2009年1月23日
今のガザにはまったく安全な場所がない。すべての人、すべての家、すべての学校が標的となり、空爆され、破壊される可能性がある。ガザは365平方キロの地域に過ぎない。イスラエル軍は、ハマスのいかなる指導者も標的とし、ハマス武装組織「カッサム」のいかなるメンバーの家も、ハマス・メンバーがいるいかなる場所も、またハマス政府とその関連施設や建物──たとえハマスとの関係を否定しても──も、またハマスに関連するいかなる学校も、その組織の施設まで含め破壊すると宣告している。ハマスに近い非政府組織(NGO)の施設も、だ。
もしこれらすべての地点の中心に、ミサイルの被害が及ぶ直径120メートルの円を描けば、ガザ地区にはまったく安全な場所などなくなる。実際、すべての非政府組織、学校などは閉鎖されている。
UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校は、家を破壊され住居を追い出された住民や家にいるのが危険な住民の避難場所にされている。空爆の後も、戦車や軍艦からの砲撃などの危険さらされているので、住民は家から避難せざるをえず、国境近くに避難した。子どもや老人、身障者を抱える家族は、国連の旗の下に保護を求めてUNRWAの学校に避難したが、そこも安全な場所ではなかった。避難先のUNRWAの学校にも数回の攻撃があった。
最近の例がジャバリア北部のファフーラ学校だった。そこには、空爆などに巻き込まれることを恐れたガザ北部の住民が避難していた。そこでは、イスラエル軍の砲撃によって39人が即死した。半分が女性と子どもだった。また他の地点ではミサイルによってある家族が攻撃され、10人が殺され9人ほどが負傷した。
UNRWAのトラック運転手も殺された。UNRWAが、食料や医薬品など援助物資を輸送するためにイスラエル軍と綿密なコーディネーション(調整)をした後だったにも関わらず、だ。砲撃された運転手は死亡し、もう1人は重傷を負った。数箇所で同様の事件が起きている。
世界で最も人口密度の高いこの地域には、365平方キロに150万人以上の住民が暮している。これまでの様々な事件を考慮すれば、人口が密集している地域では、どんなミサイルでも、どんな砲撃でも、大量の殺戮につながる。
またイスラエル軍はガザの全周囲に(攻撃による住居や農地の破壊を伴って)広い緩衝地帯(バッファゾーン)を作っている。その幅は、これまでの500メートルから今や3キロにもなった。
狂気のようなこのガザの状況のなかで起こっているもう1つの現象は、イスラエルはこの戦争を止めようとする国際社会やその世論、国際法、国際人道法などをまったく意に介さないで攻撃を行っているということだ。
(Q・イスラエル軍は住民を避難させた家を意図的に砲撃したというニュースがあるが)
ガザ北部のアタートラ、セーファ、ベイトハヌーン、ハンユニスの東部、アバシャーン、それにエジプトとラファの境界にあるフィラデルフィ道路(ここには両地区を結ぶ手掘りのトンネルがあり、この封鎖の下で、食料や生活必需品がエジプトから密輸されている)が攻撃されている。
イスラエル軍はその目的を達成するために3つの段階を進めている。
第1段階で、これらの地域を無差別に空爆し、海から砲撃し、また陸から砲弾を撃ち込んだ。それによってこれらの地域から住民を避難させた。
第2段階では、電話や空から巻くビラで、「今すぐに家から避難せよ。でなければ軍が侵攻する」と告げる。同時に激しい銃撃を浴びせる。
第3段階では、住民が避難したあと(しかしその避難も容易ではなく、全家族を避難させるとき老人や身障者らを短期間に避難させることはできない。それで家族の一部、父親または家長は、その老人や病人や身障者たちと共に家に残らざるをえない。彼らを移動させる車も使えないのだ)、侵攻してきたイスラエル軍は、残った住民に銃を突きつけ、衣類をまとめて退去するよう命じる。そして住民が退去した家、とりわけ高層の建物を軍の陣地として利用する。そこから銃撃、狙撃を行うのだ。もちろんパレスチナ側からの反撃もある。そんなときイスラエル軍は、家に残らざるをえなかった老人、病人、身障者たちを“人間の盾”として利用することもある。しかもイスラエル軍が立ち去るとき、その建物を爆破したりする。
