2008年 6月14日(土)
【第3章】道義的根拠も消えていく
- 「イスラエルは米国が惜しみなく、ほとんど無条件に支援を行うに値する国だ」と言われているのは次のような理由による。
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「イスラエルは弱く、イスラエルを潰すことに専念する敵に周りを囲まれている」
- 「イスラエルは民主制で、これは人道上好ましい統治形態である」
- 「ユダヤ人は過去の犯罪に非常に苦しめられてきた」
- 「イスラエルはこれまで敵対者、とりわけパレスチナ側の行動に比べて人道上優れた行動をとっている」
- 「パレスチナ側は、イスラエルが2000年6月にキャンプ・デービッドで提案した寛大な和平提案を拒否し、かわりに暴力を選んだ」
- 「イスラエルの建国が神の御意志であることは聖書からも明らかである」
などだ。もう1つ、一般的な主張は、「イスラエルは米国と価値観を共有する、中東で唯一の国である。それゆえ米国の人々から幅広い支持を受ける」(P.146)
- 詳しく見ると、この「道義的根拠」は米国の無制限な対イスラエル支援に対して説得力を持つものではない。イスラエルの存在は目下のところ幸運にも危険に晒されてはいない。また客観的に見ても、イスラエルの過去と現在の振る舞いが、米国の支援に道義的基礎を与えているとは言いがたい。米国がパレスチナ側を差し置いてイスラエルに特別待遇したり、あるいは自国の戦略的利益に反する政策を中東地域で実施する道義的基礎に、イスラエルの行動があるとは言いがたい。(P.147)
- この道義的根拠は、イスラエルの歴史についての、ある特定の見解を拠り所とし、多くの米国民が広く抱いている見解だ。ノーベル平和賞受賞作家エリー・ウィーゼルは言う。「ユダヤ民族は一度たりとも死刑執行人の側に回ったことがない。ほとんどいつも犠牲者である」「アラブ人諸民族、とくにパレスチナ人は殺戮者である。彼らはヨーロッパでユダヤ人を迫害した反ユダヤ主義者とそっくりの共通点を持っている」
- この視点はレオン・ユーリスの有名な小説『エクソダス(栄光への脱出)』(1958年)にもはっきり描かれている。そこではユダヤ人は犠牲者、英雄として描かれ、パレスチナ人は悪者、臆病者として描かれている。この小説は1958年kから1980年の間に2000万部も売れ、1960年に映画になり人気を博した。これが米国民のアラブ・イスラエル紛争についての考え方に根強く影響を与えている。(P.147)
「弱きを助ける」
- 1948年のイスラエル独立戦争で、一般に「シオニスト側はアラブ5カ国やパレスチナ人と戦い、数の上でも武器の上でも圧倒的に劣勢だった」と信じられている。しかし、イスラエルの歴史家ベニー・モリスは、これは「1948年に関する最も強固な神話」だと言う。「地図の上では、非常に小さなイスラエルとその周辺を取り巻くアラブの大海が目に入る。しかしこれがこの地域の真の軍事力バランスを正確に示したことはなかったし、現時点でも依然示していない。人口比もまた軍事力バランスを示してはいない。1948年には、イシュブ(イスラエル建国時にはパレスチナに入植していたユダヤ人)の数は65万人程度だった。これに対してパレスチナのアラブ人は120万人。イラクを含めた周辺国家のアラブ人は3000万人だった」
- 戦争は2つの紛争からなる。1つは、国連がパレスチナ委任統治地区の分割を決議した1947年11月29日に始まり、イスラエルが独立国家になった1948年5月14日まで続いたユダヤ人とパレスチナ人の間の内戦。シオニスト側はこの戦闘で一方的な勝利を収めた。兵士と武器の両面で、質量ともに圧倒的有利な状況にあったからだ。イスラエルの歴史家イラン・パペは、「数千人の不正規パレスチナ軍とアラブ軍は、数万人のよく訓練されたユダヤの軍隊に直面していた」と記している。
- 2つ目の戦争は、1948年5月15日に始まり1949年1月7日に終ったイスラエル軍とアラブ5カ国軍との国家間戦争だ。この戦争が始まったとき、アラブ軍2万5000から3万人に対し、イスラエル軍は3万5千、12月までには9万人に達した。人口の点ではアラブが絶対的に有利だったにもかかわらず、イスラエルは軍事力では数段強かった。だからこそ、パレスチナ人との内戦とアラブ侵入軍との国家間戦争で勝利を収めたのだ。モリスはこう記している。「勝敗を決したのは、ユダヤ側の優れた火器、人員、組織、そして指揮統制であった」(P.152)
- アラブ諸国は、3つのどの戦争(48年の第1次、67年の第3次、73年の第4次中東戦争)でも、イスラエルを滅ぼそうとはしてはいなかった。その理由はアラブ側が勝つだけの力量を持たなかったからだ。
- 1948年の第1次中東戦争で、「ユダヤ人を地中海に追い落とす」と発言するアラブ側指導者たちは、パレスチナ人を犠牲にした自国の領土拡張に関心があったからだ。これはアラブの諸政権が、パレスチナ人の幸福より先に自分たちの利益を優先した多くの中の1例である。
- トランスヨルダン国王アブドッラー1世の東パレスチナ侵攻は、イスラエルの打倒を狙ったものではなかった。それははっきりとパレスチナのアラブ人を犠牲にして、自分の王国のための領土拡大を目論んだものだった。アブドッラーにとっては、パレスチナ・アラブ人国家が出現する見通しのほうが、またシリアやエジプトが自国の国境まで領土を拡大する見通しのほうが、小さなユダヤ国家の出現よりもずっと気がかりだったことは確かである。(P.155)
