2008年9月2日(火)
「プロ、セミプロの映像ジャーナリスト、ドキュメンタリストたち、またその道を志す若い人たちが“学び合い、鍛え合う場”を創る」ことを目指し、「ドキュメンタリー映像研究会」を、私が綿井健陽氏と共に立ち上げたのは今年2月だった。その後、紆余曲折を経て、その名前も「ドキュメンタリストの会」と改め、細々とながら毎月勉強会を続けている。
昨日は、NHKのディレクター、山口智也氏に講師をお願いした。山口氏がディレクターの1人として関わったNHKスペシャル「埋もれたエイズ報告〜血液製剤に何が起こっていたか〜」を素材に、“調査報道”について山口氏は語った。
被害者たちによる裁判闘争の場以外では、まだ日本社会ではほとんど認識のなかった“薬害エイズ”を広く世間に知らしめ、その後の“薬害エイズ”報道の大きな流れを作るきっかけとなったこの番組は、棚何段にも山積みされた膨大な裁判資料のコピーから始まったと山口氏は言う。さらにアメリカからも膨大な裁判資料や血液製剤会社に関する資料のコピーを取り寄せ、翻訳作業とその読み込みが延々と続いた。問題の所在を探る手掛かりを、徒労とも思えるその膨大な資料の読み込み作業から探し出す、気が遠くなるような作業だったという。それで発見したほんの数行の手掛かりを元に、4人のディレクターたちが日本国内やアメリカに散って取材を続けていく。その作業の中から次の手掛かりを見出し、4人の連携で取材対象を分担し、さらに掘り下げていく……。下調べに1年近く、実際の取材・撮影が始まってからさらに1年近くを要している。
これこそ“調査報道”であり、それにかかる膨大な時間と資金が許されるNHKだからこそできる取材である。私たちフリーランスジャーナリストは、それを真似るにはあまりにも難しい条件下にある。
しかし、私が現在、取材の前の地道な“調査”をあまりに怠っていることを、思い知らされた。問題の所在を、手探りで暗中模索する手間を省いて、「現場へ行けば、問題が見えてくる」と言った安易な「現場主義」に陥ってしまいがちだった。それではいけないと思いつつ、その調査に要する年月と手間を支える経済的基盤がないために、「現場主義」へと走ってしまうのだ。
それでも、今の私にもやれることはある。取材前に手に入る限りの資料をきちんと読み込んで、「何がすでに語られ、何が語られていないか」を見極めることぐらいはできるはずだ。
もちろんフリーランスだからこそ、できる取材もある。例えば、一箇所に長期滞在し、定点観測する“住み込み”型取材などはその1例だ。メディアの大組織と同じ手段で競い合っても、条件が悪すぎる私たちに勝ち目はない。フリージャーナリストの利点とは何かをきちんと見極め、それで勝負するしかない。
それにしても、私たちがぶつかる最大の壁は、「その取材結果をどこで発表するか」という問題だ。組織ジャーナリストたちは、確実に発表できる“場”が、しかも何百万単位の視聴者に届けられる“場”がすでに用意されている。しかし私たちはまずその場を確保するために、相当な時間と労力を費やさなければならない。しかもその“場”を確保するチャンスが急減している。発表の場がなければ、私たちは取材に要した経費を回収する道もなく、生活を維持することも困難になる。そして何よりも、取材する意欲、情熱を削がれてしまう。「これを取材しても発表できなかったら、この作業にどんな意味があるのだろう」という自問が頭をもたげてくるのだ。
その発表の“場”をどう確保していくか──。それも私たちが「ドキュメンタリストの会」を発足した理由の1つだった。個人ではなかなか見出せない“場”も、集団の“力”で活路が見出せるかもしれない、いや新たにその媒体を模索できるかもしれないと思うからだ。
私個人としても、その模索を続けている。いま取り組んでいるドキュメンタリー映画の制作、自主制作映像のDVD化などもその1つだ。
今年55歳、現役のジャーナリストとして活動できる期間はそう長くはない。焦る。
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