(Q・住民が殺された現場を目撃したのか)
血にまみれた状況だ。私が暮らすブレイジ難民キャンプも空爆された。2日前には5発のミサイルが撃ち込まれ、5軒の家が破壊された。夜中に撃ち込まれたこのミサイルで5人が殺害され、40人以上が負傷した。私は両親と妻、それに娘と2人の妹たちと暮していて、別の階には私の弟が10人家族で暮している。私の家の隣の家族がイスラエル軍から退去命令を受けた。空爆の標的となると告げてきたのだ。その家の娘の1人がハマスのメンバーと結婚していた。しかしその家で暮していたわけではない。その娘は実家に滞在していたが、夫はそこに住んでいたわけではない。それにも関わらず、イスラエル軍から破壊の警告を受けた。隣家がいつ爆撃されるかわからないと心配し、私の家族と弟の家族はブレイジから4、5キロほど離れたヌセイラート難民キャンプにある別の弟の家に避難した。
ブレイジ難民キャンプが空爆されたとき、1発は私の家から50メートルほど離れた家に命中した。私は避難していたヌセイラートから、現場を見るためにブレイジに駆けつけた。移動はとても危険だった。その現場で目撃したものは、私をとても動転させた。子どもが爆弾の破片で引き裂かれ、その小さな身体から出た血が壁に飛び散っていた。肉親を失った家族が泣き叫んでいた。それは凄まじい光景だった。
(Q・住民の生活状況は? とりわけ電気や水、食料の状況は?)
私の地区では、電気が来るのは、せいぜい1日に2時間ほどだ。しかしガザ市内では、2週間前の空爆開始直後から今までまったく停電したままだ。高層ビルで、どうやって水を手に入れるか想像してみればいい。電気がないので高い階へ水を引き上げるポンプが機能しない。だからプラスチィックの容器で地上階から運び上げなければならない。
料理するための燃料ガスについて言えば、それも深刻な不足に悩まされている。家の中や外で、ダンボールや古着や紙類を燃やして食事の用意をしている。ガスは夜に使うためにとっておく。夜は(標的になる恐れがあるため)屋外で火を起すことができないからだ。外でパンも焼いている。
(Q・どうしてラファやハンユニスでは2時間でも電気が来るのか。エジプトからか)
ガザ地区には3つの電気の供給源がある。1つはエジプト。このハンユニスのオフィスでは、現在、我われは2時間ほど電気が得られる。その後は発電機を使っている。
もう1つはイスラエルの電力会社。ガザ市内はこれに依存している。3つ目はガザ内の発電所。これがガザ地区全域の電力の40%を供給してきた。しかし今は機能できないでいる。燃料がないからだ。またイスラエルは電気の供給をほとんどストップした。だから現在、電気があるのは(エジプトからの電力供給がある)ラファとハンユニス地区だけだ。
(Q・オフィスで発電機を使っているということだが、その燃料はどこから?)
ガソリンや灯油などは、住民の必要を満たすためにエジプトからトンネルを使って搬入される。それらは主に病院などへ送られる。またUNRWAも独自に、病院や移動のための燃料を確保している。PCHRはUNRWAと共同プロジェクトをやっているので、こちらからUNRWAに要請して、自動車4台分だけのガソリンを供給してもらっている。発電機用の燃料もそうだ。
しかし一般的には、ガソリンや燃料が不足している。だから発電機はあっても機能していないところが多い。
(Q・イスラエル軍がトンネルを破壊したと報道されているが、まだ機能しているトンネルがあるのか?)
イスラエル軍はフィラデェルフィ道路のすべてのトンネルを破壊できたわけではない。最初の空爆の後、エジプトとの国境から800メートルほど避難しても、さらにその地帯をイスラエル軍は激しく爆撃した。しかしこの激しい爆撃にも関わらず、トンネルを通して最低限の必需品は入ってきている。人々に必要な医薬品などを搬入しているのだ。医薬品がとても不足しているからだ。
(注・その後、ラファの友人からの報告によれば、イスラエル軍の空爆によってトンネルはまったく使えなくなっているという)
(Q・水は?)
