2008年11月24日(月)
(ブライアン・デ・パルマ監督作品)
1ヵ月以上も前に配給会社の方から招待券をいただきながら、なかなか劇場へ足が向かなかった。忙しかったからだけではない。「イラク」「米軍兵士」「検問所」「少女レイプ」「家族の惨殺」……パンフレットから飛び込んでくるこれらの言葉からも、観た後、気持ちが暗くなることは目に見えている。しかもこの映画を観にいった知人から「以前観た『兵士たちの悪夢』(このコラムで紹介したNHKのドキュメンタリー番組)と違い、観た後に“ざらざらとして嫌な気持ち”が残る映画」と聞かされていた。そんな映画をわざわざ時間を割いて渋谷まで出かけてまで観る必要があるのか、と思っていたからだ。
しかし連れ合いに強引に誘われ、昨日しぶしぶ渋谷に向かった。
映画の前半、検問所の様子がアップとロングの映像を織り交ぜながら、荘厳なクラシック音楽(ヘンデルの「サラバンド」)の中で延々と映し出される。その後に起こるであろう事件を引き立てるための「嵐の前の静けさ」だろうが、それが気の弱い私の不安をいっそう掻き立てる。私は小さい頃から映画館で、次に何か登場人物に“不幸な事件”が起こりそうだと予感すると、手で目を覆ってしまうか、ときには劇場から逃げ出してしまったものだった。それほど私は神経が細く、気が弱いのである。それを50代半ばになった今も引きずり、怖いシーンを予感すると、すぐに目を覆うか、逃げ出すか、テレビならチャンネルを変えてしまう。
果して、この検問所の静かなシーンを見ているうちに、私は怖くなり、劇場から逃げ出したい衝動に駆られた。しかし隣に連れ合いがいるのでそうすることもできない。怖さが半減するかもと、私は片目を手で覆って、こわごわ観続けた。
検問所の陣地で50キロを超える重装備に身を固め、50度近い炎天下で何時間も検問に立ち続ける兵士の顔に汗が伝って流れるアップのシーン。私自身、立ち眩みしそうな猛暑のバグダッドで取材した当時が彷彿と思い出される。あのとき、重装備の米兵を見て、どうしてあの格好でこの50度近い炎天下で耐えられるのかと驚嘆したものだった。しかもどこから攻撃されるかわからない恐怖心を抱えながら過ごす日々。またそれが終る日は自分の影を踏もうとするときのように、近づくとまた遠ざかっていき、終りが見えない。さらに、何のためにこの地獄の苦しみに耐えているのか納得がいく目的が見えない任務。“人間が壊れていく”のは当然だろう。
兵士が壊れていくプロセスとその実態をドキュメンタリー映像で、この映画ほどに生々しく描けるのか。
私はドキュメンタリー映像やルポルダージュで表現することを生業としている。だから、この種の映画を観ると、ドキュメンタリーならどこまで描けるのだろうかと考えて見てしまう。“ドキュメンタリー”について「スポーツで言えば、手を使ってはいけないサッカー選手のようなものだ」と表現した人がいた。実際に見たり聞いたりしていないことを勝手に想像して再現することは許されない。たとえば、検問所で停止を無視したとみなされた車が米兵に銃撃され、中の妊婦と胎児が殺されるシーンがある。私も似たような事件を戦争終結から3ヵ月ほど経た2003年8月に取材したことがある。バグダッド市内で17歳の青年が運転する車が20キロほどのスピードでゆっくり米軍の検問所に近づいたとき、突然、検問していた米兵に銃撃され、後部座席に乗っていた14歳の弟が頭部を撃ち砕かれた。米兵は「止まれ」の合図を出したらしいが、それは米軍内では自明の合図であっても、イラク人民衆にはそのことは理解されていなかったのだ。
