Webコラム

日々の雑感 92:
『ルポ 貧困大国アメリカ』に映し出される日本社会(1)

2008年5月21日(水)

 「“アメリカ”の専門家」を自任する研究者、またアメリカに駐在する新聞各紙、テレビ局の特派員など、“アメリカ”について日本人に伝え、解説する日本人は掃いて捨てるほどいるのに、堤未果著『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)に描かれているようなアメリカの底辺で起こっている事実は、どうしてこれまできちんと日本に伝えられてこなかったのだろうか。私の“アンテナ”の感度があまりに鈍すぎるのかもしれないが、「ブッシュ大統領の言動」「大統領選挙の候補者争い」のニュースなどは、うんざりするほど連日伝えられても、民衆の抱えているこれほど深刻な“構造的な問題”を私たちの目前に明確に、そして具体的に提示してくれた「アメリカ通」の日本人やそのリポートを見る機会は、これまで私にはほとんどなかった。
 このアメリカの“構造的な問題”自体は以前にも見せられたことはある。しかしそれはアメリカ人自身によってである。ドキュメンタリー映画監督マイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』『華氏911』そして最新作『シッコ』などの作品に強烈な衝撃を受けたとき思った。「“アメリカ”に関する情報が氾濫する日本で、なぜこういうアメリカ社会の“構造”がきちんと伝えられてこなかったのか」と。

 本書の「第1章 貧困が生み出す肥満国民」では、「アメリカ人とりわけ児童たちの肥満の原因が貧困である」ことを証言ルポと資料で実証していく。さらに「肥満児童増加は、貧困層に対する政府切り捨て政策の結果」であることを論証し、政府援助予算削減によって立ち行かなくなった学校給食に、マクドナルド、ピザハットなどの大手ファストフード企業などが「巨大マーケット」として触手を伸ばしていく構造が描かれる。

 「貧困層の受給者たちの多くは栄養に関する知識も持ち合わせておらず、とにかく生き延びるためにカロリーの高いものをフードスタンプ(注・「貧困ライン以下の家庭に配給される食料交換クーポン」)を使って買えるだけ買う。(中略)これらのインスタント食品には人工甘味料や防腐剤がたっぷりと使われており、栄養価はほとんどない。その結果、貧困地域を中心に、過度に栄養が不足した肥満児、肥満成人が増えていく。健康状態の悪化は、必要以上の医療費急騰や学力低下につながり、さらに貧困が進むという悪循環を生み出していく」

 「第2章 民営化による国内難民と自由化による経済難民」では、2005年アメリカ・メキシコ湾岸を襲ったハリケーン・カトリーナ(1000人以上の死者を出し、ニューオリンズ市は80%が水没するという最大の被害を出した)は「自然災害というより人災だった」事実が取り上げられ、その背景には自然災害を最小限に食い止めるべき責任を担っていたはずの「連邦緊急事態管理庁(FEMA)」の“民営化”があったことから書き起こされている。FEMAの民営化によって「効率よく利益をあげることが第一目的となり、国民の安全維持という目的とは必ずしも一致しない」組織になるで、この災害に敏速かつ効果的に対応できなかったことが被害を大きくしたというのだ。
 「学校の民営化」で、まず取り上げられているのが「チャータースクール」。資金は国から出るが、運営自体は、民間によって行われる学校である。一定期間中に生徒数や目標事項などノルマが達成できなければ閉校になり、負債は運営者側が負うので競争が激しくなるという。一見、「教育に自由がある」ように見えるこのシステムが教育格差を生み、学校の教員や職員が大量解雇される結果を生んでいる。さらに学校の民営化によって国からの教育予算が大幅にコスト削減され、貧困家庭の子どもたちは教育における平等な機会を奪われることになるというのだ。著者は「『教育』のような、国家が国民に対し責任を持つべきエリアを民営化させては絶対にいけなかった」というある専門家の声を紹介している。
 また滞在ビザのない移民の子どもたちの教育現場の実態も報告されている。移民の多い公立学校では、家庭の貧困のために自らも働かなければならない高校生たちのために、2ヵ月学校へ通ったら、2ヵ月休む「トラック法」と呼ばれるシステムが導入されている。しかしその「不法移民」である高校生たちが働ける場所は限られ、やっと雇ってくれる工場でも時給2ドルの悲惨な労働条件となる。たとえ卒業できても、十分な助成金がおりない公立学校の授業内容が極端に低く、大学受験資格テストの最低基準スコアに届かず、その結果、マクドナルドのようなファストフードの店員か、工場労働者になるしかないという、貧困がさらなる貧困を生む“構造”が描かれている。さらに言及されているもう1つの“構造”は、彼らが隣国から米国へ「不法移民」として流入せざるをえない国際経済のシステムである。ある工場の清掃係として働く「不法移民」のある女子高校生の父親は、かつてメキシコでトウモコシを生産する貧農だった。1994年の北米自由貿易協定で農産物貿易の関税が取り払われ、膨大な補助金に支えられたアメリカ産トウモロコシがメキシコに大量になだれ込む。その安価なアメリカ産に市場を奪われたメキシコのトウモロコシ生産農家は職を追われ、農地を手放し、一家はアメリカへの密入国を決意するしかなかったというのである。これはいわゆる経済の「グローバル化」のもたらす結果のほんの一例であり、地球規模で、先進諸国と周辺の発展途上国との間で起こっている普遍的な“構造”の象徴のように思える。
 そして、将来に何の展望も見えない「不法移民」の子どもたちが、その境遇から抜け出すために選ぶ道が、「軍のリクルーター」の誘いに応じて、軍に入隊することである。

