2008年8月7日(木)
【第3章】道義的根拠も消えていく
“善玉イスラエル”対“悪玉アラブ”
- もう1つの人道的説明では、イスラエルはこう描かれる。「イスラエルはいつでも平和を求め、挑発を受けた場合ですら、立派に気高く抑制して対応してきた国である」と。反対にアラブの国々は、邪悪さと無差別な暴力をもって行動してきたと言われている。(p.179)
- 『ニュー・リパブリック』誌の編集長マーティン・ペレツによると「イスラエルは“きれいな武力”という方針に非常に熱心だ」ということだ。“きれいな武力”とは「非戦闘員に被害が及ぶことを避けること。この目的に合致することはすべて、たとえそれが自国兵士への危険度を高める場合でも行わなければならない」という意味だそうである。さらにペレツはこう主張する。アリエル・シャロンとエフード・オルメルトによる、「IDFは世界で最も人道的な軍隊である」というこのイスラエルの振る舞いについての記述もまた、1つの神話だ。(p.180)
- 37年6月にベングリオンは率直にこう語っている。
「私がアラブ人だとしたら、入植に対して猛然と、激しく、断固として反抗するだろう。なぜなら、やがてパレスチナとその地のアラブ人住民がユダヤ人の支配下に置かれることになるわけだから」
- シオニストはアラブ人の抵抗に猛然と、しばしば無慈悲に対抗した。したがって、この時期、いずれの側も人道的に優れた位置に立っていたわけではない。(p.180)
- 同様の研究結果は、「48年のイスラエル建国にあたって、処刑、大量殺人、強姦など明白な民族浄化行為があったこと」を明らかにしている。もちろん、シオニストの指導者は自軍にパレスチナ人への殺人や強姦を命じてはいない。だが野蛮な方法を用いることを奨めていた。それはやがて新しいユダヤ人国家となるはずの土地から、多くのパレスチナ人を追放するためだった。ベングリオンが48年1月1日の日記に何と書いているか見てみよう。これはベングリオンがある重要な会議に出席していた時期のものだ。この会議は領土内のパレスチナ人をどう扱うかについて、他のシオニスト指導者との間で持たれたものである。「今は強烈な荒療治が必要だ。われわれは、それのタイミング、場所、相手について間違いのないようにしておく必要がある。女や子どもも含め、情を捨ててひどい目に遭わせる必要がある。さもないと効果的な対策にならない。彼らに罪の有無を斟酌する必要はない」(p.181)
- ベニー・モリスはこう説明する。
「占領が始まったとき、イスラエルは『自分たちは“野蛮”ではなく、“慈悲深い”占領を行っている。世界の他で見られる軍事占領とは質が違う』と考えたがった。そして世界にそう語った。だが事実はまったく違った。他のすべての占領と同じように、イスラエルの占領も暴力、抑圧、恐怖、敵への協力と裏切り、殴打と拷問室、そして日々の脅し、屈辱、あやつりなどからなるものだった」
- 87−91年の第一次インティファーダに関する“児童救済基金”スウェーデン支部の報告書。
「第一次インティファーダの最初の2年間で、23600人から29900人の子どもが打撲傷の治療を必要とした」と推定される。そして「およそ3分の1は10歳またはそれ以下、5分の1が5歳以下、5分の4を越える者たちが頭と上半身そして複数部位を殴られ」、さらに「ほぼ3分の1の子どもが骨折している。その中には複雑骨折も含まれている」「射殺された子どもの106件の記録のうち、ほとんどすべてが狙撃されたものであり、手当たり次第の銃撃や、跳弾によるものではなかった。約20%に複数の銃痕があり、12%が背後から撃たれており、15%が10歳以下。ほとんどの子どもたちは撃たれたときには投石デモに参加していなかった。5分の1の子どもたちが、家から10メートルの範囲内で射殺されている」(p.183)
- 2000−05年の第二次インティファーダへのイスラエルの対応は、さらに暴力的なものだった。イスラエルの『ハアレツ』紙でさえこう書いた。
「IDFは殺人マシーンへと変わりつつある。その効率は恐るべきもので、その上ショッキングだ。IDFは暴動の数日で、百万発の弾丸を発射した。それは妥当な対応というにはほど遠い。その暴動以降、イスラエルは3386人のパレスチナ人を殺した。一方、992人のイスラエル人がパレスチナ人に殺された。つまりイスラエル人1人に対し、3.4人のパレスチナ人が殺された勘定になる。死者のうち、676人はパレスチナ人の子ども、118人はイスラエル人の子どもだった。したがって殺されたパレスチナ人とイスラエルの子どもの人数比は5.7対1である。パレスチナ人の死者の半数以上が戦闘員ではなかったのは確かだ」(p.184)
- イスラエルの国内治安組織“シン・ベト”の4人の元幹部が、03年11月の第二次インティファーダにおけるイスラエルの行動を非難した。そのうちの1人は「我われは恥ずべきやり方で行動している」と述べている。別の1人は「イスラエルの行動はまったく非人道的だ」とさえ叫んだ。(p.184)
