2008年6月18日(水)
“記録する者”が“記録される”とき、なぜそうする必要があるのか、そこにどういう必然性があるのか、私は気になってしかたがない。というのは、 “記録する者”は“黒衣”(くろこ)でなければならない、“記録する者”が“伝えるべき対象”以上に主役になってはいけない、という、私なりの“こだわり”と“原則”があるからだ。だからその“必然性”を見出せないとき、その作品に嫌悪感さえ抱いてしまう。
14日、東京写真美術館で観たドキュメンタリー映画『1000の言葉よりも─報道写真家ジブ・コーレン』は、イスラエル人の報道カメラマンの現場での仕事の様子とその思い、さらに私生活を描いたドキュメンタリー映画である。将来、報道カメラマンを夢みる若い人たちには、「たまらない魅力」を持った映画に違いない。そういう特別な目的を持った人でなくとも、戦場や紛争地での刺激的な写真が撮られるまでの舞台裏、葛藤や徒労感など苦労話や、スリリングな現場の様子、そこでやっと納得のいく写真をものにしたときの高揚感など、スクリーンから伝わってくる臨場感に観客は魅了され興奮してしまう。そういう“力”を持った映画だ。ライト・フォトボックスの上で、ルーペを片目に押し当てフィルムを覗き込む主人公のコーレンをカメラがアップで舐めるように撮る。カメラ、携帯電話を身につけヘルメットを被り、エレベーターに乗り込む、颯爽とバイクにまたがり飛び出す、そのバイクに取り付けられたカメラで猛スピードで走るその道路をドリーで映し出す。まるでアクション映画のスターを描くようなカメラワークだ。短いカットでシーンが目まぐるしいほど変わっていく。しかもそのシーンの中に、まったく違ったシーンがモンタージュのように次々と挿入される。例えば、パレスチナ人の若者たちとイスラエル兵との衝突現場とそこで撮影するコーレンの映像の合間合間に、危険な現場にいる夫を案じるファッション・モデルの妻の姿と声が短く挿入され、そしてまた現場のシーンに戻る。しかもさまざまなシーンは扇情的な音楽で盛り上げられる。これがアメリカなどで流行っているドキュメンタリー映画のスタイルだそうだ。
しかし観客を最もワクワクさせるのは、コーレンのカメラに取り付けられた特殊カメラによって、まるで観客一人ひとりがコーレンのカメラのファインダーを覗きこみ、シャッターを押しているような錯覚を起させる映像である。モノクロの動画映像がシャッターを押すと、カラーの写真になる。戦場カメラマンの疑似体験ができる仕組みだ。フォト・ジャーナリストを目指す人には、「最高の教科書」にちがいない。
彼が語る言葉も、若い人たちには「カッコいい」。コーレンは言う。「報道写真家を続けるのは金のためではない。金が稼ぎたければ、いま流行りの『ライフスタイル』や『経済もの』『商業写真』をやればいい。報道写真家の役割は、国民が見たがらないもの、他に見る機会のない現実を突きつけ、考えさせ、少しでも状況を変える一助にしたいと願うからだ」と。
1時間20分という長さを全く感じさせない、「よくできた映画」である。「しかし」と私は思う。「洗練」された、刺激的な映像に圧倒される一方、私のようにパレスチナ・イスラエル問題を追い続けてきた者の目には、報道カメラマンの表面的な「カッコいい」姿とは裏腹な、重大な“欠陥”が透けて見えてくる。しかも、それはパレスチナ・イスラエル問題を伝えるジャーナリストとしては“致命的な欠陥”と言っていいかもしれない。つまりこの問題の“構造”と“本質”がこの報道カメラマンには見えていないのではないかという疑問である。
それを確信したのは、翌日、横浜で開かれている「1000の言葉よりも─ジブ・コーレンの報道写真展」で、写真につけられたキャプション(写真解説)を目にした時だった。典型的な1例を挙げよう。それは2004年1月にヨルダン川西岸のジェニンで撮られた1枚の写真である。銃弾の束を首に巻いた少年が重機関銃を構え、それをハッタ(パレスチナの頭巾)を巻いた武装勢力の戦士が見守っている。その写真にはこういう説明が付けられていた。
「ジェニンのアルアクサ殉教旅団の機関銃で遊ぶパレスチナの子供達。彼等は戦士になることや自爆攻撃へ向かうことを促されるような、好戦的な環境で育つことが多い」
