Webコラム

日々の雑感 130:
ガザ空爆 1

2008年12月31日(水)

 27日(土)の夜から、ガザの情勢を追うため、ずっとBBCワールドニュースとインターネット版「ハアレツ」英字紙に釘付けになっている。そして、ジャーナリストとして長年ガザを追ってきた自分は今何をすべきか、模索している。
 1日に200人近いパレスチナ人が殺害された。そして4日目に入った30日、360人の死者(約60人が市民)、1640人の負傷者と報道されている。封鎖のために医療品が枯渇し始めているため、重傷者以外は病院から帰されているという。
 BBCのニュースには、爆撃され大破したビルの瓦礫の中から引き出される遺体、病院に運ばれる重傷者たちの映像のあとに決って、パレスチナ側からのロケット弾で破壊された家と救急車で運ばれるイスラエル市民の映像が流される。360人の死者を出す惨事と、4人の死者というイスラエル側の被害を対等に並べてバランスを取る「客観報道」である。
 イスラエルのリブニ外相もバラク国防省も、「ハマスのロケット弾攻撃には、もう我慢の限界を越えた」、「テロリスト、ハマスの攻撃からイスラエル市民を守るための、止むを得ない自己防衛の手段なのだ」と、360人のパレスチナ人の生命を奪った軍事行動を「正当化」する。アメリカ政府も、「ハマスはイスラエルにロケット弾を撃ち込むテロ行為を即時停止すべきだ」と、「ハマスのテロ」を激しい調子で批判しても、イスラエルが360人の生命を奪った“国家テロ”には口をつぐむ。これがアメリカの言う「正義」であり「人権」なのだ。そして国連の事務総長でさえ、「パレスチナ側はイスラエルへのロケット弾攻撃というテロ行為を直ちにやめるべきだ。またイスラエル側も一般市民が犠牲になる過剰な攻撃は直ちに止めるべきだ。双方とも攻撃は停止すべきだ」と、「バランス」を取るのに躍起である。標的も定まらない原始的なカッサム・ロケット弾で4人のイスラエル住民が殺害されたことと、アメリカの最新鋭戦闘機によるミサイル攻撃で360人のパレスチナ人を殺したことを対等に並べるトリックだ。パレスチナ人の命は、イスラエル人の命に比べそれほど安っぽいのか。
 イスラエルや国際社会の“偽善”“欺瞞”をこれほどあからさまに見せ付けられるとあきれ返り、腸が煮えかえるような怒りがこみ上げてくる。パレスチナ人は、この60年間、このようなイスラエルや国際社会の“偽善”と“欺瞞”に翻弄され続けてきたのだ。

 イスラエル人の友人に電話で、ガザ入りの可能性、そしてイスラエル社会の反応を訊いた。ガザ入りは現時点でイスラエルからは不可能、エジプト経由でラファから入るという手はあるかもしれないが危険すぎると友人は言った。もし入れたとしても、ガザから出れる可能性は薄い、つまりガザで長期間にわたって缶詰状態になるだろうと言う。
 友人は、今のイスラエル社会の空気を「2年前の第2次レバノン戦争の時期とまったく同じだ」と表現した。つまり当時のベイルート爆撃時と同様、イスラエル国民の大半が400人近い犠牲者を出しているこのガザ空爆を支持し、最左翼の政党「メレツ」でさえ、このガザ空爆に賛同しているというのだ。昨日は、BBCで右派リクードのネタニヤフ党首も、この空爆支持を表明し、空爆を非難する国際社会への激しい反論を展開していた。イスラエル社会は「右」から「左」までこぞって、現政権のガザ空爆を支持しているのだ。彼らは、400人近いパレスチナ人の犠牲者1人ひとりの命の重さも、その遺族や知人、友人たちの絶望もまったく見えないし、想像もできない。彼らに見えるのは、「自国民の安全と生命の重さ」だけだ。それを守るためには、他にどんな犠牲を強いても「止むを得ない」ことだというのだ。唖然とするほどの“独善”。“ホロコースト・メンタリティー”、イスラエル人の友人は、かつてこれをそう表現した。
 それだけではない。今回の爆撃は、2月の選挙を前に劣勢に立っている与党カディマと労働党が、起死回生の“手段”として、この大規模な空爆を「テロに弱腰だ」という国民の世論をかわす“切り札”とすべく、ずっと以前から準備していたもので、そのタイミングを狙っていたに過ぎないと多くのメディアが指摘している。決して的外れの見方ではないと私は思う。政権を握る一部の人間たちがその政治的な生き残りのために、まるで虫けらでも扱うように、いとも簡単にパレスチナ人の命を踏みにじり、奪い取るのだ。

 今、長年ガザを取材し、現地に多くの友人、知人を持つ自分は何をすべきか。ガザに入れるなら、明日にでも現地入りしたい。しかし、現時点では不可能だ。封鎖の現状など、ガザの実情を肌で知る日本人は数少ない。その1人である私は、今こそ、この日本に留まり、これまでの映像資料や知識を元に国内のメディアや国民に向けてガザの置かれている現状や人びとの思いを伝える“メッセンジャー”の役に徹するべきなのか。それとも、たとえガザには入れなくても、パレスチナの現場に身を置き、ヨルダン川西岸やイスラエル国内の反応を日本に伝えるべきなのか。正直に告白すれば、長年“パレスチナ”と関わり、“パレスチナ”に育てられ、“パレスチナ”をライフワークとしてきた自分が、この緊急事態に現場にいられないことに言い知れぬ“後ろめたさ”と“焦り”を感じている。
 5月に公開するパレスチナのドキュメンタリー映画4部作の仕上げも残っている。あれもせねば、これもしたい、と私は今、混乱状態にある。

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