Webコラム

日々の雑感 121:
著書『イスラエル人とは何か』に抱く疑惑

2008年10月31日(金)

 『イスラエル人とは何か─ユダヤ人を含み超える真実─』(ドナ・ローゼンタール著)の表紙はイスラエル国旗。パレスチナ問題に関心を持つ人たちには、手に取るのもためらわせるかもしれない。

 ごく普通のイスラエル人に関する著作としてはここ数十年で最高の本だと思う。(元タイム誌イスラエル支局長)

 こんな副題をつけることができるだろう。「イスラエルとイスラエル人について、常々知りたいと思いながら、恐くて訊けなかったことすべて」。宗教、軍隊、社会的道徳観、民族集団などなど、いろいろな側面をほとんど網羅し、それらを客観的に、「普通のイスラエル人」の目を通して解説している。爽快なことに、政治家や社会学者の視点からではない。(『エルサレム・ポスト紙』)

 といった書評が裏表紙に紹介されている。たしかに見出しを見ると、これまであまり公に語られることのなかったテーマに目を惹き付けられる。「イスラエル流恋愛術」「戦争の英雄から起業家へ、世界的なデジタル・エリートはこうして生まれている」「イスラエル流の結婚・一夫多妻・不倫・離婚 ─独特な家族構造と夫婦生活」「えっ!ゲイなの? ─イスラエルは世界最先端のゲイ・トレンドの国」「聖なる地の裏社会 ─巨大犯罪組織が牛耳る売春と麻薬の闇産業」等々。
 著者は、名前からわかるようにユダヤ人。カリフォルニア大学バークレー校で学士号を取得し、レバノンなどでも取材体験を持つことから類推すると、ユダヤ系アメリカ人なのだろう。ただ「イスラエルテレビの報道担当プロデューサー、イスラエルラジオのリポーター、『エルサレム・ポスト』記者、エルサレムのヘブライ大学講師等を務めてきた」といった経歴からすると、長くイスラエル国内で暮らす、アメリカとイスラエルの両方の国籍を持つユダヤ人だと思われる。

 たしかにこの本は、私たちが漠然とした知識しか持たない「アシュケナジム」「ミズラヒム」「セファルディム」「ロシア系」「エチオピア系」「正統派ユダヤ教徒」などイスラエル内のさまざまなユダヤ人社会、「イスラム教徒」「遊牧民ベドウィン」「ドルーズ派」「キリスト教徒」などイスラエル内のアラブ社会の人びとを総体としてではなく、等身大に、固有名詞の人物とその社会を具体的にルポするという画期的な仕事を成し遂げていて、パレスチナ・イスラエル問題を追う私たちにも貴重な参考書となる。
 しかし、本書で描かれているのは、「絶えず周辺アラブ国家の敵意とパレスチナ人のテロに脅かされ、それと闘う『被害者』イスラエル国家と国民」という視点からの「イスラエル」観である。その根底には同じユダヤ人同胞への理屈抜きの偏愛があるのかもしれない。
 それが象徴的に現われているのが、2002年4月のイスラエル軍によるジェニン侵攻に関する記述だ。「『二一世紀の大虐殺』と報じられた事件は真実だったのか」という小見出しが付けられた章では、まずラマラのアラファト官邸から押収した「大量の機密文書」のなかに、「パレスチナ人の暴動」が「自然発生的ではなかった」こと、イランとイラクが「資金提供し指示している」こと、「イラクが『大規模テロ』をもくろんで工作員や武器をひそかにイスラエルに送り込んでいた」こと、「サダム・フセインがパレスチナ自治政府の役人をブローカー役に使って石油を密輸し、見返りとして何百万ドルも金を払っていた」こと、さらに「パレスチナ側が、その金でロケットや地雷、機関銃、誘導ミサイルなどの武器を大量に買っていたこと」を示す書類があったと記されている。(pp.122−123)
 もしこれが事実なら、重大なスクープとして世界中のメディアが大々的に報じたはずだ。しかし当時、私は現地と日本でパレスチナの状況について情報を集めていたが、そんなニュースを目にしたこともなかった。
 著者はさらに、これらの書類の押収から数日後に、「その証拠にある手がかりをたどって、イスラエル国防軍は戦車や装甲兵員輸送車、ブルドーザーを投入してジェニン難民キャンプに侵攻した」、「このキャンプは数多くの『成功した』自爆テロ犯が訓練を受けた場所だ」と、ジェニン侵攻の理由を説明し、結果的に「大量の弾薬や爆発物、多数の爆弾工場を発見した」とその「成果」を記している。
 さらに著者は、世界のメディアが、ジェニンに対する無差別攻撃、殺戮が起こったと伝えた報道に対して、「作家でシナリオライターの元イスラエル国防軍軍曹が、予備役少佐の軍医とCNN記者がジェニン難民キャンプでやり合っていた様子を話してくれた」話、つまり間接のそのまた間接の話で、これらの報道への反論を書いている。
 例えばこうだ。

 ザンゲン(軍医)は(CNN)記者にこんなふうに説明していたという。戦闘が終った時、自爆テロ志願の子供たちの写真が見つかった。それぞれの子がいつ実行に移れるかを書いたメモもあった。「どうしてと思われたでしょうね」と記者が言った。「ええ」とザンゲンが答えた。「自爆して女性と子供を大勢殺してこいと誰かの子供を送り出すなど、私にはどうしても考えられません」。「でも、それには訳がありますよね」と記者。「そういうのはみんな、結局『占領』の一語に行き着くのではないかと思うのですが」。するとザンゲンはこう答えた。「ですが、ジェニンから撤退してもう9年になりますよ」。

