2009年1月21日(水)
バッサムは、ガザのNGO「パレスチナ人権センター(PCHR)」のスタッフで、ジャバリア難民キャンプの出身。彼とその家族は現在、ガザ市内のアパートで暮しているが、両親や兄弟、親族などファミリーは今もジャバリアで暮している。
つい先ほどガザの自宅からジャバリア難民キャンプの実家へ行ってきた。2時間ほど過ごした。皆元気だ。
(Q・ガザでの空爆や砲撃は現在、どんな具合か)
とても危険な状況で、5分か10分置きに爆撃音が聞こえる。今は夜だが、誰も通りにいない。ただ砲撃の音が聞こえるだけだ。ジャバリアも私がいたときもとても危険で、爆撃で3人が殺された。ジャバリアへの入り口、ジョロン地区だ。私がいたのは午後1時から午後3時までだ。それはイスラエルが「休戦時間」と決めた時間帯で、砲爆撃を中断する時間のはずだが、実際はそうではない。住民は砲撃の音におびえている。私の叔父たち(ファウジやファイエズやファフリ)が暮す家に行ったが、難民キャンプの通りは人通りが少なく、住民はとても恐れている。
(Q・今、イスラエル軍の戦車などがジャバリア難民キャンプやガザ市を包囲しているのか。中に侵攻しようとしているのか)
はっきりわからない。ニュースが入ってこないから、中へ侵攻しようとしているのかどうかはわからない。しかし砲撃の音は聞こえる。ほんの半時間前に文化省の建物が爆撃され破壊された。もちろんそこには人はいなかった。
(Q・周辺で誰かが殺されたのか。そのような現場へ行って遺体などを目撃したのか)
(40人ほどの避難民が殺された)UNRWAの学校へ行ってきた。ファフーラ学校で、ベイトラヒヤ・プロジェクトの背後にある学校だ。
UNRWAは家を追われた住民の避難場所として学校を開放し、避難民に食料や寝具などを提供していた。ファフーラ学校は避難民でとても混雑していた。正確な数はわからないが、1500人から2000人の避難民がいた。そこはとても混雑していて、1教室に7、8ファミリーが暮していた。机や椅子で、1、2ファミリーずつ仕切っていた。とても惨めな環境だった。しかし路上で暮すよりはいい。
(Q・その学校で何が起きたのか)
2日前だった。イスラエル軍が砲撃した。被害にあった住民が学校の外にいたのか中にいたのかわからない。詳細はPCHRの報告書を見てほしい。35人から40人が殺された。
(Q・どうしてイスラエル軍はその学校を砲撃したのか)
どうしてなのか、わからない。(攻撃したイスラエル兵は)自分をコントロールできない、気がふれた人間かもしれない。そこは住民が避難している場所なのだ。1500人から2000人が避難していたんだ。そこを空からミサイル攻撃したのだ。今日、私はそこへ行ってきた。
イスラエル軍は民間人と武装兵士を区別していない。そこを爆撃したのだ。
(それとは別に)また4階か5階建ての建物も爆撃された。殺された者の中には女性や子ども、動くことができない身体障害者などもいた。もしそんな家族がいたら、他の家族もそこで暮らすしかない。イスラエル軍がやっていることは犯罪だ。
女性や子どもの遺体は手足がもぎ取られていた者もいた。その遺体を見た家族は大きな衝撃を受けた。それを見たあとは人間としての感情を持った者なら誰でも、食べ物を口にすることもできない。
(Q・他にも破壊された家屋や病院などで何を見ましたか)
すべての殺害、すべての流された血にも関わらず、人びとはまだ希望を持っている。人間として生きていく希望だ。ガザ地区の誰にも安全な場所はない。イスラエルは、住民に避難するように警告している。しかしどこへ行けばいいんだ。UNRWA学校に避難しても爆撃する。避難は保護にはならないのだ。
例えばイスラエル軍は、ベイトハヌーンを包囲し侵攻して住民にガザ市へ避難するように伝えている。そのガザ市では、10分、15分おきに爆撃している。だから誰にも安全な場所はないのだ。通りでも家でも安全ではなく、ただ死を待つだけだ。それがイスラエルが望んでいることだ。それが、イスラエル軍が住民に要請していることだ。“従順な犠牲者”になることを求めているのだ。「どこにいても、ただ死を待て」と。
(Q・人びとがまだ希望を持っているというのはどういうことか)
自分の国で人間らしく生きていくという希望だ。何が起きていようと、あいさつでは「アルハムドゥリッラー」と言う。「満たされている」「神のおかげで」ということだ。たとえ家族が殺されても、そう言う。世界中の人びとのように、人間らしく生きることだ。
(Q・イスラエル軍はハマスがロケット弾を打ち込むから反撃しているのだという。ガザの人びとは、「ハマスのせいでこんなに苦しんでいるんだ」と、怒りを抱いてはいないのか)