コーレンの言う「好戦的な環境」を作っているのは、実はイスラエルの“占領”という“構造的な暴力”であることを、このカメラマンは全く気づいていないかのようだ。あたかもパレスチナ人は生来、「好戦的」で「自爆攻撃へ向かう」気質を持った人間たちであると言わんばかりである。そういえば、コーレンの写真に出てくるパレスチナ人は、自動小銃を掲げた覆面顔の戦士や、銃を空に向けて乱射する武装勢力の集団、またはデモで旗を振り回しイスラエル軍兵士に投石する少年たちである。一方で “占領”下で生きることを強いられている市井の人々の顔や生活を映し出す写真はない。少なくとも映画や写真展にはそういう写真は出てこなかった。映画の中で、パレスチナ人武装戦士をモスクに呼び出して、銃を持ってポーズを取る姿をコーレンが撮影するシーンが登場する。あのようにして、イスラエル人の中にあるイメージに合った「パレスチナ人」像を選び抜き撮っていくのかと私は思った。
もう2つ、コーレンの“目線”を象徴するようなキャプションを紹介しよう。2002年4月、ヨルダン川西岸を再占領するイスラエル軍の「防衛の盾」作戦に抗議し、テルアビブのアメリカ大使館前でデモをするアラブ系イスラエル人やパレスチナ人に棍棒を振り上げ、襲いかかる警官を撮った写真にはこういうキャプションが付けられていた。
「イスラエル警察との乱闘の結果、50人以上のパレスチナ人が負傷し、逮捕された」
棍棒や銃を持った警官が、デモ中の素手のパレスチナ人たちを排除しようと襲いかかるのを「乱闘」と表現する神経。それは「乱闘」ではなく「デモの弾圧」であるはずだ。
ヨルダン川西岸の都市ナブルス近郊の村で、夜、村を巡廻するイスラエル兵が、道を歩くハッタ姿の老人に銃口を向ける写真。“占領”の実態を象徴するシーンである。しかし、そこに付けられたキャプションはこうだ。
「西岸の都市ナブルス近郊の村で巡廻するハルフ大隊のイスラエル兵達。イスラエル軍にとってパレスチナのテロとの戦闘は日常的なものである」
パレスチナ人居住区に夜、武器を持って侵入してくるイスラエル兵を「テロとの戦闘」と言い切ってしまうのだ。このカメラマンの頭の中には“占領”という言葉も概念も存在しないのかもしれない。
写真展の中でも、2005年夏のガザ地区からのユダヤ人入植者の強制退去の写真は大きな比重を占めている。そこに描かれるのは、「政治に翻弄され、長年住み慣れた土地と家を追われる痛々しい被害者」としての“ユダヤ人入植者”像である。映画の中でも、コーレンは、警官や兵士たちから強制退去させられる入植者たちを撮影しながら泣いたと告白し、妻はテルアビブの自宅のテレビでその強制撤去のシーンをじっと見つめながら涙する。
しかし、この「イスラエルのガザ撤退」で忘れてはいけないのは、パレスチナ人にとって、ガザ地区のユダヤ人入植者は自分たちの土地を奪い住み着いた“侵略者”だったという事実だ。一方、イスラエル政府の“撤退の真の狙い”は、少数の入植者を守るために大量の兵士たちをガザには投入し続けなければならない財政的な負担をなくすためであり、またこのガザ撤退は世界に向けて「『和平』のためのイスラエル側の譲歩と犠牲」というイメージを作り上げる一方、西岸でのパレスチナ人コミュニティーの分割と植民地化を推し進めるというシャロンの狡猾な政策の一環だった。果たしてガザはその後、イスラエルによる厳しい封鎖によって、“小さな牢獄”から“大きな牢獄”に変わっただけで、ガザ住民にとって「和平」とは対極の過酷な状況に追い込まれている。しかし、この映画のシーンやコーレンの写真からはこの問題の“構造”も“本質”もまったく見えてこない。むしろシャロンが演出したかった「『和平』のためのイスラエル側の譲歩と犠牲」というイメージ作りの一端を担うかたちである。
第2次レバノン戦争に関する写真もまたそうだ。あのイスラエルの侵略戦争で、レバノンとりわけベイルートで1000人を超える民間人が空爆や海からの砲撃によって殺害された。
しかしコーレンが描くあの戦争は、ヒズボラのロケット弾やミサイルによる反撃の“被害”だ。イスラエル北部の町の防空壕の中に設置された3段ベッドの中で眠りにつこうとする子供たちの写真には、「ヒズボラはイスラエル北部へ向けて4000発以上のミサイルを放った。これにより100万人近くの人々がシェルターに住むか、戦争終結まで家を避難することを余儀なくされた」というキャプションが付けられている。
またヒズボラのミサイル攻撃で負傷した男性を救急隊員が救出する写真には、「ヒズボラはハデラまで届く長距離ミサイルを使用してイスラエル北部の都市ハイファの建物を破壊した」という説明が書き添えてある。
