2008年12月14日(日)
【第2部 はじめに】
中東地域には米国にとって大切な3つの利益(インタレスト)が存在する。1番目は、ペルシャ湾で産出される石油が世界中に輸出される仕組みを維持すること。2番目は、大量破壊兵器(WMD)が中東地域、ひいては世界中に拡散するのを防ぐこと。3番目は、中東地域から送り出されるテロリストによる反米を標榜するテロ攻撃を抑え込むこと。
しかし多くの場合、〈イスラエル・ロビー〉に属する諸団体が推進している政策は、米国の中東地域における利益を損なってきた。([2]p.10)
〈イスラエル・ロビー〉はまず、米国の対イスラエル支援が継続されることを確かなものにするために活動する。次に中東地域でのイスラエルの利益、とくに安全保障が確保されるよう、米国の力を利用しようとする。
最近では、〈イスラエル・ロビー〉は、米国の立法府、行政府の指導者に働きかけを行い、次の2点を米国政府に求めている。まず米国政府の力で、イスラム教シーア派を武装解除する。続いて、レバノンがイスラエルの友好国となるよう米国が手助けをする。
〈イスラエル・ロビー〉を形成する主要な団体は、米国政府がある程度の規模の米軍を、中東地域に派遣するよう促している。それはイスラエルに対する様々な脅威に対処させるためだ。([2]p.12)
イスラエルを強く支持する人々は、米軍がイラクから撤退し、中東地域から他へ転進することに反対している。米軍が中東地域に駐留することで、イスラエルの敵国に脅威を与えるからであり、米軍がそれらの国に対して行動を取る必要に迫られるからだ。([2]p.12)
米国の政策決定者たちにとって、イスラエルの敵を打ち倒すという戦略が、米国の敵を打ち倒すことにつながるのだ。イスラエルと〈イスラエル・ロビー〉は共同して、自分たちのこうした主張を現実なものにしようと、米国内で活動し始めた。
イスラエルと〈イスラエル・ロビー〉の努力は実を結んだ。ブッシュ政権は徐々に、イスラエルへの脅威は米国への脅威でもあるという〈イスラエル・ロビー〉の主張を受け入れるようになった。([2]p.15)
米国の中東政策は、イスラエルを利することを目的に決定されている。イラク戦争開戦前後、多くの評論家や政治家は、次のように主張していた。「ブッシュ大統領の中東政策とイラク戦争開戦の決定には、部分的ではあるがイスラエルを利する意図がある」([2]p.17)
〈イスラエル・ロビー〉は、米国の中東政策に大きな影響を与えているのか? もしそうならば、そうした米国の中東政策は、米国やイスラエルの利益にかなっているのか。最初の疑問に対する答えは明らかに「イエス」だ。2番目の疑問の答えは「ノー」である。([2]p.17)
【第7章 〈イスラエル・ロビー〉対パレスチナ人】
01年9月11日の同時多発テロ後、米国の政策決定者たちは次のように考えていた。 「イスラエル・パレスチナ紛争を解決すること、もしくはその努力をすることが大切だ。そうすれば、アラブ・イスラム世界から、アル・カイダのようなテロリスト・グループへの支援は減少し、イラン・シリアまでも含めた。“国際的な反テロリズム同盟”が結成できるだろう」
しかし、ブッシュ政権はパレスチナ政策を変えるようにイスラエルを説得することができなかった。それどころか、米国政府はイスラエルの強硬なパレスチナ政策を支持するようになってしまった。
「ブッシュ大統領とシャロン首相は、中東政策に関して、まったく同じ考えを持つに至った」(『ワシントン・ポスト』03年2月)([2]p.19)
ブッシュの態度を変化させた大きな理由は、〈イスラエル・ロビー〉の影響。
01年9月下旬、ブッシュはシャロンに“非常に大きな圧力”をかけ、次のことを要求した。占領地域でのイスラエルの活動を自制すること、第二次インティファーダ運動の暴力をあらゆる手段を用いて封じ込めること。
ブッシュはアラファトが指導者の地位についていることに対してかなり批判的ではあったが、彼をイスラエルと交渉させることが重要だと考えていた。
01年10月上旬、ブッシュは大統領就任後、はじめて、公式にパレスチナ国家建設支持を発表。クリントンでさえ任期終了1ヵ月前まで“パレスチナ国家”という言葉を公の場で決して使おうとしなかった。
ブッシュが「イスラエル・パレスチナ紛争を解決し、パレスチナ国家を建設することが、9・11同時多発テロの後においては、米国の国益に適うことになる」と考えたことを示している。
イスラエルの指導者たちは、米国政府がアラブ人の歓心を買うために、ユダヤ国家をアラブ側に“売り払って”しまうのではないか、と恐れた。「米国が同盟に取り込もうとしている国家、たとえばイランやシリアなどは、イスラエルに対して様々な攻撃を仕掛け、反イスラエル・テロ攻撃を支援している国々ではないかとシャロンが激怒」(『ワシントン・ポスト』)