そんな声は通りでは聞かない。パレスチナ人を代表して発言できるわけではないが、通りではそういう意見を感じることができない。
イスラエルはガザに2年間、厳しい封鎖を敷いた。(重病の)住民はよい治療を受けるために外へ出ることもできない。学生はガザの外の大学へもいけない。ヨルダン川西岸へも海外へもだ。十分な食べ物もない。貧困……。そんな中で暮らす人びとに何を期待するのだ。「ガザからロケット弾を撃ち込んでくるから攻撃するんだ」というのはイスラエル側の攻撃の口実だ。その攻撃で(抵抗を)止められると思うのは間違いだ。何もしなければ、この封鎖の状況で暮すしかないんだ。イスラエルは、戦闘機や戦車や軍艦によって、ハマスのロケット弾を止めようとしている。それでもハマスはロケット弾の発射を続けている。イスラエルの発表によれば、昨日は35発のロケット弾が着弾したという。つまり、そのようなやり方では止められないということだ。もし戦闘機や戦車や軍艦から爆撃・砲撃しても、ロケット弾はイスラエルに飛んでくるんだ。そんな状況にあることを想像してほしい。
これはイスラエルによる「懲罰」なのだ。すべてのパレスチナ人を「懲罰」しているんだ。ガザの住民は民主的な手段でハマスを選んだ。それは民主的な選挙によってだ。
(Q・イスラエルはハマスを壊滅できると思うか)
イスラエルはハマスを壊滅することに関心があるわけではない。ハマスを自分たちのコントロール下に置きたいんだ。それだけのことだ。そしてイスラエルのセキュリティーを確保する、つまりイスラエルに対して危険なことは何もしないことを望んでいる。さらにガザ地区を孤立させ、ラマラを孤立させ、(パレスチナを)2つの政府に分裂させておきたいんだ。(西岸の)ラマラの政府にもガザの政府にもイスラエルのセキュリティーを保障させようとしている。ガザを、ファタハが統治しようとハマスが統治しようと構わない。ただ、イスラエルのセキュリティーを脅かさないようにしたいのだ。だからハマスを壊滅させることには関心はないのだ。ハマスを自分たちのコントロール下に置きたいだけなのだ。
(Q・住民の精神状態はどうなのか。ガザの人びとの雰囲気はどうなのか)
私は今、人権団体でトレーニングの仕事をしているが、たとえば、人権や民主主義がいいものであるということをどうやって住民に説得できるだろうか。人びとは、毎日、住民が殺され血を流しているのを目撃している。こんな状態でも、「イスラエルは中東で唯一の素晴らしい民主主義国家」だとか「アメリカは世界でもっとも民主的な国」だと言われ、また世界中で「民主主義」や「人権」の重要性が叫ばれている。しかしガザで起こっていることに、つまりパレスチナ人の人権が毎日侵害され、人権宣言の1文1文が侵害されている今のガザの状況にアメリカも世界も押し黙り何も行動を起そうとしない現状のなかで、明日自分が仕事に戻ったときに、どうやってガザの人びとに「人権が大切だ」と説得できるだろうか。
ガザで毎日起こっていることに住民は苛立ち、怒り、失望している。それはパレスチナ人が招いていることではなく、全世界が引き起こしていることなのだ。毎日、イスラエルがパレスチナ人にやっていることに何もしようとはしないのだ。なぜか。アメリカは「民主主義」と「人権」の名の元にイラクに侵攻したのだ。
私は今、人権団体として住民に言うべき答えを探している。明日、大学の学生を対象に人権についてのトレーニングを始める予定だ。しかし私は人権についてどう説明できるだろうか。私は何ができるだろう。私はその答えがわからない。そんな状況を想像してほしい。
(Q・住民はこんな状況の中でどうやって希望を維持できるのか)
わからない。ときどき、この問いを私自身に問うている。これほどの血が流されているガザで、人びとが人間らしい生活を送る日が来るという。なぜそうなのか、私にもわからない。どこからそのような希望を持てるのかわからないのだ。とても不思議なのだ。人びとはこんな状況になかでも笑顔を見せる。それをどう説明したらいいのかわからない。
その人たちは自分の叔父や従兄弟が殺されていたり、隣人が殺されている人たちなのだ。私にはわからない。しかし希望を感じさせるのだ。それがどこからくるのか私にはわからない。
(Q・食料はどうしているのか)
なんとか生き延びている。35枚のパンを家族のために確保するためパン屋の前に4、5時間も並んでいる。とてもパンを手に入れるのが難しい。野菜も手に入れるのが難しい。野菜の生産地であるベイトラヒヤは、イスラエル軍が支配しているから、そこから野菜を手にすることは難しい。ハンユニス方面からも野菜は手に入らない。だからトマトやきゅうりなども手に入らない。
(Q・水は?)
