2008年5月7日(水)
周囲のジャーナリスト仲間から、「劇場上映で大成功した珍しいドキュメンタリー映画だ」という評判は聴いていながら、これまでなかなか観る機会のなかった『ダーウィンの悪夢』を昨夜やっとDVDで観た。
アメリカの医療保険制度の実態を描いたマイケル・ムーアのドキュメンタリー映画『シッコ』と同様、強烈な衝撃を受けた(『シッコ』公式サイト)。「ドキュメンタリー映画とはこうものなのだ」と思い知らされる衝撃である。2本の映画の共通点は、社会問題の「現象」をなぞるのではなく、その問題の“構造”を描いてみせているところだ。しかも平面的にではなく、多角的・重層的に、である。
舞台はアフリカ最大の湖でナイル川の源であるビクトリア湖の湖畔の町ムアンザ(タンザニア)。この町にはインド系資本家が経営する従業員1000人を超える魚加工工場がある。その魚はナイルパーチ。体長2m、重さ100キロという巨大な肉食魚だ。スズキに似ていることから、日本にも「スズキ(ナイルパーチ)」として輸入され、ファミリーレストラン、学校給食、弁当の材料として使われている。
だがこのナイルパーチは元来、この湖に生息していた魚ではなく、英国植民地時代の1954年、湖に生息する淡水魚の乱獲によって漁獲量が激減したため、窮余の策としてナイルパーチという外来魚が放流されたものだ。
このナイルパーチの繁殖によって、一時、漁獲量は飛躍的に伸び、海外へ輸出するなど、大きな経済効果をもたらし、大成功したかに見えた。しかし地元の人は、高価なために、ほとんど口にすることができず、輸出に回されている。
ナイルパーチの繁殖はビクトリア湖にもう1つ深刻な問題を生み出した。元々、この湖には沿岸の藻類などを食べる草食性の魚が生息していて、湖に藻がはびこるのを防いでいた。藻類が繁殖しすぎると、湖が酸欠状態になってしまう。しかし、ナイルパーチが増え草食性の魚を食い荒らしたため、藻を食べる魚の激減で藻類が繁殖してしまった。酸欠状態になった湖で、在来種が絶滅の危機に瀕し、湖の生態系は壊滅的な状態になっているという〔「ビクトリア湖の悲劇、ナイルパーチ」参照〕。
映画『ダーウィンの悪夢』は、とりわけ前者の問題の“構造”を、住民の声を丹念に拾い上げ、生活を克明に描き出しあぶり出していく。
ナイルパーチの加工産業や輸出に群がる資本家や外国人たち。それに群がり生きる地元の売春婦たち。農業で生活できず、ナイルパーチ産業に「栄える」ムワンザの町に出てきた元農民たちも容易に仕事につけない。一方、これまで在来漁を獲って細々と生活してきた漁師たちもナイルパーチに食い荒らされて漁場を失い、貧困状態に追い込まれる。ヨーロッパへの輸出魚ナイルパーチの価格高騰によって、貧しい住民は魚を口にすることもできない。そして蔓延するエイズ、親を失った子供たちはストリートチルンドレンとなっていく。食べ物を奪い合う殴り合いの喧嘩、ナイルパーチの梱包材である発泡スチロールを燃やして煙を吸い、幻想の世界に逃れようとする子どもたち。
一方、ナイルパーチ加工工場で切り身を取った魚の残骸(頭部と僅かに肉がついた骨)は下請け業者に買い取られる。低賃金で雇われた貧困住民よって日干しにされるその残骸は、一部が腐乱しウジがわいている。そのウジを裸足で踏みつけがら、作業する住民は、その健康も蝕まれていく。腐乱した魚肉から発生するアンモニアによって片目を失った老婆も、他に生きる手段がないのだ。
このムワンザの現地住民が置かれる状況が、どのような“グローバルな構造”の中で起こっているのかを、さまざまな登場人物に語らせることで浮き彫りしていく。
■ 住民参加型漁業をめざす国際ワークショップで
「ナイルパーチが漁業計画を狂わせます。この魚が未来を奪っている。男が1人、この湖にバケツ1杯のナイルパーチを放流した。それによってナイルパーチは世界第2の湖を不毛な穴にしています。漁師が餓死してます」と伝えるドキュメンタリー映像。
それに対し、タンザニア政府の大臣はこう反論する。
「この映像は1つの断片です。ある場所だけを30分撮ることも可能です。でも汚染地域ばかりを撮るべきでしょうか。私たちは緑色に汚染された水を十分見せられた。でも私たちがここで売り込みたいのは、ビクトリア湖なのです」■ 在タンザニア欧州委員会の代表が記者会見で、こう語る。
「参加各国の代表や大使、執務担当官は(このムワンザで)魚を試食し、報告を聴きました。魚を加工する過程も視察しました。タンザニアからEUへの最大の輸出品はこの湖の魚で、全体の25%になります。
EUへの輸出が認められたのは1999年。EUはこの国で優れた仕事をしました。魚加工産業へのインフラ整備を整えたのです。後はムワンザの人びとの経営手腕次第です。私たちが見てきた工場はすでに国際レベルです。衛生管理体制や加工工程は完璧です」■ ナイルパーチ加工工場経営者(インド系)が飢餓の危機を伝える地元新聞の見出しをみながら語る。
「事実はわかりません。飢餓が起こるのですか。雨が少なかったのは事実です。稲作は大量の雨が必要です。最低でも3日間は大雨が降らないと、次の年にはコメがなくなります。今は充分コメがあっても価値が急騰します。誰も買えなくなるでしょう。コメは姿を消します。人びとの食料ですか? 輸入に頼るのではないでしょうか」■ 食堂で住民がじっと見入るテレビニュース
「世界食料計画は国連加盟国に1700万ドルの援助を要請しました。タンザニア中部と北部の食料不足に苦しむ200万人を救うためです。
半数以上の国民の生活消費水準は1日1ドル以下です。
政府は食料不足はないと主張します。問題は多くの市民が食べるものも経済力もないということです。食料は売られていても、それを買える人はわずかです。援助物資を公平に分ける手段を考えなければなりません」■ テレビニュース
「EUはナイルパーチを確保するため、約40万ドルをタンザニアに援助した」
この“構造”は、日本と東南アジアとの関係に実に類似している。『エビと日本人』(村井吉敬・著/岩波新書/『エビと日本人 2』)に描かれた構造はその象徴的な一例だろう。世界一、エビを消費する日本人。その輸入先の東南アジア諸国では、エビ生産のためにマングローブの森林が破壊されていく。また“現金収入”につながる輸出用のエビ生産のプランテーションへの集約化によって現地の従来の漁業は破壊され、漁民は生活が困難になっていく。一方、輸出用のエビの値は高騰し、現地の住民は口にすることもできなくなる。さらにエビの輸出で豊かになった一部の住民や資本家たちは購買力がつき、電化製品など日本からの工業製品の絶好の“顧客”となっていく。つまり経済のグローバル化のなかで、資源に恵まれているはずの開発途上国が先進国にいいように食い物にされていく実態である。
このドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』は、アフリカのビクトリア湖畔を舞台に、グローバル化が引きこす普遍的な問題を私たちの前に提示している。(つづく)
関連サイト:映画『ダーウィンの悪夢』公式サイト
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