重傷を負いながらも一命を取り留めた兄や両親にインタビューし、また事件現場で遺族に立ち会ってもらって当時の状況を詳しく説明してもらい、それを映像に収めた。しかし、どんなに証言で現場での状況を再現しようとしても、この映画に描かれた生々しい映像のようには表現できない。少女レイプにいたるまでの兵士たちのすさんだ内面と言動にしてもそうだ。映画で設定されているような、現場にいた兵士自身が日記のように記録したプライベート映像以外、存在しえない映像シーンだ。ましてや外部のジャーナリストには絶対に撮れない。しかし“生々しい現実”はまさにそこにあるのだ。その後に語られる証言では、状況のあらすじは表現できても、それにねっとりとまとわりつく詳細な事実はすくい漏れてしまう。だからドキュメンタリーで描かれた「事件」は、どこかきれいに整理され、「ざらざらした気持ち悪さ」が残らないのだろう。しかし本物の現実は、まさにその「ざらざら」感を残さずにはおかないものなのだ。
極めつけは、あの少女レイプ・シーンだ。2006年3月にイラクのマフムディヤで米兵たち4人が、以前から目をつけていた14歳の女子中学生の家に押し入り、まず両親と5歳の妹を射殺した後、少女を輪姦した。その後、証拠を隠滅するために、銃で数発撃ち込み少女の頭を粉砕し、さらに体に油をまいて火を放った。この映画はその事件をモデルにしている。その事件を私たちドキュメンタリストが描くとすれば、事件直後の現場の目撃者、または現場そのものを目撃したわけではないが、現場近くに居合わせた米兵たちの証言を元に事件を再現するしかない。目撃した当事者たちは殺され、犯人たちから直接、その様子を聞きだすこともできない現実のなかでは、それ以上のことはドキュメンタリーで描けないだろう。だから、目を覆いたくなるようなあの生々しいシーンを、より現実に近く再現しようとすれば、この映画のように、ネットで手に入るだけの関係映像や証言を元に“疑似ドキュメンタリー”にするしかないだろう。“ドキュメンタリー”という手法では、観る者にこの事件を疑似体験させ戦慄させるこの映画ほどの“力”はない。
「“ものごとを伝える”とはどういうことなのか」。ドキュメンタリストの私は、この映画にこの根源的な問いを突きつけられるような衝撃を受けた。「自分は“ドキュメンタリー映像やルポ”を通して、ほんとうに“ものごと”を十分伝えきれているのか」と自問させられるのだ。
「この映画はフィクションだが、すべて事実に基づいている」。この映画はそんな字幕で始まっている。パンフレットの中で映画評論家の町山智浩氏は、「一見矛盾したような字幕で始まる『リダクテッド 真実の価値』は、フィクションとノンフィクション、ドラマとドキュメンタリーの境界線に挑戦する実験作だ」と書いている。核心を突いた指摘だ。“フィクショナル・ドキュメンタリー”という、解説の中の初めて目にする言葉は、まさに言い得て妙である。ただ私自身は、長年やってきた両手使用を禁じられた“サッカー選手”から、両手両足を自由に使える“ラグビー選手”に即座に転向する器用さはない。またそのために必要な時間も残されていないような気がする。
イラクの米兵たちの醜悪な実態をリアルに描いたこの映画に対してアメリカ国民の一部が激しく反発するのは当然だろう。パンフレットにもこういう「投稿」が紹介されている。
「誰がお金と時間を費やしてまで、アメリカに憎悪の念を燃やすような映画を見たいと思うだろうか????? アルカイーダの連中がテロリストを募集するために、洞窟の中で見せるのにピッタリの映画だ。アル・ジャジーラで1日中放送するのがお似合いな映画だ。デ・パルマはこんなにもアメリカが嫌いなんだ。コイツは国外追放にすべきだ。アメリカを肥溜めにぶち込んだような、こんな映画の上映が許されるなんて、恥だ! カスだ! ようこそ21世紀! みんながもっとアメリカを憎むようになるぞ」