写真に映し出された現実は事実だし、その説明も嘘ではない。世界には無限の“現実”、“現象”がある。問題は、その中からどの“現象”を切り取り、伝えるかだ。その“現象”の選択と切り取り方に、その“表現者”の“視点”“価値観”“思想”がそのまま現われる。あのレバノン戦争の全体像はどういうものだったのか、あの戦争の意味は何だったのか、問題の根源はどこにあったのかという本質的な問いかけなしに、その一部を切り取って、「被害者・イスラエル」のイメージを作り出すとすれば、それはあの戦争を“防衛のための正義の戦争”と正当化しようとするイスラエル政府の広報の“走狗”でしかなくなる。
彼は空爆で理不尽に殺害されていったベイルートの1000人を超える民間人の存在を認識していたのか。もし知っていたのならどういう感情を抱いているのか。また戦争終結直前に、国境に近いレバノン南部の地域に何百万ともいわれるクラスター爆弾の子爆弾をイスラエル軍がばら撒き、戦後もレバノンの多くの子どもたちが犠牲になっている現実を、どう捉えているのか。
写真家が無限の現実の一部を切り取り“写真に撮る”ということは、いったいどういう営為なのだろうか。そのことを考えるとき、真っ先に1人の著名な写真家とその圧倒する写真が私の脳裏に浮かぶ。セバスチャン・サルガド(Sebastiao Salgado)である。彼の代表的な写真シリーズ『Workers』について、写真専門家の丹波春美氏はこう記している(サルガド写真集『Essays』の解説より)。
「1986年より6年もの歳月をかけ、23カ国へ赴き、経済と技術の発展の中で次第に失われていく労働、現代でも人間の手や身体に頼らざるを得ない過酷な労働、生活の中に溶け込んだ労働、そしてその労働を誇りをもって担う人々の姿を尊敬と賛美の念をもって取材した」「単なる労働と労働者の記録ばかりでなく、現代社会が生み出す生産と消費の矛盾を浮き彫りにした」
また政治や経済、宗教、紛争、貧困などが原因で移動を繰り返す生活を強いられている人々を、サルガドがすべての大陸、43カ国を取材して撮影した作品集『Exodus』について丹波氏は、「現在、理想的に語られがちなグローバリゼーションが生み出す現実の深刻な問題を克明に浮かび上がらせた」と解説している。
つまりサルガドが写真に切り取った“現象”は、単に「写真として『絵』になるシーン・被写体」ではない。「現代社会が生み出す生産と消費の矛盾」「グローバリゼーションが生み出す現実の深刻な問題」を象徴し凝縮した“現象”なのだ。だからこそ、サルガドの1枚の写真から、深い意味、普遍性を観る者たちは読み取り、見入ってしまうのだろう。サルガドの凄さは、観る者を圧倒する見事な構図、決定的な瞬間を切り取る天性の嗅覚はもちろんだが、何よりも、問題の“本質と構造”を見抜く“視点”、“洞察力”である。それは“知性”または“思想”と呼ぶべきなのかもしれない。サルガドがパリ大学で農業経済学博士課程を修了した経済学者であることを後に知って、私は納得がいった。つまり、彼には無限の現象の中から問題の“本質と構造を凝縮した現象”を選び抜くための“知識”と“知性”を身に付けているのだ。それは「特別な知識を持つインテリでないと、“本質と構造”を捉えられない」ということではない。学者でなくても、それを捉える広い意味での“知識”、つまり“視点”、“感性”、“思想”を生来の感性や深く幅広い人生体験、経験から獲得していった人はたくさんいる。私はその獲得の手段を云々しているのではなく、優れた“表現者”には、“本質と構造”を見抜く“知性”が決定的な要素だということを強調したいのである。
コーレンがイスラエル・パレスチナ問題の“本質と構造”をとらえた伝え方ができないのは、彼が「イスラエル人」であるからではない。イスラエル人の中にも、長年、占領地のパレスチナ人社会に身を置き、住民の生活の中から“占領”の実態を伝え続ける有力紙『ハアレツ』記者、アミラ・ハスのようなジャーナリストもいる〔参考・『パレスチナから報告します』(アミラ・ハス著/筑摩書房)〕。また占領地で兵役についていたイスラエル軍将兵の中からも、その実態を告発する動きも起きている〔参考・拙著『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』(岩波書店)〕。彼らは特殊な存在ではなく、“占領”の実態を認識するイスラエル人は決して少なくない。
サルガドのような世界でも最高級の写真家と比べるのは酷かもしれないが、「記録する立場」である自分を、ドキュメンタリー映画で「記録させる」自信を持ち、「華々しい主人公」となることにためらいもないカメラマンなら、パレスチナ・イスラエル問題と長年関わってきた私たちジャーナリストをも納得させ、唸(うな)らせる“表現者”であってほしい。
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