利、国内的には決して弱い立場は見せられない問題です。これに対してパレスチナ、国連など多くの国際社会からは『反撃するにしても、子どもを含む民間人の犠牲が相次ぐようなような攻撃は行き過ぎだ』という非難が出ているのです」

(女性アナウンサー)
 「双方の主張は平行線をたどっているわけですが、暴力の応酬を止めるために、ガザからのロケット弾攻撃をやめさせるという方法はないんでしょうか」

(女性キャスター)
 「これは今の状況では難しい情勢です。パレスチナのアッバス議長は、ハマスがガザ地区を実効支配して以来、ハマスとの交渉を断っており、ロケット弾を止めさせるための影響力というのは行使できないのが現状です。それではアメリカはというと、ハマスをテロ組織と位置づけていまして、交渉相手としては認めてはいません。アメリカはハマスを孤立化させ和平交渉を進める目論見でしたが、今回の問題が示しているのは、パレスチナが2つに分断された状況で、一方と和平を話し合いながら、もう一方と闘うというのは相容れない戦略で、今後もハマスをめぐる問題というのが大きな障害として立ちはだかると見られます」

 これが現在のガザの惨状に対する日本のメディアの一般的な捉え方といえるかもしれない。ではこの発言の何が問題なのか。
 まず第1は、前述したように、「現在のガザの事態はパレスチナ側のロケット弾でイスラエル市民が犠牲になったことに原因がある」という見方だ。前述したように『毎日新聞』はその直前のハマスメンバー5人の殺害にきちんと言及しているが、それに対してイスラエル側は「でもロケット弾攻撃はそれ以前からずっと続き、周辺のイスラエル市民の安全が絶えず脅かされてきたのだ」と主張するだろう。それは事実だ。だが、問題はそこから始まっているわけではない。私の『論座』(4月号)の記事に記述しているように、ハマス側はロケット弾攻撃は「占領への闘争の残された僅かな手段」と反論する。
 私は今回の事件の根源も、イスラエルの“占領”にあると考えている。「パレスチナ側のテロへの報復」「暴力の応酬」などという言葉は、問題の本質・根源からずれた、いや、意図的に本質・根源から目をそらすための、ひじょうに表層的な、またはとても狡猾な「議論」「主張」に過ぎないと思う。1948年に自分の故郷を追われ、難民として60年もの間、狭いガザ地区のさらに世界一の人口密集地とさえいわれる難民キャンプに閉じ込められ、さらにガザ地区の封鎖によって“経済的・社会的な窒息状態”に追い込まれ、真綿で首を絞められるような“占領”状況に置かれた人々。彼らが、その“占領”を排除しようと抵抗するとき、世界中から「テロリスト」と呼ばれ、非難される。そういう国際社会は一方で、“占領”という“構造的な暴力”、大きな意味での“国家テロ”についてはまったく口をつぐんでしまうのだ。こういう状況に自分自身が置かれたら、私たちはどういう思いを持つだろう、またどういう行動を取るだろうか。私たちはその状況を甘受できるだろうか。元イスラエル首相で現在、このガザ攻撃を指揮している国防相のエフード・バラクでさえ、かつて「もし自分がパレスチナ人に生まれていたならば自分はテロリストの組織に加わっていただろう」と認めている(『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策・1』ミアシャイマー&ウォルト著 [講談社]より)。私はパレスチナ人には“占領”に対して抵抗する権利は当然あると考えている(ただし一般市民を標的にする「テロ」には私は絶対同意できない。それを認めたら、今回のようにイスラエル軍が空爆や侵攻で一般市民を殺害する“国家テロ”をも認めなければならないことになる)。

 第2には、この女性キャスターの言う「和平」つまり国際社会、とりわけアメリカのいう「和平」という言葉の欺瞞性である。アメリカが言う「和平」とは「イスラエル国家が安全に生存していける状況」のことであり、決して「故郷を追われ“占領”下に置かれたパレスチナ人が権利と人間としての尊厳を取り戻す」ことではないのだ。本当にそうなのか、なぜそうなるのかの答えの核心は、前述した『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』という著書の中に明確に記されている。私自身、かつてイスラエル・ロビーについて取材し、『アメリカのユダヤ人』の中で、アメリカの中東政策でこのイスラエル・ロビーが強大な影響力を持つ現実とその影響力の根源について言及したことがあるが、この著書に改めて国際社会とりわけ中東情勢のなかで、「正義」などというのは存在しないのだと思い知らされた(この著書については近い将来、「日々の雑感」で改めて解説する予定である)。
 アメリカの言う「和平」を議論の土台に、またそれを“盾”にして中東の「平和的な解決」を語り諭すジャーナリストや知識人がいるとしたら、彼らは“現場の状況をまったく知らない、パレスチナ問題の素人”だと言っていい。

