2008年4月27日(日)
【第2章】イスラエルは戦略上の“資産”か“負債”か?
- 「イスラエルへの変わらぬ支援は、すべてにわたる米国の戦略的利益を反映しているのだ」と説明されている。つまり米国がイスラエルを後押しするのは、そうすることで米国全体がより安泰になるからだというわけだ。
この第2章では、この見解がよく言って時代遅れ、悪く言えば完全な誤りであることを示す。(P.97)
- 実際、イスラエルは米国にとって戦略上の資産=役に立つ国ではなく、戦略上の負債=お荷物になっているのだ。イスラエルをこれほど強力に後押しすることで、米国は攻撃されにくくなるどころか、されやすくなっている。また米国が重要かつ緊急の外交政策目標を達成することを困難にしてもいる。(P.97)
- トルーマン大統領が国連によるパレスチナ分割案を支持し、イスラエルを承認したのは戦略上の必然性からではない。それはトルーマンが純粋にユダヤ人の苦難に同情したからだ。また「ユダヤ人が彼らの大昔の故郷の地に帰るのを認めることは望ましい」という、ある種の宗教的な信念からだった。さらに、イスラエルを承認すればたくさんのユダヤ系米国人に強く支持されるので、内政上の利益が得られることを知っていたからである。(P.98)
- トルーマン政権の政策立案部門のジョージ・ケナンは1948年、内部メモにこう記している。「政治的シオニズムの最終目標を支持することは、中東での米国の安全保障目標全般に害を残すことになるだろう」と。ケナンは具体的に「支持はソ連へ好機を与える可能性を高め、石油取引権を危険に晒し、中東での米国の基本となる権利を損なう」と論じている。(P.98−99)
- “戦略上の資産”というイスラエルのイメージは70年代に根を張り、80年代半ばには“信条”となった。
67年から89年までのイスラエルの戦略的価値を支持する主張には難しい話は何も何もない。中東における米国の手先として仕えることで、イスラエルは「米国が中東という重要地域へソ連が膨張してくることを封じ込める」のを手助けした。(P.99)
- イスラエルが米国という圧倒的に力のある協力相手を手助けできる余地は、もともと限られていた。
第1の理由は、米国がイスラエルに肩入れすることが、そもそもエジプトやシリアなどの国々をソ連の勢力圏へ押しやる大きな役割を果たした。
第2番目の理由は、米国の対イスラエル支援によってソ連への圧力は増した。しかしこの支援はアラブ・イスラエル間の対立を焚きつけた。また解決への歩みの邪魔もした。
第3の理由は、60年代と70年代の米国・イスラエル関係の拡大と深化は、アラブ・イスラム世界の反米主義の高揚にも寄与した。
アラブ側の敵対意識は、米国による対イスラエル支援が増えるにしたがって増大した。
- ハリー・ショー(85─86年に大統領行政管理予算局の軍事支援部門の元責任者)
「イスラエルのヨルダン川西岸地区への入植政策は米国の利害と噛みあっておらず、米国の政策と矛盾する。そしてイスラム原理主義者の影響力を強めることになる。またイスラム原理主義者以外のアラブ人の中で、“中東の安定”に関心を持たない者の影響力を強めることになる」(P.103)
- 「石油という武器」(1973年の第4次中東戦争期間中に行われたアラブの石油禁輸措置や石油減産)を使う決断は、ニクソンがこの戦争中にイスラエルへ22億ドル(2600億円)の緊急軍事援助提供を決めたことへの直接的な対抗策だった。これは米国経済に相当な損害を与える結果となった。石油禁輸・減産のために米国にかかったコストは、石油価格の上昇と2%のGDP減少により、74年だけでも485億ドル(5兆8千億円)にのぼった。(P.104)
- 03年のイラク侵攻前にイスラエルは米国に対して、イラクの大量破壊兵器事業について人騒がせな報告を提供している。これによってイスラエルはサダム・フセインの本当の危険を米国が誤算する原因をつくった。(P.106)
- 82年のレバノン侵攻はこの地域の安定を損ね、ヒズボラの結成を直接引き起こした。ヒズボラは米国大使館と海兵隊兵舎の攻撃を行って250名を超える米国人の生命を奪う破壊攻撃を実施したと多くの者が考えている。(P.106)
- テルアヴィブ大学“ジャフィー戦略研究センター”の元所長シャイ・フェルドマン
「できるだけ『イスラエルを米国にとっての戦略的資産である』と見なしてもらうことの重要性は、両国関係の他の要素の重要さには及ばなかった」
“他の要素”とは、フェルドマンによると、「ホロコースト後のイスラエルへの同情」「政治的価値化の共有」「弱い立場というイスラエルのイメージ」「共通の文化によるつながり」「そして米国政治におけるユダヤ人社会の大きな役割」だった。(P.110)
- (91年の湾岸戦争時に)サダム・フセインはイスラエルの反撃を引き出せば、(米国と同盟諸国)の連合は潰れると考えて、スカッド・ミサイルをイスラエルに撃ち込んだ。このとき米国はイスラエルを守り、イスラエルを参戦させないようにすべく、パトリオット・ミサイルなどの資源をここに割かなければならなかった。もちろんイスラエルに責任はない。しかし、これによってイスラエルがどの程度まで“資産”ではなく、“負債”になっていたかがわかる。(P.111)
- バーナード・ルイス(イスラエル支持者として著名な中東史家)
「イスラエルの戦略的価値の変化は湾岸戦争ではっきり証明された。米国がイスラエルに最も望んだことは紛争から距離を置いてもらうこと、つまり静かに動かず、そして可能な限り目に入らないようにしてもらうことだったのだから。イスラエルは“役に立つ国”どころか“あてはずれの国”である。“厄介者”と言う人さえいる」(P.111)
→ 次の記事へ