イスラエルがガザから撤退した後、住民は個人用の小さな井戸を掘り、近辺の人々に水を供給してきた。しかし井戸から水をくみ上げるには電気が必要だ。だから電気が来る昼間にくみ上げ、2、3日分の水をプラスチックのコンテナに保存する。
しかし多くの難民キャンプや街では、厳しい電力不足のために、厳しい水不足にも苦しんでいる。中には汚染された水さえ使わざるを得ない場合もある。それを料理や洗濯に使っている。今は洗濯機を使って洗濯することなど贅沢なことになっている。
(Q・食料は?)
住民は、1ヵ月前からイスラエル軍が攻撃してくることを予想し、食料をある程度蓄えていた。しかし攻撃が14日間も続いており、その蓄えは底をついてきた。今、店や市場は開いているが、食べ物の中には手に入りにくいものがある。とくに小麦粉は店頭にはない。小麦粉はトンネルから搬入している。私は自分の家族のために小麦粉を手に入れようと、友人たちの間を奔走している。攻撃の3日目に友人が1袋の小麦粉を手に入れてくれた。もちろん値段は2倍以上だった。しかしそれは私たちには上出来だった。いま私は、3つの家族と同居していて全員で50人はいるから、みんなでそれを分け合った。そして今また、新たな小麦粉袋を探している。現在スーパーマーケットや一般の商店の棚は空で、私が店に行くと、店の主人が「何が欲しいですか」と訊き、私が買いたい物を挙げると主人はそれを店の奥に捜しに行く。
ミルク不足も深刻だ。料理用の油、小麦粉、砂糖、コーヒーも手に入りにくい。私の妻と弟の妻が、コーヒーを手に入れるために店を5軒ほど探し回って、やっと手に入れたのは250gだけだった。今はそれでさえ入手できなくなっている。
(Q・医療の状況はどうか)
とても困難な状況だ。それは当然のことだ。日本や欧米でも、このような状況で患者や負傷者が大勢病院に来たらたいへんな困難に直面するだろう。とりわけ設備が貧弱な病院ではそうだ。封鎖や経済的なボイコットが2年以上続いているため、病院は新しい医療器具が入手できない。たとえば手術のための医療器具などだ。発電機などもそうだ。
今日、ガザ中部のアルアクサ病院では、出産する妊婦が2人で1つのベッドを使っていた。それは普通あり得ないことで、たいへん危険なことだ。私の弟の妻が2日前の1月8日に出産した。彼女は他の女性が寝ている同じベッドに寝かされた。それでも彼女は幸運だった。中にはベッドがなくて床に寝かされる妊婦もいるのだから。弟の妻の出産予定日は2月6日だった。しかし彼女は未熟児を生んだ。この子が無事に成長してくれることを祈っている。
(Q・特にどういう薬が不足しているのか)
UNRWAやWHOや保健省の地方支部や様々なNGOが取りまとめた、病院関係者からの報告によると、150種類の医療品が不足している。抗生物質、外科手術の装備品、心臓手術の設備、負傷者の治療設備、そして車椅子など身体障害者のための装備などだ。現在4000人の負傷がいるが、そのうち少なくとも1000人は身体障害者となり、特別の治療が必要になると私は予測している。
病院に行けば、AからZまでのすべての医療品が不足していることがわかるだろう。私立病院でも公立病院でも事情は同じだ。どこに連絡しても医療品が不足していることを訴える。UNRWAやWHOを通してある程度補給されてはいるが、それは通常の状況にははるか及ばない。
(Q・住民の感情は? イスラエルへの怒りと共に、今回のイスラエル軍の攻撃のきっかけを作ったとしてハマスに対しても怒りがあるのか)
この無差別の爆撃の後でも、イスラエルはハマスを攻撃していると主張している。しかし実際はパレスチナ人全体を標的にしている。これが、ハマスとイスラエル軍の衝突や武装組織と軍隊との衝突で、住民はその衝突の外にいられるということなら、まだそれも受け入れることができたかもしれない。しかしこの無差別爆撃の大半の犠牲者や負傷者は民間人なのだ。我われのこの調査報告は、責任をもって言えることだ。1日に83人が殺された。そのうち80人はまったくの民間人だった。このような現実の後、民衆はハマスに対してではなく、イスラエル軍に完全に激しい怒りを抱いた。これらの死傷者たちは、標的にされて犠牲になったのではない。標的にされた人物の隣人だったり、マーケットへ向かう通行人だったり、UNRWA学校に避難した人たちだったが、ミサイルが彼らに向かって飛んできたのだ。
