Webコラム

日々の雑感 118:
PTSD米兵と「沈黙を破る」イスラエル兵とは何が違うのか

『兵士たちの悪夢』の内容については、NHKドキュメンタリー『兵士たちの悪夢』1をご覧ください。

2008年10月11日(土)

 『兵士たちの悪夢』に登場する兵士たちと、私が『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』で紹介したイスラエル兵たちとは、どこが共通し、どこが違うのか。
 「敵を殺す」という“兵士の目的”を実行するために両者が共通して身につける習性は、何よりも「敵の非人間化」「敵に対する徹底的な差別意識」である。
 前回と重複するが、『兵士たちの悪夢』のなかで、「敵の非人間化」と「差別意識」を象徴する例を挙げてみよう。
 第二次大戦末期、アメリカ陸軍の要請を受け、数多くの兵士たちにインタビューし、実際の戦闘中に兵士たちがどういう心理状態に置かれていたかを調査した歴史学者S・L・A・マーシャルは、その調査結果を元にこう結論づけている。

「人は同胞たる人間を殺すことに対して、ふだんは気付かないが、内面に抵抗感を抱えている。その抵抗感ゆえに義務を免れる道さえあれば、何とか敵の生命を奪うのを避けようとする。いざという瞬間に良心的兵役拒否者になるのである」

 つまり、兵士が人を殺すことに抵抗感を持たないようにするには、敵兵を「同胞たる人間」と思わせないようにする必要があるということだ。実際、その結論にそって、軍事訓練が「改良」されるのである。
 ウエストポイント陸軍士官学校で教鞭をとった軍事史の研究者のディーン・ウィリアムスは、こう発言している。

 「兵士が他人を殺すことに抵抗を持つとすれば、それを克服する訓練が必要です。射撃の訓練も丸や四角の的を狙うのではなく、人間の形をしたシルエット標的を使います。すると兵士たちはこう考えるようになります。『敵はあの人型のようなもので、実際の戦場で自分が撃つのも、人間のように見える物体なのだ。訓練でいつも人型の物体に向かって練習していることを実行すればいいのだ』と。これが心理的な抵抗を乗り越える方法でした」

 さらに元訓練担当軍曹だったベトナム帰還兵のスティーブ・ハスナは、敵ベトナム兵についてこう語っている。

 「まず敵は人間以下だと教えます。ベトナム人は銃を真っ直ぐ撃つことさえできないと教えたりしました。あいつらの目は細くてものがよく見えない。アメリカ人の丸い目とは違うんだとね。敵を殺させるには、相手が人間だという感覚を徹底的に奪っておくことが重要です。なぜなら敵も同じ人間だと感じた途端、殺せなくなるからです」

 これに類する言葉が、私が取材した「沈黙を破る」の元イスラエル軍将兵たちの証言の中に見られる。
 「沈黙を破る」の代表ユダ・シャウールは、彼が言う「記憶を自分のなかに押し込め、それを否定する」とはどういうことなのかという私の問いに、こう答えている。

 「3年もの間、日常的にパレスチナ人の市民生活を支配し、住民のプライバシーを侵害し続け、彼らに対する人間としての感情を遮断し続けた後に、生まれた何かです。他の人間に対して感情を抱くことができた以前の自分に、ある時点から戻れなくなってしまうのです。軍隊のなかでは、“プロの兵士”でなければならないし、とても強烈な世界です。任務中は、プロでなければならず、感情なんて差し挟んではならない。A、B、C、Dと命じられた通りに行動するよう訓練されるのです。そして戦闘兵士でなくなっても、この“プロの兵士”意識は残り続けます。どこか深いところで自分の感覚を失っているのです」