「俺はイラクに3回行った。この映画はドキュメンタリーじゃない。全くのカスだ。SFチャネルやウォルト・ディズニーのほうがまだ現実味がある。実際の軍隊はあらゆる社会階級からやってきた若者でいっぱいだ。本当に彼らはメディアの影響を受けやすい若い男女だ。連中が貪欲なメディアにゴミをやって育てている。兵隊は、軍事法廷は一般法廷よりも厳しいことを知っている。大多数の兵隊はそこに居る。なぜならば彼らは自分たちがそこにいる正しい理由を知っているのである。この映画はまさに反米映画だ」
右派ケーブルTVのFOXニュース・チャンネルは劇場経営者たちに上映を拒否するよう呼びかけたという。
パンフレットの解説にも(監督のブライアン・デ・パルマは)「アメリカの神経を逆撫でするような題材で挑んだ本作で、アメリカ人が最も嫌うアメリカ人となってしまった」と書かれている。そのような反応はブライアン・デ・パルマ監督自身も十分予想していたことだろう。
それでもなぜ敢えてこのような「反米映画」を作るのか。解説には「『カジュアリティーズ』(89)でベトナム戦争での集団強姦殺人を描いたデ・パルマが『映像こそ戦争を止める』という信念のもと、9・11以降、主流と異なる意見が排除されがちな空気や圧力が蔓延するアメリカを相手に、ここに新たな挑戦状を叩きつけた」と記されているが、デ・パルマ監督自身も次のように書いている。
また再び、無意味な戦争が無意味な悲劇を生み出してしまった。私たちは同じ物語を何年も前に『カジュアリティーズ』で語ったが、ベトナム戦争の教訓は無視されてしまった。この物語は今どう語るべきか? どうして再び始まってしまったのか?
イラクで米国陸軍部隊が14歳の少女をレイプし、その家族を惨殺、その後少女の顔面に銃弾を撃ち込んで火を放った、という事件の報道を読んだ。兵士たちはどうしてそこまで誤った行動をするに至ったのか? 答えを探すために、私は兵士たちによるブログや本を読み、ホームビデオ映像や彼らのウェブサイト、そしてYouTubeの投稿映像を見た。すべてが、ビデオ映像となってそこにあった。
リダクト/redactとは、編集あるいは出版のための準備を意味する。通常、リダクトされた文書やイメージからは、単に個人的な(または告訴につながりうる)情報が削除、または塗りつぶされている。我々のイラク戦争における真実は、“巨大企業メディア”からはリダクトされている。もし我々がそのような無秩序を生み続けるなら、我々はこうした行動の産物の恐ろしい映像を直視しなければならない。ベトナム戦争では、こうした映画を見た市民たちが抗議し、誤った方向に導かれた抗争を終らせた。この映画の映像も同じ効果を持つことを祈ろう。
デ・パルマ監督を衝き動かしたのは、「(イラク戦争における真実が“巨大企業メディア”からはリダクトされるという)行動の産物の恐ろしい映像を直視」させるという信念だったというのだ。現在のアメリカでは、これは彼のような映画監督として名声と社会的な地位を確立した人にとっても危険を伴う行為にちがいない。そのことは「投書」からも容易に想像がつく。それでもこの映画を世に問うのは、“表現者”としての “使命感”からなのだろうか。
翻って日本の“表現者”はどうか。私自身はどうか。
たとえば1937年、南京で旧日本軍が行ったことを、さまざまな資料、当時の生存者たちや事件に直接関わった元日本軍将兵たちの証言をできるだけ収集し、それを元にこの映画のような“フィクショナル・ドキュメンタリー”を作り上げることが日本の“表現者”たちにできたか。そしてこれからできるか。私自身にその情熱と勇気と、そして加害国・日本に生まれ育った“表現者”としての使命感があるか。私は押し黙るしかない。そして自分は所詮、差し障りのない安全圏というコップの中で、「正義」と「ヒューマニズム」を振りかざしているだけの“表現者”でしかないのではないかと自問してしまう。
この映画は“見たくない映画”だ。しかし“見なければならない映画”である。
(予告編)
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