2008年11月8日(土)
来年5月ごろに劇場公開する予定の私のパレスチナ・ドキュメンタリー映画『沈黙を破る』の試写会を11月2日、明治大学で行った。まだ完成版ではなかったが、私の映画制作のために「土井敏邦 パレスチナ記録の会」に寄付してくださった方に、1日も早くその進行状況を報告すること、そして映像のプロの方々に率直な批評をいただき、完成に向けて最後の仕上げをする段階での参考にさせていただくためだった。参加者は数十人と多くはなかったが、上映後の映像・パレスチナ問題の専門家たちの感想、そしてアンケート用紙に残された参加者の方々の意見、批評は、この映画がどう見られるか不安だった私にとって貴重な判断材料となった。
この段階で長さは2時間3分。今年1月から4月にかけて、私自身が粗編集した映像は、2時間30分ほどで、第1部「侵攻」(約1時間)では2002年3月から4月にかけてのイスラエル軍のバラータ難民キャンプ侵攻、ジェニン侵攻とその5年後、第2部「告白」(約1時間半)では、『沈黙を破る』のグループの元イスラエル軍将兵たちの証言と2部構成になっていた。それが編集の段階で、1部と2部を組み合わせシンクロさせたものに変わった。そうすることで、後半の元将兵たちの強烈な証言によって第1部のパレスチナ人の記録と存在感が薄れ霞んでしまう難点、さらに証言を延々と1時間半近くも聞かされる疲労感も解消された。ただ、粗編集を以前見てくれていた映像専門家たちの中には、粗編集の方がインパクトがあったという感想をもった人もいたが。
試写会のアンケートに答えてくださった参加者たちの感想をいくつか紹介する。
当初、この映画はパレスチナ寄りだというイメージを持って観ていたのですが、占領の現実に立ち向かう元イスラエル兵、そしてジェニン難民キャンプ侵攻の過去を乗り越えようとするパレスチナの家族、お互いのジレンマを描くことで本当の“中立性”を現そうとしたのではないかと理解した。(大学生)
この映画では被占領者であるパレスチナ人と、占領者側イスラエル人の中でも現状に疑問を抱く人と、現状に背を向ける人といった3つの視点からの意見が反映されていて、バランスが良いと思いました。個人的には「沈黙を破る」運動を知った、現状に背を向ける側の人の反応がもっと知りたいと思いました。(大学生)
この『沈黙を破る』ほど、“見ながら考える”という作業ができる作品に出会ったことはありません。この作品ほど、自身の思考回路にメスを入れられたものはありません。物事の解決策が、その入り口も出口も思考であると言う点を考えても、この「思考を問う」編集に心から共感いたします。(大学生)
「沈黙を破る」のメンバーの語りの中心になっているものが、“自分の人間性”が壊れていくこと“への回復だという点です。“病い”であり、“異常な状態”であることは自覚されており、その意味で、加害性を自覚化していて重要なことだとは思うのですが、圧制に苦しむ“他者の立場”“相手の立場”になって考えることからの発言がほとんどなかったことが印象に残りました(唯一、ノアム・ハユットの発言には少しそれが感じられました)。(中略)ちょっと彼らにきつい言い方をすれば、「自分の辛さ」への告白ではあっても、「他者の辛さ」への共感として伝わってくる発言が少ないということでもあります。(大学教員)
「編集」の重要性というものを改めて感じました。これまで知っているカットやシーンが、ある文脈に置かれることで独特の力、本来の意味が明らかになってくるということです。今回は、土井さんが撮ったカットの本来の力が発揮されていると感じ、小生のこれまでの仕事を反省させられるところが大でした。大変なパワーを持つ作品だと思います。(NHK関係者)
テレビ番組の中ですでに見たことのあるカットも多いのですが、間合いを充分にとった編集と証言の言葉の重さが、ナレーションのない作りの中で実に有効で、全く違った訴求力をもっていました。(NHK関係者)
「音楽がない」と事前に聞いていたので、「飽きないかなー」と思っていましたが、生活音が十分音楽の役割を果たしていると思ったし、逆にそれが臨場感を持たせていてよかったと思います。(教員)