- 「アラブ側は1967年の春の終わりまで、対イスラエル戦争をしかける意図はなかった。ましてイスラエルを滅ぼそうとしていなかった」(ニューヒストリアン、アヴィ・シュレイム)
- 「これまでの通説では、シリアによる攻撃を戦争の第一の原因として取上げている。しかしイスラエルのシリア国境での挑発戦略が、おそらく中東を1967年6月の第3次中東戦争に引き入れた、唯一の最も重要な要因だった」
- イスラエルの将校はイスラエルの2つの主敵エジプトとシリアに大敗北を与えたいと願っていた。IDF作戦参謀エゼル・ワイツマン将軍は戦争前夜に「我われは今、第2の独立戦争開始の直前にいる。我われには独立戦争の偉業があるのだ」と語っている。要するに、1967年6月5日のイスラエルによる最初の攻撃は、差し迫ったアラブの攻撃を回避したものではなかった。イスラエルは予防戦争を開始したのだ。(P.157)
「民主国家の同胞を援助する」
- イスラエルの擁護者は米国民に何度となく、次のことを植えつけている。
「イスラエルは中東で唯一の民主制国家である。そして敵対的な独裁制国家に取り囲まれている」と。(P.159)
- イスラエルのユダヤ的性格は1948年5月14日に公式に発せられた「イスラエル国家建国宣言」にはっきり表れている。
- 「イスラエルの地に、ユダヤ人国家を設立すること」と公然と宣言し、その新しい国家を「自らの土地に定住しているユダヤの人々の主権機関」と記述している。(P.160)
- アメリカ合衆国憲法の「人権規定」にほぼ該当する「人間の尊厳と自由についての基本法」の最初の草案には、「すべての者は法の下で平等である。そして性別、宗教、国籍、人種、民族、出生国その他の要因による差別があってはならない」という文言がある。ところがイスラエル国会の委員会は、1992年の基本法の最終版からこの条項を削除した。(P.161)
- イスラエルはユダヤ的特質を維持する方針をとっており、また非ユダヤ人に対する法の下の平等を認めることを拒否している。これに加えてイスラエルの136万人のアラブ人は、事実上、“2級市民”として扱われている。
- ユダヤ人イスラエル国民の55%が娯楽施設での人種隔離を求め、75%が「自分はアラブ人イスラエル国民とは同じ建物には住まないだろう」という。半数を超える者が「ユダヤ人女性がアラブ人と結婚することは国家への反逆に等しい」と答えている。
- 「53%のユダヤ人イスラエル国民はアラブ人を完全に平等に扱うことに反対し、77%のユダヤ人イスラエル国民は『重大な政治的決定にはユダヤ人が多数を占めるべきである』と考えている」(「イスラエル民主政治研究所」2003年5月)(P.164)
- メナヘム・ベギンはかつて「パレスチナ人は2本足で歩く野獣である」と発言した。IDFの参謀総長だったラファエル・エイタンはパレスチナ人のことを「ビンの中の気持ち悪いゴキブリのようだ」と言い、「よいアラブ人とは死んだアラブ人のことだ」とも発言している。もう1人別の参謀総長モシェ・ヤーロンはパレスチナ人の脅威をさして、「自分が化学療法を受けている“ガン”のようだ」と言った。
- 「“アラブ人は汚い”という言葉は民族集団全体に向けられた、理由のないヒステリックで頑迷な、純然たる悪意を示しているのだ。現に、アラブ人民族集団が汚いということはない。彼らもユダヤ人が汚くはないのと同じ程度に汚くはない。“アラブ人は汚い”と言うことは、最もむき出しの、悪意に満ちた人種差別の表現だ」(ラリー・ダーフナー『エルサレム・ポスト』紙)
- 「彼らアラブ人のユダヤ人に対する態度はひどいものだ。しかし、ユダヤ人学生のアラブ人に対する態度に比べればずっとましだ」
アラブ人イスラエル国民に対するこの敵対的な態度は、「人口上の脅威」についての恐れとユダヤ人の多数を維持したいという願望と対になったものだ。
- 現に2006年、「戦略的危機担当副首相」に任命されたアヴィグドル・リーバーマンは、「自分はイスラエルを可能な限り均一とするために排除を好む」とはっきりと表明している。彼は特に「アラブ人が多く住んでいるイスラエルの領地の一部と、ユダヤ人入植者が住んでいるヨルダン川西岸地区とを交換すること」を提唱している。彼はアラブ人の強制排除策を提唱した最初のイスラエル閣僚ではない。(P.165)
- “イスラエル民主政治研究所”は2003年5月、「57%のユダヤ人イスラエル国民が、アラブ人は外国に移民するように奨励されるべきだと考えている」と報告している。
- 2004年、ハイファ大学の“国家安全保障研究センター”が実施したある調査では、この数字は63.7%に増えていることがわかった。1年後の2005年、“イスラエル研究のためのパレスチナ・センター”は「42%のユダヤ人イスラエル国民が、『政府はアラブ人イスラエル国民が立ち去るよう奨励すべきである』と考えている。さらに17%がこの考えに同意する傾向がある」と結論づけている。(P. 165─166)
- イスラエルの民主国家としての地位は、次のような自国の行為によって台無しにされている。イスラエルがパレスチナ人に自立した独自の国家を認めるのを拒否していることと、占領地区でパレスチナ人の基本的人権を拒む司法・行政・軍事上の体制を押しつけ続けていることだ。(P.166)
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