01年10月下旬、シャロン首相がブッシュ大統領を「アラブ人をなだめるために、私たちイスラエル人を犠牲にしている」と激しく非難。([2]p.20)
ブッシュは、シャロンの非難に対して激怒。報道官がシャロンの発言について「受け入れられないものだ」と不快感を露にした。ペレス外相に対して、「イスラエル軍は速やかにヨルダン川西岸から撤兵すべきだ」とブッシュは述べた。しかしイスラエル政府はこの要求を拒絶した。
「ブッシュが大統領に就任して以来、最大の衝突だった。我われは、イスラエルはパレスチナ占領を終らせるべきだとする米国の要求をきっぱりと拒否した」とシャロンは述べた。(『ガーディアン』)
シャロン首相と〈イスラエル・ロビー〉は、ブッシュ政権と米国民に対して「米国とイスラエルは、テロリズムという共通の脅威に晒されている」と説得。シャロンは、「米国はテロに対する戦争を戦っている。私たちイスラエルもテロに対する戦争を戦っている。私たちは同じ戦争を戦っているのだ」と述べた。(『ニューヨーク・タイムズ』のウイリアム・サファイヤに)([2]p.21)
「ブッシュ大統領は、テロリストであるアラファトを、ビン・ラディンとは違う形で遇するのではないだろうか。ブッシュ大統領は、アラブ社会からテロとの戦争への支持を得るために、イスラエルに強い態度で臨むようになるのではないか」シャロンは米国のユダヤ人団体指導者たちに助けを求めた。ワシントンにあるシンクタンク、“アメリカ新世紀プロジェクト”(PNAC)がブッシュに公開書簡を送付した。その手紙には、多くのネオ・コンサーヴァティブ(ネオコン)の面々が署名があった。
その手紙の中で彼らは、イスラエルは「国際的なテロリズムと戦う上で、最も忠実な米国の同盟国」であると書いている。ネオコン派の人々は、「私たち米国と同じ民主主義国家であるイスラエルを全面的に支持する」よう、大統領に求めている。さらに、パレスチナ自治政府に対する米国の支援をすべて打ち切ることも奨励した。([2]p.22)
ブッシュ大統領は、イスラエル・パレスチナ問題を“二国家共存”によって解決を図ると発表した。シャロン首相と〈イスラエル・ロビー〉にとって、そのような新しい方向性は喜ばしいものではなかった。AIPACはブッシュのパレスチナ国家建設支持の発言に即座に反応した。AIPACは声明の中で、ブッシュ政権内の大統領顧問たちを次のように非難した。「ブッシュ大統領にこのような考え方を吹き込んだ大統領顧問たちは、米国のテロとの戦争の行方を敗北へと導こうとしている。彼らは、大統領が、テロリストを匿い、支援してきた者たちを罰するのではなく、褒賞を与えるように仕向けている」([2]p.23)
ADL(名誉毀損防止連盟)のエイブラヒム・フォックスマン議長は01年10月23日に、コリン・パウエル国務長官宛てに書簡を送付した。その中で、米国務長官がイスラエルに対して、再占領した地域から撤退するように求めたことを「深く憂慮している」と記した。フォックスマンは、次のように書いている。「われわれは、そのような要求は不適当であると考える。イスラエルは自衛の権利を持つとする、米国のこれまでの政策に背くものだ。世界は今、テロリズムとの戦いのために団結しつつある。残念ながら、パレスチナ自治政府は、暴力とテロリズムを抑え込むことを拒否している」
CPMAJO(全米主要ユダヤ人団体代表者会議)のモーティマー・ザッカーマン議長は、「ブッシュ大統領がイスラエルに圧力をかけるのは適当ではないし、それには目にあまるものがある。テロとの戦争で米国が持つべき論理を無視している」と述べた。
〈イスラエル・ロビー〉は議会に対する働きかけを行った。01年11月16日、89人の上院議員たちは共同でブッシュに書簡を送った。その書簡で、上院議員たちはブッシュがアラファトとの会談を拒否したことを賞賛している。ブッシュはアラファトに対し、パレスチナの指導者がイスラエルに対しての暴力を抑えるための必要な対策を講じるまで会談はできない、と通告していた。上院議員たちは、米国がイスラエルのパレスチナ側に対する報復を妨げないように求めた。
11月下旬までに、イスラエルと米国の関係はかなり修復された。それは部分的には、〈イスラエル・ロビー〉の努力の成果である。加えて、米国がアフガニスタンでの戦争の緒戦で勝利したことも大きかった。アフガニスタンでの勝利によって、米国政府はアル・カイダとの戦いでアラブ社会からの支持を得る必要が少なくなった、と考えるようになったからだ。([2]p.24)
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