Webコラム

日々の雑感 97:
日本の“ワーキングプア”

2008年6月10日(火)

 これまで“アメリカの貧困”の実態について、『ルポ 貧困大国アメリカ』を通して書いてきたが、日本ではどうなのか。
 NHKのドキュメンタリー番組『ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜』は、それを知る最良の素材の1つといえるだろう。
 (参考サイト:NHKスペシャル『ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜』
 このドキュメンタリーでは、30歳を過ぎた青年が東京で職探しに奔走する姿、職につけない20代の青年が東京の街中を足を棒にして歩き回り(電車代がないのだ)、ゴミ箱から捨てられた漫画本を拾い集め、それを1冊50円で売りさばいて食事代を確保している生活、小学生の2人の息子を男手1人で育てるために、ガソリンスタンドで3つのアルバイトを掛け持ちし、やっと食いつないでいる50代の男性などの日常が丹念に描かれる。一方、地方の現状として、最も自殺率の高い秋田県で、農業収入で生活していけなくなった三世帯一家の生活、また認知症で病院に入院する寝たきりの妻を抱えながら、寂れゆく町の商店街で、ほとんど客足が途絶えた仕立て屋をなんとか続けているが、収入は月に数万円しかなく、税金も払えない70歳を越えた男性の生活などが紹介されている。

 宮城県の石巻の高校を卒業した青年は、地元で定職につけず、各地で派遣社員などの職を転々とした。しかし30歳を過ぎると職を得る事が急激に難しくなった。東京でもアパートの家賃も払えず、ついにホームレスとなってしまう。これまでの貯金も食費代などに消え、残金はゼロになった。ハローワークでやっと見つかった就職先も、「住所不定」を理由に断られてしまう。もう1度探してもらい、唯一、面接が可能だと知らされた会社は埼玉県だった。面接に出かけていく交通費さえその青年にはなく、青年は最後のチャンスだったその会社も諦めざるをえない。「もうだめかも」とつぶやく、実直そうなその青年の悲しげな表情。
 そういえば、2日前の日曜日、東京・秋葉原で17人を殺傷した通り魔殺人の犯人も、この青年と同様、東北の高校を出たのち、各地の派遣会社、アルバイト先をめまぐるしく転々とした青年だった。
 一方、この番組に登場するような青年たちのように、必死になって仕事をみつけようとするが、その門戸を次々と閉ざされる悲惨な姿を見ながら、NHKの番組で、人気絶頂のある芸人が「俺だって、大学出ても仕事のあてなんて全くなかったよ。それを社会のせいだなんて思いもしなかった。ワーキングプアなんて騒がれるけど、自分の責任でしょ」という主旨の言葉を言い放つ姿が蘇ってきた。「俺が成功したのは必死に努力したからだ。そんな努力もせずに、全部社会にせいにするなよ。そりゃあ、甘えだよ」とその芸人は言いたいのだろう。しかし、その芸人のようにたまたま才能に恵まれ、努力することで成功するチャンスに恵まれた“特異な人”が、「俺のように努力して、這い上がれよ」と言い放つのは、普通の人が努力しても這い上がれるチャンスがごく限られている現在の社会構造、彼らが暮す“社会の頂点”とはまったく異なる“底辺社会”の現状について無知で、あまりにも想像力を欠いた傲慢な言動だと感じる人は少なくないはずだ。この番組に登場する、底辺の状況に追い込まれている青年たちなら、なおさらだ。
 「構造改革」の名の下に、資本家ら富裕層に象徴される“強者”たちに都合のいい社会構造が急速に造り上げられる一方で、どんどん切り捨てられる底辺の“弱者”たち。本質的なところでは、『貧困大国アメリカ』で起こっていることと同じではないか。

 この日本の底辺社会で起こっている現象を見事に描いたNHKの番組『ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜』などの番組に対して、参院委員会で一部の自民党議員が「格差やワーキングプア、貧困の問題に偏向している」と問いただしたという。日本の社会の底辺で起こっているこの深刻な事態をきちんと伝えることを「偏向」と言う彼らは、ほんとうに「政治家」の名に値するのか。いったい日本社会の現状の何に目を向けているのか。誰のための政治をやろうとしているのか。まさに「資本家・富裕層」らの“走狗”そのものである。これが「自民党」という政党の“体質”というものだろうか。

 6月7日、早稲田大学で開かれたこの『ワーキングプア』の上映会で制作者たちの解説を聞いた。とりわけ印象に残ったのは、実際、現場を取材したディレクター、松島剛太氏の制作過程の話だった。現在の若者の実態を知るために、ネットカフェに何週間も寝泊りし、そこを住処とする若者たちの生活を見続け、またホームレスのための炊き出し現場に通い、彼らに話を聞くまでに1ヵ月以上もかけている。またコンビニのゴミ箱から古雑誌を拾い集めて食費代を稼ぐ青年を取材するために、古雑誌を求めて街を毎日8時間も歩き続けるこの青年と一緒に歩き回り、結局、靴3足を履き潰したというのである。
 しかも番組が放映されて2年を経た今も、その青年たちと会い続けていると松島氏は報告した。全国放送されるNHKの看板番組で、顔を出して、自分の「貧乏」を曝け出す決意をするまでには、登場する青年たちに相当の迷い・葛藤があったに違いない。松島氏が長い時間をかけ、きちんと人間関係、信頼関係を作っていなかったら、あの青年たちは「あなたの貧乏を撮らせてください」というテレビ局の要望にはおそらく応じなかったろう。
 私たちジャーナリスト、取材者たちは、取材する相手の心をどこまで開かせるかが勝負である。そのときの“武器”は、追うテーマへの情熱と信念、そして相手への“誠実さ”だ。
 NHKにはこういう若い、優秀なドキュメンタリストが少なからずいる。同業者として、大きな刺激である。

参考サイト:NHKスペシャル『ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜』

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