これらから導かれる単純な事実は、誰であろうとイスラエルには「ガザ住民の生命はみな同じように扱われる」ということだった。人びとが、自分たちの生命が誰かれの区別なくイスラエル軍に扱われるという結論に達するというのは、とても恐ろしいことだ。
私の個人的な経験を言えば、私の母が恐怖に震えているのを初めて見た。F16戦闘機やアッパッチヘリなどが近くにやってくると、耳を手で塞ぎ、コラーンの一節を唱え祈り始める。とても怖がっているのだ。彼女はとても勇敢な女性だ。その彼女がこれほど怖がっているのだ。
今私たちはヌセイラート難民キャンプの弟の家に避難しているが、その家には小さな猫がいる。その猫でさえ、戦闘機の音を聞くと飛び上がって、逃げ込めるどんな場所へも走っていく。そして冷蔵庫の中にも逃げ込む。ガザでは、猫も恐怖におびえている。
住民は、どんなパレスチナ人もイスラエル軍の標的になりうる、どんな家も標的になりうる、イスラエルには「ガザの住民の生命は同じように扱われる」という結論に達した。イスラエルからすれば、我われガザの住民すべてが標的なのだ。ハマスのメンバーであろうとなかろうと、住民はみな同じように扱われているのだ。
今住民は、さらに強くハマスを支持するようになっている。ラマラの自治政府に対する怒り、沈黙するアラブ諸国の政府に対する怒り、さらに世界各国の政府に対する怒りがさらに高まり、一方で、パレスチナの大義を支持し、イスラエル軍の侵略を止めるよう訴える世界中の草の根の運動に深い感謝の気持ちを抱いている。
この無差別の攻撃に、住民の絆はさらに強固になり、さらに勇敢になっている。イスラエル軍が攻撃、侵攻してきても、我われは抵抗して闘うという決意をしている。住民はこの闘いがすぐに終るとは期待していない。
負傷者は緊急治療室に入れず血を流し続けている。昨日はICRC(赤十字国際委員会)の救助隊が瓦礫の中から50人の遺体を発見した。救助隊は、遺体を収容しようとしていたが、4日間も現場に近づけなかった。
以前、ドキーム入植地やネツァリーン入植地があったところは、今や墓地になっている。
ある地域で20家族が完全に孤立し、そこで殺された2人の遺体はICRCでさえいまだ収容できないでいる。また、ダイア・ファミリーが虐殺された。
1つの家族から多くの死者が出ている。8人、10人が殺された家族もある。家族全体が殺された例もある。なぜか。ある家が破壊される危険があると、家族全員が(比較的危険の少ない地域の)親戚の家に避難する。そこで親戚たちが大勢いっしょになる。そしてその家が爆撃されると、1つの家族から多くの犠牲者が出ることになる。
人びとは社会的にも政治的にも、また心理的にも、以前よりずっと団結している。これは将来にも影響してくるだろう。これが将来の社会的な統一につながっていくだろう。なぜなら人びとは同じ苦悩を体験しているからだ。この狂ったような爆撃や砲撃は人びとを1つにしている。
(Q・イスラエルがハマスを追い出し、アッバス政権を復帰させようとしても人びとは受け入れないのか)
もしイスラエルがそうしようとしても、結果はゼロに終るだろう。つまり今後ハマスはさらに強力になり、さらに支配力を増し、ハマスをボイコットする勢力は、イスラエルであろうと、ある地域の勢力(アッバス政権?)であろうと、国際的な組織であろうと、ハマスと協議せざるを得なくなるだろう。2006年に選挙で選ばれたこの合法的な政府をボイコットした者たちは、いずれハマスを話し合いの相手として求めてくることになるだろう。そして彼らはハマスという現実を受け入れ、ハマスは、パレスチナの政治や、単にイスラエルとの争いにおいでだけではなく、中東全域の政治勢力にとっても強力なパートナーとなるだろう。
(Q・つまりイスラエルはハマスの力を潰すことはできないということか)