 また狙撃兵だったドタン・グリーンバルグは、こう証言した。

 「訓練ではダンボールの標的を狙う。それは人間の形をしていて、頭部や心臓部が描かれている。訓練が終ると、兵士は現場で任務につきます。その時、テレスコープの向こうに見えるのは人間です。それに銃口を向けるのです。相手は全く罪のない人間であり、それに銃を向けるのは危険なことですが、テレスコープに映る“像”が何であるかは無視してしまう。6歳の少年であろうと、老人であろうと、テロリストであろうと、みな同じなのです。それを単なる“射撃の対象”“物体”と見ているのです」

 “非人間化”されるのは敵だけではない。「敵を殺す」ことを任務とした兵士たちは、自らをも“非人間化”されていく。そのプロセスも、『兵士たちの悪夢』の兵士たちと「沈黙を破る」の元イスラエル軍将兵たちとの間に変わりはない。
 ベトナム戦争時代、訓練担当の軍曹だったハスナによれば、基礎訓練のあらゆる場面で、新兵たちは「kill(殺せ)」という言葉を叫ぶように指導される。「殺せ」という言葉を繰り返すことは、「新兵から民間人の部分を消し去り、兵士に変えるため」の“条件づけ”だったというのだ。
 「民間人の部分を消し去り、兵士に変える」ために、心の備え、“予防接種”をしてやる必要があると説くのは、訓練・教義司令部の元アメリカ陸軍少将のスケールズ氏だ。

 「1度では効きませんから、戦場に送り込むたびに何度でも事前の訓練をして、予防接種を打ち、戦場の現実に直面させ、慣れさせる必要があるわけです」

 つまり兵士を“人を殺せる”までに“非人間化”するために、何度も“予防接種”する必要があるというのである。

 一方、「沈黙を破る」の元イスラエル兵、アビハイ・シャロンは、占領地での任務で人間性を失っていく状況をこう語っている。

 「ナブルスでは、兵士たちは住民の家々を壊しながら前進しました。想像してみてください。18、19歳のガキが日に12時間も14時間も、しかもそれを何週間にもわたって来る日も来る日もやるのです。壁を壊して次の家の居間に押し入る。そこからまた壁を崩して次の居間へ進む。そんなふうに、一区画すべての家々でそれをやるのです。そんなことをしていたら、人間の中で何かが崩れていき、心が退廃していかないわけがない。人間の生命にも、他人の財産にも、住民の家についてもまったく無感覚になってしまうのです」

 「6歳や7歳の幼い子供の目を見ると、泣いているのです。だって、部屋に放り投げ入れられ、クローゼットをひっくり返され、自分のものがメチャクチャにされて調べ上げられ、その子の母親の下着まで調べられるのです。住民が家の中にいるのに、その家の壁に爆薬を仕掛ける。どんなひどい被害をその家族に与えるか想像してみてください。そのすべてが何も特別なことではなく、日常のいつもの任務なのです。だからもう自分の中に“鍵をかけてしまう”しかないのです。“否定”の中で生きる。つまり自分が何者であるかなんて考えないことです。ただ淡々と任務をこなし、部隊の基地に戻ってきて、眠る。そして起きて、次の任務に出かけていく。それだけです。それに疑問を持たないように、自分自身を内側に閉じ込め鍵をしてしまいます。自分がやっている現実に気づかないこと、見ないことです。そんな自己崩壊的な状況になると、もう抜け殻状態になります」

 「まったく無感覚になる。相手のパレスチナ人に対しても、その家々に対しても、また彼らの財産に対してもです。もう自分自身についてもどうでもよくなってしまう。テロリストの家の外で、夜中に眠り込むことだってできる。眠り込んでしまうのです。もうくたくただし、自分のことはどうでもよくなっているから。それが、兵士が無感覚になり、自分が生きている現実を絶えず否定するようになるプロセスなのです」

 「そこでは誰もが、その人なりの時間をかけて、その人の程度なりに、みな無感覚になっていくのです。無感覚になるから、パレスチナ人の家に押し入ってすべてをムチャクチャにしてぶっ壊す、そして家の中にあるものをお土産に持ち帰るために略奪する。またある者は感覚を失っているから、手錠をかけられているパレスチナ人さえ蹴り上げる。無感覚になるから、黙り込んでしまうのです」

