Webコラム

日々の雑感 100:
“ドキュメンタリー”の役割とは

2008年6月25日(水)

 “ドキュメンタリーの使命”を改めて痛感させる凄い番組を観た。さまざまな賞を受賞したNHKや民放各局のドキュメンタリー番組を一挙に紹介・放映する『ザ・ベストテレビ』というNHK衛星放送の番組の中でである。日本各地の民放局で制作された、優れたドキュメンタリー番組を他県の視聴者が目にすることはまずない。たまたま賞を獲得し注目され全国放送されたために首都圏に住む私たちもやっと目にすることができたのだ。
 恥ずかしいことだが、正直、私の中にローカル局で制作されるドキュメンタリー番組に対する偏見があった。「所詮、地方だけに通用するテーマを扱った、しかもNHK本局や中央の民放局によって制作された番組に比べたら技術や番組の質においても見劣りするものに違いない」という、首都圏で生活する者の“地方に対する優越意識・傲り”である。佐賀という九州の片田舎で生まれ育った私が、いつの間にかそういう潜在意識を身につけているのだからおかしな話だが、それは、地方に生まれ育ったがゆえの“中央に対する劣等感の反動”なのかもしれない。
 私のそういうねじれた潜在意識が、日曜日に観た地方局制作のドキュメンタリー番組によって打ち砕かれた。それほど強烈な衝撃と感動を覚える作品群だった。
 中でも東海テレビが制作した『約束〜日本一のダムが奪うもの〜』と、鹿児島の南日本放送の『祖国よ〜ドミニカ移住は問う〜』に、「ドキュメンタリーとは本来どうあるべきなのか」という問いを突きつけられた。
 『約束〜日本一のダムが奪うもの〜』は日本一のダムといわれる岐阜県の徳山ダムの建設と、それによって消滅する徳山村の村人たちの物語である。長年住み慣れた故郷の村を失うにあたり、村人はダム建設側の水資源開発公団(現・水資源開発機構)と “約束”を交わす。水に沈む山林への道路の代わりに村道、林道など全長100キロの道路網を公団側が村人のために建設することを記した「公共補償協定書」である。しかしその後、徳山村は隣接する藤橋村に併合され、その村議会は、当初の“約束”であった道路建設を中止するという「公共補償協定書の一部を変更する協定書」を採択する。つまり“約束”は反古にされてしまったのだ。その背後で、水資源開発公団が画策していたことが後に明らかになる。藤橋村の当時のダム対策室長がこう証言する。

 公団の調整課長が「ダム完成まで約100キロの道路はできない。なんとか造らない方法はないか」と言ってきた。「それはできない。徳山村の村人たちとの“約束”だから」とその依頼をはね返した。その直後、私は「ダム対策室長」を外された。

 その証言を確認するために、番組制作者は当時の公団調整課長を訪ねインタビューする。
 他県でのダム建設の責任者に昇進していたその元課長は固い表情で、「他事業については答えられないし、答える立場にない」と繰り返すばかりである。
 道路建設の中止によって、水資源開発公団側は、道路建設費の予算275億円を山林買収費の210億円に振替えた。
 このようにダム道路予算を流用して山林買収を進める国土交通省の新制度は「山林公有地化事業」と呼ばれ、建設期間の短縮と公共事業費の削減が同時にできる「夢のような仕組み」である。その発案者ともいわれる水資源開発機構の青山理事長は、テレビ局のインタビューで「いい制度」と言い切った。青山氏は国交省の元幹部で徳山ダム建設計画を立案した当事者であった。その人物が公団(現・機構)に“天下り”をして、その建設に自ら手を下すのである。
 理事長の言う「いい制度」によって、“約束”を反古にされ、生活圏を奪われていく村人たちの姿をカメラが丹念に追う。湖底に沈んだ村から追われた元住民たちはその後、どうなったのか。新しい土地に土地を買い家を建てたが、公団側からの補償金はその土地と家代に大半が消えた。徳山村の元住民のうち、6人は生活破綻のために行方不明、22年間に8人の自殺者(うち5人が老女)を出した。かつての村では近隣の家々とは地続きで自由に行き来できた。しかし新しい土地の住宅街では玄関と塀に遮られ、隣人たちとの行き来も少なくなった。老人たちは家の中にぽつんと取り残され、ぼおーっと時間を過ごすことが多くなった。その中で元村人は孤独と不安から自ら命を断っていったのである。
 最後まで村の近くで養蜂業を営んでいた元村人も、ミツバチの巣箱を公団側に撤収され、蜂たちを全滅させてしまう。それでも、その老人は危険な山道を辿って村の敷地へ戻っていく……。
 もしこのドキュメンタリー番組が放映されなければ、公団側に騙されて生活圏を奪われていく、老いた元村人たちの無念の声と思いは決して私たち遠い都会で暮す人間たちには伝えられることはなかったろう。この番組は当局の権力に翻弄される弱い立場にある住民たちの声と現状を、初めて私たちに伝え知らしめたのだ。“ドキュメンタリー”の役割は、まさにここにある。
 『祖国よ〜ドミニカ移住は問う〜』もまた、為政者たちの国民を無視し切り捨てる非道な“政策”の実態を描いたドキュメンタリーである。日本政府の移民政策に“騙され”、耕作もできない、地表に白い塩が噴出している土地、水もない岩だらけの土地で、しかも「無償で与えられる」という約束とは裏腹に、土地の所有権はなく、“耕作権”だ けを与えられ、ドミニカの原野に放り出された日本人たち。半世紀を経てその住民とその子孫たちが、祖国の政府を訴える。
 当時すでに日本政府とりわけ外務省は、移住先が耕作もできない荒地であることを認識し、現地の日本大使もまた「この事実を移住予定者たちに明確に伝えないように」と外務省に伝えていたのである。そのような非道な政策を推進しながら、国会で追及された外務大臣は、「日本政府は現地の土地について認識していなかった。ただドミニカ政府からの情報を信じて移民計画を遂行したもので、日本政府には責任はないものと認識している」と言い張った。当時すでに、そのドミニカ政府からは、「移住予定地は農耕できる状態にない」という情報が伝えられていたにも関わらず、だ。この厚顔無恥の外務大臣と外務省という役所の対応に私たち観る者は呆れ果て、激しい怒りがこみ上げてくる。政府とは、また組織とはこういうものなのだ。このドミニカ移住計画が国民の“棄民”になってしまうことを認識しながら、「予算消化」のために突っ走る“組織防衛”の論理が堂々とまかり通る。これは半世紀前のことではないはずだ。今もかたちを変え、現に起こり続けているにちがないのだ。
 “ドキュメンタリー”の役割は、これらの権力者たちの実態を白日の下に暴きだし、声も挙げられない“弱者”たちの“声なき声”に耳を澄ませ、大衆の前に送り届けることにある──そういうジャーナリズムの“原点”を、これらの優れたドキュメンタリー番組に改めて思い知らされるのである。

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