概して好意的な意見が多く、手厳しい批判は少なかったのは、長年かけて編集作業を続けてきた私への“ご祝儀”の意味もあったのだろうから、額面通りには受け取れないが、この作品がドキュメンタリー映画として一般の方々にも見てもらえそうだという手応えはあった。他にも、映像やパレスチナ問題の専門家たちから会場で貴重な感想・意見をいただいた。その多くは、これを読んでいる読者には映像を観ないと文面だけでは理解しがたいので、ここでは割愛する。
これまで、長い時間をかけて試行錯誤しながらまとめ上げてきたこの作品を、一般の方と、映像やパレスチナ問題の専門家の方々に見てもらうのは今回が初めてだったため、どんな評価が下されるのかと私は不安で仕方がなかった。
そんな私を感激で舞い上がらせたのは、心から尊敬するある映像のプロAさんから送られてきた感想のメールだった。
この作品は証言と現場の記録でつづられている。Yも言っていたけれど、登場する人たちの「ことば」がすごい。そのとおりだと僕も思う。「ことば」としてまっすぐに発せられている。みな自分の 「ことば」をもっている。それは彼らのいる現場が、感じさせ、考えさせ、そのような「ことば」 を持たせたのだとも言えないだろうか。たとえば日本のどこかにいる私たちは、ひとりひとりそのような「ことば」を持ち得ているか? 不思議なのは、この作品で語られる「ことば」にニヒリズムが感じられないことだ。「ことば」に対する不信が感じられないことだ。日本でいま語られる「ことば」にこれほどまでの率直さを見ることができるだろうか。ちょっと大げさかもしれないけれど、この作品を見るとそんなことまで考えさせられ、自分の中身を点検せざるをえないような気持ちに追い込まれる。今、自分は、この日本という場で何を記録し、伝えようとしているのか、つくづく考えさせられました。
そしてAさんは、こういう感想を書き添えてくれた。
眼も耳も頭もこころも、見ている間総動員させられました。見終わって、ことばが出ないほど打たれました。
ぼくにはこの作品を論じたりすることはできません。それはこの映画を見たことがぼくにとってひとつの確かな体験といっていいようなものとしてあると思うからです。
私は感涙した。そしてAさんにこういう返事のメールを書き送った。
私のような素人に毛の生えたような者の映像を、プロ中のプロのAさんのような方に見ていただくだけでも、おこがましいと思いながら、もっといい映像が撮れるように勉強したい、Aさんに教えていただきたいという思いで、ご案内を差し上げた次第です。そんなAさんからの、身に余るメールをいただき、まずびっくりしてしまいました。現場に行くことしか能のない私の映像をAさんはこういうふうに見てくださったのかと思うと、とても信じられないと同時に、舞い上がってしまうほど感激しました
この2、3年、どんなに現場に行って、私なりに一生懸命に取材しカメラを回してきた映像も、ほとんどテレビに発表する場もなくなり、このまま続けていけるのかと自信も失いかけていました。それでも、今まで自分がやってきた仕事の軌跡、つまり自分がこれまで生きてきた軌跡だけでも、ドキュメンタリー映画という形で残したいという思いで、この3年ほどの年月をかけ、独りでこつこつ編集し、4本の映像にまとめあげました。この映画の仕事をやり終えたら、この仕事を辞めていいとさえ思い始めていました。
追い討ちをかけるように、先月、軽い脳梗塞で倒れ、1週間ほど入院してしまいました。幸い治療が早かったので、後遺症は残りませんでしたが、以前のように激しい現場へ出かけていくことは無理かもしれないという不安を感じるようになっています。そんな不安と自信喪失の中にあった私にとって、Aさんのメールがどれほど励みになったことか。たとえ大きなメディアの世界では相手にされないジャーナリストであっても、Aさんのこのメールのお言葉を心の支えにすることだけでも、この仕事を続けていけそうな気さえしています。Aさんのメールは私にはそれほど大きなものでした。
なんとお礼を申し上げていいかわかりません。ほんとうにありがとうございました。
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