 戦場または占領地で“非人間化”されていく兵士たち。彼らの人間性が完全に崩壊させられることから自己防衛する“盾”は、その行動の“動機”、“大義名分”である。『兵士たちの悪夢』に登場する兵士たちと「沈黙を破る」の元イスラエル軍将兵たちとの違いは、“戦場”と“占領地”の違い、そしてその行動の“動機”の強弱に由来するのではないか。
 “占領地”では、“戦場”と違い、占領するイスラエル軍将兵とその「敵」のパレスチナ人とは圧倒的な武力の差がある。だから占領地のイスラエル軍将兵には戦場でのような「いつ敵から攻撃され、殺されるかもしれない」という、トラウマを引き起こすような恐怖心を抱くことは少ないだろう。そのことは、いつジャングルの茂みから攻撃されるかわからないベトナム戦争時の米兵や、パトロール中に道路に仕掛けられた爆弾や建物のどこから狙撃されるかわからない恐怖心に怯え続けるイラクの米兵とは、同じ兵士であっても立場がまったく異なる。
 もう1つの要素は兵士となって戦場や占領地に赴く兵士たちの“動機”の問題である。除隊後、奨学金で大学進学の夢を果そうと軍に入隊する貧困層の若者、低学歴で安定した職にも就けず生活のために入隊した青年たちは、イラクへ兵士として送られても、なぜ自分がそこで闘うのか確固たる動機を持ち得ないのではないか。派兵前の軍事訓練でたとえ「新兵から民間人の部分を消し去り、兵士に変え」られたとしても、どんなに外から“条件づけ”されようとも、その兵士の内部から湧き起こる“闘う動機”は薄いに違いない。
 一方、イスラエル軍将兵はどうか。彼らは幼少の頃から、家庭や学校教育の中で、ホロコーストに代表されるユダヤ人の長い迫害の歴史、“被害者意識”を叩き込まれる。「2度とホロコーストを繰り返さないために唯一のユダヤ人国家イスラエルは強力でなければならない」「自国の周囲を、敵意を抱くアラブ諸国に囲まれたイスラエルは、1度戦争に敗れれば海に追い落とされ国家は消滅してしまう」という危機感(“ホロコースト・メンタリティー”)、またその一部である「自爆テロなどパレスチナ人過激派のテロから同胞を守るのだ」という使命感が、イスラエル兵たちに他に例を見ない「愛国心」「国を守る強い意識」「闘う強固な動機」を与えている。さらに「ユダヤ人がホロコーストのような惨劇に2度と見舞われないためには、周辺への少々の加害も許される」と、周囲への加害も正当化してしまう。“ホロコースト”を“免罪符”にしてしまうのだ。それは“心の鎧(よろい)”となり、他国の兵士たちと違い、加害の罪悪感、後ろめたさに自らが苦しむのを和らげる“クッション”となっているのではないか。私に証言した「沈黙を破る」の主要メンバーたちは、「絶大な権力への快感」「感情鈍麻」「道徳心、倫理観の麻痺」など自分の人間性が崩壊する危機感や、そのイスラエル社会への波及についての危惧は能弁に語っても、自らの加害によって生活や生命を奪われ破壊されていった被害者のパレスチナ人たちの苦悩や惨事に対する罪悪感でPTSDを抱えているようには見えない。それが、ベトナム戦争時のソンミ虐殺に関わり28年後にその罪悪感で自ら命を絶った元アメリカ陸軍兵士バーナード・シンプソンや、イラクのファルージャで、誤って民間人男性を射殺してしまった罪悪感で深刻なPTSDに陥り、帰国しても社会復帰できない元アメリカ海兵隊員アンドリュー・ライトらと根本的に違うところではないか。

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