2008年4月30日(水)
- 9・11同時多発テロの後、米国によるイスラエル支援の主たる戦略上の論拠は「米国とイスラエルは今や“テロとの戦い”のパートナーである」というものだ。この新しい根拠づけは「両国は同じ連中から脅かされている」だった。両国を脅かすのは同じテロリストグループであり、このグループを援助し大量破壊兵器獲得を図る同じ“ならず者国家群”である彼らの、イスラエルと米国への敵対心は、西洋のユダヤ・キリスト教の価値観、文化、民主制に対する根本的な嫌悪のためだという。言い方を変えると、彼らが米国を憎むのは「米国がすること」のためであり「民主的だから」憎むのだ。「イスラエルがイスラム教徒の聖地を含めたアラブの土地を占領したから」とか「アラブの人々を抑圧したから」憎むのではないのだ、と。(P.114)
- 01年の終りにアリエル・シャロンは米国を訪問した際にこう述べている。「みなさんは米国でテロとの戦争を戦っています。私たちはイスラエルでテロとの戦争を戦っています。同じ戦争なのです」(P.115)
- この新しい論拠が言外に意味しているのは、「イスラエルの支援は、米国のテロ問題あるいはアラブ世界で拡大している反米主義には何の役割も果たしていないということだ。そしてイスラエル・パレスチナ紛争を終らせても、また米国のイスラエル支援を条件付きのものにしてみたところで問題解決の助けにならないこと。それゆえに、米国政府はパレスチナ人とヒズボラのようなグループの扱いをイスラエルに自由にさせるべきだということ。さらに米国政府はすべてのパレスチナ人テロリストが収監され、態度を改め、あるいは死ぬまでイスラエルに譲歩を迫るべきではないこと。そのかわり米国は、イスラエルに大量の支援を行うべきこと。またその力と資源を用いてイラン・イスラム共和国、サダム・フセインのイラク、バシャール・アル・アサドのシリアその他のテロ支援国家と目される国々を叩きのめすべきことであること」(P.115)
- 客観的に見ると、「テロとの戦争」において、またいわゆる“ならず者国家”への対処を行うにあたっても、イスラエルは“お荷物”である。
新しい戦略上の論拠は「テロリズム」をただ1つの、統一された現象であると見なしているところから「パレスチナ人の自爆攻撃が米国に与える脅威の大きさは、イスラエルに与える脅威の大きさと同じである」との見解が出てくる。同時に、「9・11で米国を攻撃したテロリストたちは、イスラエルをも標的にしている統制のよくとれた世界規模でのテロ活動グループの一味である」との見解が出てくる。しかしこの考えは「テロリズムとは何か」についての根本的誤認にもとづくものだ。テロリズムとは一個の組織、運動ではない。あるいは宣戦を布告できるような1つの「敵」ですらない。テロリズムとは敵の標的、とくに市民を無差別に攻撃する単なる戦術でしかない。その狙いは、恐怖を植えつけ、士気を削ぎ、敵側に望ましからぬ反応を引き起こそうとすることにある。テロリズムは歴史上、多くの集団がバラバラに、その時々でとってきた戦術だ。通常これは「自分たちが敵に対してはるかに弱いため、軍事力で勝っている敵と戦うにあたって、他によい方法がない場合」にとられる戦術である。(P.119)
- 私たちは「テロという闘争手段をとっている集団は常に米国の重大な利益を脅かすわけではないし、米国は時には積極的にこのような集団を支援している」ことを思い出す。(P.119)
- 今日ではパレスチナ人のテロ活動は、終ることのないイスラエルによるヨルダン川西岸地区の植民地化への対抗として行われる。それはパレスチナ側の弱さを反映しているのだ。67年にこれらの領地を手に入れたときには、そこにはユダヤ人はほとんどいなかった。しかしイスラエルはその後の40年を費やして、入植地、道路網、軍事基地建設によって植民地化を行った。一方この侵犯行為へのパレスチナ人の抵抗をイスラエルは無慈悲に弾圧している。パレスチナ人の抵抗運動が頻繁にテロを行ってきたのも不思議ではない。それは支配された人々が強力な占領軍に反撃するときの普通のやり方だ。(P.121)
- 「イスラエルと米国はテロリストからの脅威を共有することで一体になっている」という主張は因果関係が逆になっている。(中略)本当は、米国がテロの問題を抱えている理由のかなりの部分が、米国が長らくイスラエルを支援してきたためである。「米国のイスラエル支援は、イスラエル以外の中東地域では不人気な事実を目にした」という話は、米国のニューズの主要項目に上がることすらまずない。この何十年間かイスラエル支援が不人気なのは事実だ。にもかかわらず「米国の、一方に偏った政策がどれほど高くついたのか」多くの人々は気づいていないのだ。これらの政策はアル・カイダを勢いづかせただけではない。アル・カイダの人員確保をも容易にした。(P.121)