ハマスを完全に潰すことは不可能だ。とくにこの狂気じみた戦争や、長期間に及ぶ封鎖のあとではそうだ。イスラエルはハマスを標的にしているというが、人びとは、すべての住民が砲撃の脅威の下にあるということを認識しているし、主権のあるパレスチナ独立国家を造るという目標自体が標的にされていることを理解している。現在、各国政府の“沈黙の共謀”がパレスチナ国家樹立の達成を妨害しているが、この目標は遅かれ早かれ達成されるだろう。いまやパレスチナ人は、よりいっそうその目的達成のために犠牲を払う覚悟を持つようになった。
(Q・日本など海外からどんな支援をしてほしいか)
まず政治的な支援だ。日本人はヒロシマ・ナガサキを体験し苦しんだ。ガザで起こっていることは、相対的にヒロシマ・ナガサキと同じことだ。(中断)
我われが今、直面している破壊の経験は、ヒロシマ・ナガサキのようなものだと日本の人々と政府に伝えたい。
日本には、パレスチナ人への政治的な支援をお願いしたい。我われの正義の大義への支援を。この緊急の事態を受けて、日本政府が我われパレスチナ人とその大義をさらに強く支持するように(国際的な)影響力を及ぼしてほしい。さらに人道的な面でも支援してほしい。我われは“地球的な家族”だ。だから正義がかなうように、政治的な面でパレスチナ人を支援してほしい。これが第一のメッセージだ。
他には、パレスチナ人の基本的なニーズ、例えば病院や学校などへの支援をお願いしたい。パレスチナの多くの学校が、日本が支援し建設したものだ。それが今破壊されている。民間の水道の設備や病院もそうだ。だから日本の政府と国民に、それらを支援しほしい。
必ずこの闘いには終りがあり、最後には正義が勝つ。
パレスチナ人はとてつもなく苦しんでいる。他の人たちに幸せになる権利があるのと同じように、私たちにも幸せになる権利があるはずだ。私たちはクリスマスや新年を祝い、楽しむ機会も奪われた。イスラエル人は、パレスチナ人の子どもの血の犠牲の上でそれらを祝っている。
イスラエルは、12月27日、つまり世界中がクリスマスと新年を祝っていたときに攻撃を開始することでパレスチナ人を世界から孤立させた。そのとき国際機関は休暇に入っていた。私はこれを“悪魔のタイミング”と呼ぶ。そのような時期に、イスラエルはこの気が狂ったような戦争を開始したのだ。
(Q・もし日本で医療品などを集めても、どのようにガザに入れられるのか)
これがもう1つの占領の醜い一面だ。イスラエルは、医療品など救援物資の搬入を阻害している。今、最善の方法はUNRWAを通すことだ。今は医療品や発電機など、緊急の救援物資を運び入れてほしい。その後に、社会の再建のための支援をしてほしい。
現金は必要としていない。我われに必要なのは、医療品や医療設備、また水道設備を修理するための道具だ。また学校や民間の機関を修復するため装備だ。これが我われが求める具体的な援助だ。
(Q・PCHRスタッフは無事なのか?)
神のおかげで皆無事だ。しかしフィールドワーカーたちは、何度も死の危険にさらされた。私自身も3回、中部の難民キャンプからハンユニス(ガザ地区南部)に来る途中、自分の車の近くで爆発が起こる体験をした。今はガザ市のオフィスには行けない。現在、ネツァリン交差点から海岸道路までイスラエル軍が遮断している。だからガザ北部は完全に他の地域から孤立している。私は今ハンユニスのオフィスにいるが、中部地区の難民キャンプに戻れるかどうかわからない。いつアブホーリー交差点が封鎖されるかわからないからだ。
ガザ市のオフィスは、攻撃開始の2日後に閉鎖する必要に迫られた。オフィスの隣のアマル・ホテルのオーナーが、そこに、ガザ地区の外での治療が必要な病人を移送するための手続きをするオフィスを置いていたため、イスラエル軍から建物を攻撃するという予告を受けたからだ。しかし私たちのスタッフは、危険を冒してそのオフィスからプレスリリースを発行し、ウエブサイトを更新している。
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