今、私の家には水がない。ガザには電気がないためにガザ市役所は、各家庭に水を配給できないでいる。だから私の住んでいる建物にも水道の水はこない。
問題は電気がないことだ。水も電気がないと各家庭に送れない。水を上げるポンプも使えない。だから水なしでやっていかなければならない。
(Q・毎日、何時間電気がくるのか)
例えば今日だが、2時間だけだ。それもずっと続けてではない。30分したら切れ、20分ほどしてまた電気がくるといった具合だ。
(Q・医療面ではどうなのか)
病院での薬品は深刻な状態だ。シェファ病院を訪ねただけで具体的な調査はしていないが、まったく足りていない。手術も手術室ではなく、廊下でやっている。手術室が足りないからだ。だから病院では深刻なケースだけを扱っている。重傷や重病でない場合は、家へ帰される。治療する場所がないからだ。
(Q・イスラエル側の侵攻の目的は何だと思うか。完全にハマスを殲滅することか)
私は、それは疑わしいと思う。ハマスをコントロール下に置きたいのだ。
(Q・イスラエルはハマスを追い出し、アブ・マーゼン〔アッバース大統領〕にガザを支配させようとしていると聞いたが)
それは疑わしい。私が聞いたところによれば、アブ・マーゼンは、イスラエルの戦車に乗ってガザに戻ってくることを拒否したという。私もそのような計画には疑いを持っている。イスラエルはそうするとは思わない。イスラエルが望んでいるのは、ガザ地区に「弱いハマス」を、ヨルダン川西岸に「弱いアブ・マーゼン」をおき、(パレスチナ全体を)をイスラエルの支配の下におくことだ。そしてその両者を互いに戦わせることだ。それがイスラエルが望んでいることだ。私はイスラエルがハマスが壊滅しようとしているとは思わない。
(Q・ガザ住民はアブ・マーゼンにどういう感情を抱いているのか)
ハマス支持者たちはアブ・マーゼンに怒りを抱いていることは間違いない。しかしファタハ支持者はそうではない。
(Q・私が言っているのは、その両者ではない普通の人々のことだが)
私はその質問には答えられない。他の住民と接触する機会がないからだ。ガザ攻撃が始まってから、2時間ほど外出して、戻ってくるだけだ。だから答えられるほど、市井の人たちと会う機会がないんだ。私にはわからない。
(Q・あなたの家族の様子は?)
私の家には40人がいる。ガッサン、ニザールらの家族は今、私の家に避難している。両親も妹たちもそうだ。叔父のファウジ、ファイエズ、ファフリ、アハマドたちはそのまま家に残っている。ただ行き場所がないからだ。UNRWA学校にも移れない。だからとてもたいへんな状況だ。
(Q・1人ひとりの状況を教えてほしい)
今日、母は私とジャバリアへ行ってきた。そこで母は泣いていた。ジャバリアの家族とまた会えるかどうかわらないからだ。ジャバリアの隣人たちにもだ。
父はラジオでじっとニュースを聞いている。あまり話しをしない。父は自分の弟たちがまだジャバリアに残っていることをとても心配している。祖母もジャバリアにいる。
ガッサンは電話で指示を受け、あるUNRWA学校に住民を避難させる準備のために出かけていった。ニザールは、今日は仕事のために病院へ行った。彼は身体障害者を支援するの国際組織で働いているから。ファウジもファイエズも今は1階で暮している。爆撃の攻撃を恐れて、みな1階に集まっている。
関連サイト:バッサムが所属するPCHR(パレスチナ人権センター)
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