- イスラエル擁護派が「米国によるイスラエル支援こそが反米テロを煽り、反米の拡大を促している」と認めたとしよう。すると彼らは「イスラエルへの無条件の支援は、実のところ相当なコストを米国に課している」と認識せざるを得ない。このような認識はイスラエルの正味(ネット)の戦略的価値に対して疑問を投げかけることになる。この認識からは「イスラエルはパレスチナに対して、これまでのような手荒なものではない別の取り組みを行うという条件付きで、米国政府は支援を行うべきだ」という論調が出てきてしまう。(P.123)
- 「米国のイスラエル支援がアラブ・イスラム世界で反米を助長し、反米テロリストたちの怒りを煽っている証拠」は現に豊富に存在する。(中略)イスラム過激派の言う「西洋によるアラブの石油の盗掘」にも、腐敗したアラブ王朝への支援にも、この地域に繰り返し行われる軍事介入などに対しても彼らは純粋に怒りを感じている。一方で彼らは、米国のイスラエル支援とイスラエルによるパレスチナ人に対する乱暴な扱いにも怒っている。((P.123)
- ラムジ・ユセフ(93年のワールド・トレードセンタービルへの1回目の攻撃の首謀者)
「ユセフの良心の呵責は、イスラエルの軍隊によるアラブ人の殺害を止めたいという願望の強さに勝るものではなかった。また『米国の標的を爆弾で攻撃することは変化を起す唯一の方法である』という彼の信念にも勝るものではなかった」(スティーブ・コル著『ゴースト・ウォーズ』)(P.124)
- 「青年期のビン・ラディンは概ね温厚で行儀がよかった。オサマの行儀のよい、対立を好まない態度の中で例外と言えば、パレスチナを支持する時と米国とイスラエルに対する否定的態度だったという」(CIAのアル・カイダに関する情報部門の責任者)(P.125)
- 「パレスチナ問題はビン・ラディンの課題に後から付け足されたものではなく、はじめから中心課題だった。そのことはこの書簡が明確にしめしている」(ビン・ラディンの声明の編集者)(P.125)
- 97年3月CNNのピーター・アネットは「なぜ米国に対する聖戦を宣言したのか」とビン・ラディンに尋ねた。彼はこう答えている。
「われわれが米国政府に宣言したのは米国が不公正で、犯罪的で、暴政的であるからだ。米国政府は極端に不公正で、忌まわしく、犯罪的な行動を直接とってきた。間接的にも、米国政府はイスラエルによる“預言者(ムハンマド)が夜旅を行った聖なる土地パレスチナ”の占領を支持することで、犯罪行為をとっている。そしてパレスチナ、レバノン、そしてイラクで殺された者に対して、米国は直接責任を負っているとわれわれは考えている」((P.126)
- 米国がイスラエルを後押ししていることに対するビン・ラディンの怒りは、9・11攻撃のタイミングだけではなく、標的の選択からもうかがえる。作戦の主犯格のアタとビン・ラディンの間で、99年遅くに最初の打ち合わせが持たれた。このとき最初の計画は連邦議会議事堂の攻撃をあげていた。その理由は議事堂がイスラエルを支援する米国の政策の源と受け取られていたからだ」((P.127)
- 9・11調査委員会は、ハリッド・シーク・モハマドが主としてパレスチナ問題を動機として行動していたと記している。モハマドは委員会が「9・11攻撃の中心的立案者」と報告している人物だ。委員会によると「彼自身の説明によれば、ハリッド・シーク・モハマドの米国に対する敵意は、米国での学生時代の経験に根ざすものではなかった。それはイスラエルに好意的な米国の外交政策への激しい反対から来るものだった」という。これは9・11攻撃を引き起こすにあたって、米国によるイスラエル支援が演じた役割がはっきり示されている。(P.128)
- 今ではインターネットの発達と「アル・ジャジーラ」など情報発信の場の登場により、虐殺報道は四六時中、世界に流されている。イスラエルがパレスチナ人に暴力をふるっているという事実があるばかりではない。アラブ人と世界中のイスラム教徒は、暴力が米国製の武器で行われていることを見ることができる。またそれが米国の暗黙の了解の下で行われていることも。この環境は米国を批判する者に有利な情報を提供している。ヒズボラの指導者シーク・ナイム・カッサムが06年12月、レバノンの群集に「政治の場ではレバノンには、もはや米国の居場所はない。レバノン人に火を噴いた武器が米国製であることを思い起こされないのか」と告げたのはこうした理由があってのことだ。(P.128)
- 「パレスチナ問題ほど、アラブ世界や他地域のイスラム世界の大衆に大きく影響するものはない。アラブ世界・イスラム世界で米国に対する認識に一番影響を与えるものはパレスチナ問題であり、それ以上の問題はない」(中東の専門家・ジブリー・テルハミ)
- 「パレスチナ問題以上に、アラブ人が広く強烈に米国に怒りを感じる問題は他にはない。なぜなら歴史の解釈で、いつもは対立するアラブの世俗派とイスラム至上主義者が一致を見るのはパレスチナ問題に関してだからだ」(ウサマ・マクディーシ)(P.129)
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