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2008年5月8日(木)
このドキュメンタリー映画はアフリカが抱えるもう1つ重要なテーマを描き出している。ヨーロッパ諸国からアフリカの紛争地への武器密輸の問題である。
この映画の冒頭はナイルパーチをヨーロッパへ運ぶ飛行機が登場し、ラストも魚を積んでムワンザ空港を飛び立つ飛行機の機影で終っている。映画中でも何度も、空港や輸送機が登場する。中でも、55トンものナイルパーチを輸送することができる世界最大の輸送機の1つ、ロシア製の「イリューシン76」はその象徴だ。パイロットもロシア人である。ロシアの飛行機が重宝がられるのは、他の航空会社より安価で、積載量が大きいからだ。
だがこの輸送機が運ぶのはナイルパーチだけではないのではと疑うこの映画の監督は、ナイルパーチ加工工場の経営者や輸送機のパイロットたち、また彼らが群がる売春婦たちに、その問いをぶつけ続ける。しかし返ってくる返事は、「輸送機は空(から)でムワンザ空港へやってきて、帰りは魚を満載にしてヨーロッパへ帰っていく」という内容ばかりである。
しかし映画の後半で、さまざまな人びとの証言からだんだんとその実態が明らかになっていく。
■ 輸送機のロシア人無線士の証言
「初めてアフリカに来たのはたしか1993年だ。その後は週に1度は来ているが問題はないよ。アンゴラには2ヵ月いた。ザイールやコンゴは3ヵ月だ。(Q・戦争が多いんですか? それとも仕事?)
「戦争さ。アフリカの戦争は単純な戦争ではない。幾つもの国が関係しているんだ。2つの国の間で殺された男がいても、その男はひょっとしたら第3国に殺されたのかもしれない。でもテレビと国連は『死亡1名』と報告するだけだ。国連は膨大な食料を援助している。(Q・食料を運んだ?)
「ああ。もう戦争はない。いたるところに空腹な人びとがいるだけだ。なぜならここの黒人は働かない」(Q・でもあなたがしているのは……)
「政治の話はしたくないよ。俺は政治家ではない。俺は無線士でしかないんだ」■ 輸送機のロシア人パイロットの証言
「アフガニスタンへ行ったんだ」(Q・何を運んで?)
「分からないよ。オランダの雇い主だ」(Q・積んでいたのは多分弾薬だろ?)
「分からんが、それも輸送品の一部だ」(Q・アフリカに弾薬を運んだ?)
「それはない」■ 町の青年画家の証言
「戦争する国をイギリスとかが援助している。ナイジェリア軍が弾薬をシオラレオネのルンギ空港で入手している」■ ガードマンが地元新聞記事を読み上げながら説明する。
「タンザニアの保安官が起訴された。飛行機による武器密売に関与した疑いで、ナイルパーチを運ぶ輸送機さ。『東アフリカ新聞』の政府筋の記事では、ムワンザ空港は武器密売の中継点だ。アジアや中東、ヨーロッパの武器商人の手で紛争の起きている地域へ密輸される武器が最初に到着する場所らしい。新聞によると、ムワンザ空港は管理体制が万全ではなく、ビクトリア湖周辺地域への武器流入が容易になってしまったようだ」■ ジャーナリストの証言
「飛行機は魚を運ぶ以外にも目的がある。ムワンザに直接来るのではない。欧米諸国から輸送品を積んでくる。それらのほとんどは武器と弾薬で、紛争地域にそのまま運ばれている。コンゴ民主共和国、リベリア、スーダンなどアフリカ各地に武器を運んだ後、魚を積んで帰るんだ。飛行機の持ち主は分け前をもらえる。
武器を製造するのもヨーロッパ、現地にも監視官はいるが、見て見ぬふりだ。アフリカ人の窮状で利益を得るのはヨーロッパ人だから。国連高等難民弁務官事務所に人を送り、食料や薬品を供給する。彼らにとってこれはビジネスで、ヨーロッパ人はこの状況を歓迎している。
だが最良の解決策は“予防”だ。アフリカへの武器流入を阻止すれば、我われを襲っている“病”を未然に防げるのに」■ ロシア人パイロット
「アフリカはヨーロッパに命をもたらす。食料は生命を育む。若者もそうだ。命の源だ。私は2回ほどヨーロッパからアンゴラへ飛んだんだ。その時、戦車のような大きなものをアンゴラへ運んだ。会社はカネを受け取っていた。その後、ヨハネスブルグに行き、今度はブドウを積んでヨーロッパへ戻った。友人が私に言ったんだ。『アンゴラの子どもたちはクリスマス・プレゼント“に銃を贈られ、ヨーロッパの子どもたちはブドウをもらう。ビジネスってやつさ』
これが私からの小さな物語だ。私は世界の子どもの幸福を望んでいる。だが、どうすればいいんだ。多くの母親が……。英語でどう言うのか、わからない。言葉が見つからないよ」コラムに要約を連載している『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』を読んでいるときもつくづく実感することだが、このような世界の現実を垣間見ると、「強国」、「先進諸国」が叫ぶ「平和」や「正義」、「人権」という言葉が空々しい“絵空事”に思えてならない。現実の国際政治も経済も、決してそのような高邁な原則で動いているのでなく、国家やその権力者、また資本家たちは、己の権益を求めて血眼になって奔走し、「平和」も「正義」も「人権」も、その目的達成の障害にならない範囲での“建前”にすぎず、ときには、その“高邁な原則”さえ、目的達成の大義名分に利用しているように思えてならないのである。
ジャーナリスト、ドキュメンタリストの役割は、現実世界の冷酷な実態とその構造、そしてそれを生み出している元凶を一般民衆の目の前に晒して見せることなのだと、この映画の監督フーベルト・ザウパーは私たちに教示していると私は思った。関連サイト:映画『ダーウィンの悪夢』公式サイト
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