 以上が、今回のガザの事態に対する基本的な私の見方である。それを前提としたうえで、私はもう1つ付け加えておかなければならない。私は前述した『論座』の記事の中でこう書いた。

 ハマスの「アルカッサム軍団」はカッサム・ロケット弾によるイスラエルへの攻撃を続けている。「占領への闘争の残された僅かな手段」(先の武装戦士)だというその攻撃はほとんど効果はないが、イスラエル側は「報復」としてガザ地区を爆撃し、そのたびに多くの住民が犠牲になる。
 2月4日には、イスラエル南部のディモナで自爆テロが起こった。翌日、イスラエルの有力紙『ハアレツ』は、ハマスが公式に犯行声明を出したと伝えた。その報復としてイスラエル軍は5日にハマスの警察施設を空爆し、礼拝中の7人を殺害した。
 ハマスのこのような動きは、攻撃によってイスラエル側の報復を導き出し、住民に多くの犠牲者を出すことで、内側への不満と怒りをイスラエルという外の敵に転化するための“計算された作戦”のようにも見える。そして「テロリストを狙った」とイスラエル側が主張するその攻撃で、いつも多くの無辜の民衆が巻き込まれることになる。「住民は3つの勢力(イスラエル・ハマス・アッバス政権)の犠牲者」というあのパレスチナ人の声が改めて蘇ってくる。

 この文章はほぼ1ヵ月前の2月初旬に書いたが、今の事態のなかでも、私は基本的に間違ってはいないと思っている。
 前例のないほど大量の犠牲者を出したガザの情勢のなかで、一般民衆は何に怒っているのか。その加害者・イスラエルに対する怒りは言うまでもない。ただ、住民の怒りは、イスラエルに対してだけだろうか。これほどの「報復」を誘発したロケット弾攻撃、それを行なうハマスなど武装勢力にも怒りは向かってはいないだろうか。『毎日新聞』(2月28日電子版)は、「イスラエル軍に報復されてロケット弾攻撃の代償を支払うのは武装勢力ではなく、我われだ」(男性・47歳)と憤るガザ住民の声を伝えている。また『朝日新聞』(3月2日)もこう報じている。「ジャバリヤにあるハマスの発射基地の近くに住むファフリ・エラクアさん(50)は『覆面姿の連中が発射装置を埋めに来るので、危ないからやめてほしいと頼んだが断られた』と語った。ガザの市民が死亡するたびに、『ロケット発射をやめろ』とは言いにくくなっているという」
 さらに今朝(3月4日)のBBC放送は、ロケット弾攻撃でイスラエルの攻撃を誘発したハマスに対する怒りを露にする住民の声を伝えた。
 前述したように、占領されるパレスチナ人には抵抗する権利があると私は思っている。しかし、『論座』に書いたように、ハマスのロケット弾攻撃の動機は、単に「占領への抵抗」だけではないような気がしてならない。昨秋、ガザでハマスの支配状況と住民の反応を取材して感じたことは、「ハマスは本当に民衆の生活の安定と幸福を最優先に考えて行動しているのだろうか」という疑問である。そのことを私は昨秋、ガザ地区からの「日々の雑感」の最後に記した。
 しかしそうだから言って、私は「ハマスは殲滅すべきテロ組織」というイスラエル側に決して与しはしない。イスラエルはあらゆる手段を使ってハマスを民衆から乖離させるためにやっきになっている。私のような意見こそが、これを助長するものではないかと疑問を投げかける人もいるだろう。しかしその現実に目をつぶり、イスラエルだけを非難しているだけで、長期的にほんとうにパレスチナ人民衆の利益につながるとは思えない。
 私は第2次インティファーダ前後のパレスチナの状況を思い起こす。インティファーダが勃発するまでの7年間、民衆はアラファトを頂点とする自治政府の腐敗と無能に不満と怒りを募らせて、それは沸点に達しようとしていた。しかし、イスラエルがインティファーダを力でねじ伏せ、パレスチナ側に前例のないほどの犠牲者が出ると、その自治政府への怒りは、イスラエルへの怒りに転化されていった。アラファトは、自分が始めたわけでもないインティファーダを、自分の政治的な立場を強化するために利用していった。そこには、「民衆の犠牲を最小限にとどめるために何をすべか、どんな有効な政治判断と手法が有効なのか」という発想があったようには見えない。むしろその犠牲とそれによって増幅される民衆の怒りをアラファトは利用したと私は観ている。
 インティファーダによって確かに自治政府の腐敗と無能から民衆の目は一時的には逸らされた。しかし問題の根源は何一つ解決されず、それが2年前の評議会選挙で、ハマスの圧勝とファタハの敗北へとつながっていった。
 私は、今の状況が第2次インティファーダの勃発当時に似ているような気がしてならない。イスラエルの暴挙は当然、非難すべきだ。だが、それと同時に、パレスチナ内部の矛盾から目を背けてはいけない。今の状況が、パレスチナ内部の問題に蓋をする結果になってはいけないのだ。もしそうなれば、その問題はさらに増幅し、近い将来、もっと深刻な状況をパレスチナ社会に生み出してしまうからである。