 このアメリカの教育現場の実態は、現在の日本の教育現場で起こっていること、また起ころうとしていることを想起させる。
 自由法曹団編のブックレット『変えてはいけない! 教育基本法』(唯学書房/2003年)の中にこのような指摘がある。
 教育基本法の「改正」のねらいの一つは、人生の「勝ち組」「負け組」になる者を早いうちに仕分けして、教育の世界に「勝ち組」「負け組」をつくる競争の原理をストレートに持ち込むことである。この競争原理は、自由化と結びついている。学校の設置者の規制を緩和し、株式会社の学校運営を認める。学区をなくして親や子の「学校選択」を認める。学校間で競争させる。義務教育段階の学校は国の支出もけずり、徹底的に「スリム化」する。履修科目も縮小するとか、選択制にするとかして、それ以外は塾や各種学校にゆだねる。
 国や自治体が責任をもつ「公教育」(学校)がスリム化されても、裕福な家庭の子どもたちは、塾や各種学校などでその足りないところを補うことができる。しかし裕福でない家庭の子どもたちは、塾にも各種学校にもいくことはできない。また私学に対する国庫補助金がけずられてきている。父親の失踪やリストラ、家庭崩壊などの深刻な事態のなかで学費が払えず、やむなく中退する子どもも多くなってきている。
 「できる子」(勝ち組)は企業からも国からも、社会のリーダーとして期待される。「できない子」(負け組)の多くは「無気力」になり、その一部が「反抗的」になってしまう。圧倒的多数の子どもが「負け組」となり、その結果、主権者として基礎的能力をつくることもできず、無気力、または反抗的となる社会になっていき、国民主権・民主主義の危機を招く。
 もっと危険なことは、エリートはもちろん、「負け組」にならざるをえなかった多くの子どもやその親までが「愛国心」と「公共」の精神に忠実であろうとし、「戦争をする国づくり」に協力させられてしまう。

 このような指摘は、『貧困大国アメリカ』で描かれているアメリカの教育現場の現状と重なって見えてしまう。現在の日本では、「学校」で「負け組」となった多数の若者たちが社会に出ても「正社員」になる機会も少なく、派遣社員、パートとして酷い労働条件の元で働かざるをえない。それでもまだ「生活していける」仕事があればいいが、なかには「働いても生活していけない」いわゆる「ワーキングプア」の境遇に押しやられる者もいる。そのような将来にまったく明るい展望が持てない若者たちの中から、「この社会構造自体が自分たちをこういう状況に追い込んでいるのだから、それを“リセット”するしかない。そのための唯一の道は“戦争”しかない」と考え、いわゆる「負け組」の若者たちが右傾化していく傾向は、すでに現実に起こっている。そのうち、アメリカの貧困層の若者たちと同様、将来を切り開く唯一の道は“自衛隊”しかないという若者が増えていってもおかしくない(すでにそれが現実化していると指摘する声もあるが)。
 著書『貧困大国アメリカ』は、現在と近い将来の日本社会と日本人の自画像を映し出す“鏡”のように読めてならない。

関連サイト:書籍紹介『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波書店)

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