- イスラエル側の反論
「イスラエルはこれまでずっと存亡に関わる脅威に直面してきた。それは“イスラエルを拒否する”というアラブ諸政権からの脅威であり、パレスチナ人のテロからの脅威である。イスラエルは自国民を守るためなら何でも行う権利を与えられている。たとえイスラエルがしばしば荒っぽい対応をするにしても、テロという無類の悪があるため、米国の対イスラエル支援継続は正当化されるべきだ」
実際には、この主張も人道的理由として説得的ではない。パレスチナ人もまたイスラエルの占領者だけでなく、罪のない第三者へのテロを行ってきた。彼らの一般市民への攻撃も厭わない態度は間違っているし、非難されるべきものだ。しかし、これは驚くことではない。なぜならパレスチナ人は長い間、基本的な政治的権利を与えられておらず、イスラエルに譲歩を強いるには他に方法がないと考えているからだ。元(イスラエル)首相のエフード・バラクは、かつて「もし自分がパレスチナ人に生まれていたならば、自分はテロリスト組織に加わっていただろう」と認めている。もし立場が逆でイスラエルがアラブの占領下にあるとすれば、イスラエルは占領者に対して、ほぼ間違いなく同じ戦術をとるだろう。世界中のその他の抵抗運動と同じなのだ。(p.186)
- 実際、シオニストが弱い立場にあり、自分たちの国を勝ちとろうとしていた頃には、テロリズムは彼らの最重要戦術の1つだった。ベニー・モリスは、「アラブ人たちは爆弾テロの価値をユダヤ人から学んだのだろう」と推測している。44年から47年にかけて、いくつかのシオニスト団体は、英国をパレスチナから追い出すために爆弾テロという手段を用い、多くの罪のない市民を巻き添えにした。またイスラエルのテロリストは、国連の調停委員のフォルケ・ベルナドット伯爵を48年に殺害している。それは彼らが「エルサレムを国際管理下に置く」というベルナドットの提案に反対したからだ。これらのテロ実行犯はごく一部の過激派だというわけではなかった。首謀者たちは、後にイスラエル政府から恩赦を受けている。そのうちの1人は国会議員に選出された。もう1人のテロリストのリーダーは、後に首相となるイツハク・シャミールだ。彼はこの殺害計画に賛成していたが、実行はしなかった。彼は堂々と次のように述べている。
「ユダヤ教の倫理もユダヤ教の伝統も、どちらも戦闘手段としてテロリズムを禁じてはいない。むしろテロは、我われの占領者である英国との戦争で重要な役割を演じる」と。シャミールは、自らのテロリストとしての過去に対して後悔を口にすることはなかった。彼は98年のあるインタビューでこう答えている。
「もし私がしたことが、実際に行われていなかったとしたら、我われのユダヤ人国家の独立が達成できていたかどうか」(p.187)
- シオニスト武装集団として名高い“イルグン”を率い、後に首相になったメナヘム・ベギンは、イスラエル独立以前の最も有名なテロリストだった。イスラエルの首相レヴィ・エシュコルは、ベギンについて話す際、よく彼を「ザ・テロリスト(テロリストの中のテロリスト)」と呼んだ。パレスチナ人が今日テロを行っていることは人道的に非難されるべきである。しかしシオニストが過去にテロに頼っていたことも同様に非難されるべきだ。このように「イスラエルは過去の行動でも現在の行動でも人道的に優れている」という理由で米国のイスラエル支援を正当化することはできないのだ。(p.187)
- もう1つ出てきそうな擁護論は次のようなものである。
「イスラエルは意図的に非戦闘員を標的にしてはいない。だが、ヒズボラとパレスチナ側はイスラエルの一般市民を殺害することを目的としている。さらにテロリストたちは、市民を人間の盾として使っている。こうなるとIDFには選択の余地はない。死をもたらす敵を攻撃するには、やむなく罪のない一般市民を殺すしかなくなる」
この理由もまた説得的ではない。IDFはレバノンの一般市民地区をも攻撃した。かつヒズボラが人間の盾として一般市民を使った証拠はほとんどない。パレスチナ人の一般市民を殺害することがイスラエルの公式の政策でないという証拠もない一方で、IDFはハマスやイスラム聖戦のようなグループと戦う際、一般市民の死傷者を出さないよう配慮をしてはいない。確かにヒズボラとパレスチナ人は一般市民を標的にしている。だが、この事実があるからといって「圧倒的な軍事力を用いて一般市民を危険にさらす権利」がイスラエルに与えられることはないのだ。
ハマスとヒズボラのようなグループの暴力行為に、イスラエルが力で応じることは認められている。このことに何も問題はない。しかし、イスラエルは罪のない一般市民に大きな苦しみを与えるために、圧倒的に優位な軍事力行使を厭わない。この姿勢はイスラエルが繰り返す“特別な人道的地位”という主張に疑問を投げかける。イスラエルは他の国々よりひどい行いをしてきていないだろうが、よりよい行動もとってこなかった。(p.188)