 最後に私のHPにリンクしている学生ボランティアによるイスラエル英字紙『ハアレツ』の翻訳プロジェクト『Haaretz Headline』について説明をしておかなければならない。
 このガザの事態について『ハアレツ』は、イスラエル側の視点から報道を続けている。いくらリベラルな新聞とはいえ、やはり「イスラエルの新聞」である。そのことについて、ある知人から、こういう指摘を受けた。

ハアレツの翻訳サイトについては、選択/紹介されているものに、イスラエルの被害の記事が目立ち、またイスラエルの身勝手な見解を注釈なしでそのまま翻訳していることで(例えば「イスラエル軍は昨日、ガザでテロ活動に対しての空からの攻撃を行い、少なくとも10名のパレスチナ人を殺害した」とありますが、このとき殺された多くが一般の民間人で、サッカーをしていただけの子供や生後6ヶ月赤ちゃんも含まれていたはずです)、すでに日本のメディアの報道によって醸し出されている「ガザ攻撃はあくまでも報復なのだからやむなし」だとか「ガザ攻撃はあくまでもテロ掃討作戦」(実際に「掃討」という言葉を使っている新聞もあります)というムードを強調することになっているようで少し気になっています。また、イスラエル政府の見解を注釈なしで掲載することで、図らずもイスラエル政府の代弁をするサイトになりはしないかという心配もあります。

 この指摘に私はハッとさせられた。アラブ側とりわけパレスチナ側からの情報が掲載されないなかで、イスラエル側からの情報だけを掲載してしまえば、たしかに「図らずもイスラエル政府の代弁をするサイトになりはしないか」と疑問を持つ読者は多いだろう。至急、アラブ側、パレスチナ側からの情報を同時に掲載すべきだと思い、今その手段を模索している最中である。
 ただ私はこの『ハアレツ』翻訳を私のHPにリンクすることは間違ってはいないと思いなおしている。「パレスチナ側の情報・主張とバランスを取るため」というわけではない。やはりイスラエル国家、イスラエル人の発想、思考経路、メンタリティー、そして社会の空気は、たとえ“親パレスチナ”の読者の人たちもきちんと知っておく必要があるからだ。そうではないと、イスラエルがなぜこういう行動を取るのか、どこに解決の糸口があるのかを知る手掛かりを得ることができないからである。
 もう1つは情報の“信憑性”のためである。パレスチナ側の主張・情報だけに頼ると、「それはパレスチナ人側の被害妄想からくる誇張かもしれない」と勘ぐる読者は少なくないはずだ。しかし『ハアレツ』がパレスチナ人の状況を伝えるとき、「過小に記述しているかもしれない」と疑う者はいても、誰も「誇張がある」とは思わない。「イスラエルの新聞さえ、こう伝えているのだから、嘘ではないだろう」と考える人は少なくないはずだ。占領地に自ら住み着き、現地から“占領”の実態を克明に報道し続ける『ハアレツ』のイスラエル人記者アミラ・ハスの記事が世界に衝撃を与えているのは、イスラエル人がパレスチナ人の状況を伝えているからだ。もちろん彼女のジャーナリストとしての類まれな才能も大きな要因だが、やはりそれだけではないと思う。優秀なパレスチナ人またはアラブ系イスラエル人の記者が、現地からアミラのような素晴らしい記事を書いたとしても、これほどの反響を呼びはしなかったろう。
 いろいろ批判はあるだろうが、以上のような理由で、たとえイスラエル側の主張・見方が前面に出た記事であっても、私はあえて自分のサイトから『Haaretz Headline』へのリンクを続けようと思う。

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