 この文章の後に、著者は何の解釈もつけていない。つまり著者自身が、このザンゲン軍医の言葉で、自分の主張を代弁させようとしたのである。
 世界の報道に対する重大な「反論」を、間接の間接という、根拠も言葉の正確さもあいまいな会話の聞き書きで済ます乱暴さ、そしてオスロ合意以後も延々と続く“占領”の実態を「ジェニンから撤退してもう9年になりますよ」という言葉で否定したつもりになっているナイーブさは、とても「ジャーナリスト」とは呼びがたい。ジェニンで実際、取材したことのある記者、“占領”とは何かを現場で少しでも取材したことのある記者なら、唖然として開いた口が塞がらないだろう。
 極めつけは、以下の文章だ。

 ジェニン難民キャンプの「死臭」についても、多くの報道があった。それに対し、イスラエル国防軍の高官はこう主張した。動物の死骸がにおったということもあるし近くの墓地から遺体を掘り出して、大きな墓穴にまとめて埋葬してあったから、そのにおいだ。それに、イスラエル情報部の無人飛行機に搭載したカメラで葬列を上空からとらえた映像があるが、ストレッチャーから転がり落ちた「遺体」が、自分で元の場所に戻っていた。そうした見せかけの葬式は、死者数を増やそうという演出だ。国連の虐殺調査委員会をだますためだ。(p.125)

 この文章の後には、著者による「イスラエル国防軍の高官」の主張の裏づけ取材も検証も、解釈も何もない。つまり「高官」の言葉がまるで検証済みの事実のごとく投げ出されているのだ。これはつまり著者が主張したいことを「高官の言葉」に代弁させているといってもいい。
 さらに文章はこう続く。

 4ヵ月後、ジェニン・キャンプを運営している国連は、虐殺の証拠は見つからなかったという報告書を出した。死者は52人、うち38人が武装した戦闘員だったという。イスラエル軍の死者は23人。そしてこの報告書は、人口密度の高いジェニン・キャンプに、パレスチナ人民兵が故意に武器と戦闘員を集めていた、これは国際法違反である、と非難した。またキャンプの家々が大量に破壊されたという報告についても、この報告書は疑問を呈した。目撃者の証言や衛星写真によれば、ジェニンの町は無傷で、難民キャンプのほとんどが、最悪でも軽く損傷を受けただけだという。ただし、キャンプの中心にあるサッカー場より少し広い程度の地域は、そこに立ち並んだ家々が激戦の舞台になったため、ひどく損傷を受けた。建物の多くに爆発物が仕掛けられていたので、破壊しなかったら兵士が犠牲になっていただろうということだった。さらにパレスチナの軍高官が、『タイム』誌にこんな情報を提供した。パレスチナ人の死者の中には、パレスチナ人の戦闘員がキャンプのあちこちに仕掛けたブービートラップの爆発で命を落した人もいる。(pp.125−126)

 まず「4ヵ月後、ジェニン・キャンプを運営している国連は、虐殺の証拠は見つからなかったという報告書を出した」というのは事実ではない。すでに拙著『パレスチナ ジェニンの人々は語る ─難民キャンプ イスラエル軍侵攻の爪痕』(岩波ブックレット/2002年)の「あとがき」にも書いたが、著者の言う「報告書」とは、侵攻から4ヵ月ほど経た2002年8月1日、アナン国連事務総長(当時)がまとめた国連報告書である。この報告書を丹念に読んでみると、「虐殺の証拠は見つからなかった」という記述はどこにも出てこない。ただ1箇所だけ、「自治政府のある高官は4月中旬に約500人が殺害されたと主張したが、その数はこれまで出てきた証拠に照らし合わせても実証できなかった」という一文がある。つまり著書は、「約500人が殺害されたという主張は実証できなかった」ことを「虐殺の証拠は見つからなかった」とイスラエル当局の都合のいいように「翻訳」「拡大解釈」して伝えるのだ。著者は、500人より少ない数十人程度なら「虐殺ではない」とでも言うのだろうか。
 また「キャンプの中心にあるサッカー場より少し広い程度の地域」が「ひどく損傷を受けた」のは、「そこに立ち並んだ家々が激戦の舞台になったため」であり、「建物の多くに爆発物が仕掛けられていたので、破壊しなかったら兵士が犠牲になっていただろう」というイスラエル軍側の主張をジャーナリストとしてちゃんと現地で取材し検証することもなく、そのまま「軍報道官」さながらに伝えていく。「御用ジャーナリスト」とはこういう書き手のことを指すのだろう。

 このように不正確で、裏づけのない記述を本の各所にみつけてしまうと、私が前述したような「人びとを総体としてではなく、等身大に、固有名詞の人物とその社会を具体的にルポすると言う画期的な仕事を成し遂げていて、パレスチナ・イスラエル問題を追う私たちにも貴重な参考書となる」という評価も再考しなけばならなくなりそうだ。イスラエル国内に関する様々な記述についても、「ここで書かれていることは、ちゃんと取材し裏付けされているのだろうか」という疑惑を抱いてしまうからである。

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp