2009年1月24日(土)
今日、ガザでは冬休みが開け、学校が再開される。イスラエル軍の攻撃で住居を失い、UNRWA学校に避難していたガザ北部の被災者たちは、昨日までに学校を出るようにUNRWA側から通告されていた。しかし住居を失い他に行く場所もない人びとは、学校に残らざるをえないのではないか。私は通訳を伴ってビーチ難民キャンプのUNRWA学校の1校を訪ねた。すると門番の男性が「昨夜までに全員が学校を出た。その一部はUNRWAのスポーツクラブに移った」と私たちに告げた。
私たちはそのスポーツクラブに向かった。そこはスポーツ関係者の宿泊施設を備えていた。ここに数十家族の住民が避難していた。
その1人、サイド・スルタン(30歳)は、妻と幼い2人息子との4人家族で、一家でここに避難した。べイトラヒヤ町に住むこの一家は、イスラエル軍の地上侵攻が始まった1月3日に突然、家がミサイル攻撃を受け破壊された。同じ地区に暮していた親族たちも家を失ったために、避難場所を親族の家に求めるわけにはいかず、UNRWA学校に身を寄せた。そこで20日間暮らし、学校が始まる2日前にこの施設に移った。
教室のような広い部屋の隅に布を張って仕切られた数メートル四方ほどの場所が、この一家の住処になっていた。マットレスを3つほど並べただけだ。裏側の狭い通路にはこの家族の“所帯道具”が床に置かれていた。わずかな衣類と鍋やフライパンなど調理用具、それに調理用の小さな石油コンロがあるだけだ。
「惨めな生活で、まるで地獄です。ここではまったく家族のプライバシーなんてないんです。子どもたちといっしょにくつろぐ場所もない。水もいつもあるわけではなく、身体を洗ったり、汚れた衣類を洗濯することもできないので、友人や知人の家へ行って、シャワーを浴びさせてもらっているんです」
UNRWAは避難民に、「もし外でアパートを見つけたら、住居の問題が解決するまで月に600シェーケルを提供するから、この場所を出るように」通告した。しかし多くの避難民がそうであるように、彼らも街でアパートを見つけることができず、ここに留まっている。
同じ部屋には、兄のマフムード・スルタン(48歳)の一家が暮していた。7人の子どもと妻の9人家族だ。マフムードは、ベトラヒヤのサラティーン地区出身。失業中で市役所から補助金を得て暮していた。ミサイル攻撃で家が半壊したので、ベイトラヒヤ町のUNRWA学校に避難した。その後、息子が家の様子を見に行ったとき、家は瓦礫の山と化していた。
UNRWA学校に避難した2日後の1月5日夜11時ごろ、息子とほかの2人はトイレに行った。そのとき、「小さな飛行機」(無人飛行機「ドロン」か)からミサイルが発射され、被弾した場所の近くにいた息子たち3人は即死した。
「全てを失ってしまい、十分な毛布もマットレスもない。だから近所から毛布をもらっているんです」とマフムードは訴える。
奥さんが床に無造作置かれている食料を見せてくれた。ソーセージや豆類の缶詰、パスタの袋、ジャムなどのビン、チーズの入った箱などUNRWAから支給された食料ばかりだ。他の避難民と同様、家から何も持ちだせずに着の身着のまま逃げてきたので、所帯道具はほとんどない。水道もなく、食器類を洗う場所もないと奥さんは訴えた。
この家族も今週末までにこの避難所を出ていくようにと告げられている。しかしマフムードは「ここを追い出されたら、どこへ行ったらいいのかわからない」と言い、奥さんは「UNRWAが出してくれるという600シェーケルではアパートなど借りられない。それに食費や交通費などの経費もかかる。たとえアパートをガザ市内で借りられても、子どもたちが通っていたベイトラヒヤの学校から遠く、通えなくなってしまう」と窮状を私たちに訴えた。
下の階の「台所」で暮すアリアン・アブアオン(53歳)の一家もベイトラヒヤのサラティーン地区の出身だ。9人家族で、1番下の子は、9日前、避難していたUNRWA学校で生まれたばかりだ。
公立学校の門番を職業としていたアリアンは、1月7日、家を数発のミサイルで攻撃された。一家は必死に逃げた。妻は妊娠中で臨月だった。夢中で逃げる途中でアリアンは倒れ、左足を骨折し、今もギプスをし包帯を巻いたままだ。アリアンは袋の中から薬を手づかみして床に無造作に投げ出した。痛み止めの薬や頭痛薬だった。痛みを忘れるために、タバコを手放せない。
家を失った最初の日は毛布もなかった。寒い日だったが眠る場所も見つけられなかった。
一家には、15歳の娘を頭に7人の子どもがいる。9歳の娘には知的障害があり、話すこともできず、学校へも通っていない。
「全てを失った。人間らしく生きる普通の生活も失ってはしまったんです。これからの子どもたちの不幸を見たくないから、もう死んでしまいたい……」
そう語るアリアンの目に涙が溢れ出し、泣き声に変わった。
突然、アリアンは両手で私の手を掴み、手の甲に唇を押し当てた。そして泣き叫ぶように、私に哀願した。
「どうか日本の政府に、私たち家族が安全に生きられる場所を提供してくれるようにお願いしてください。どうか私たちを見捨てないでください。あなたたちの支援が必要なんです。日本の人たちと政府に、私たちの問題を解決するように先頭に立ってほしいんです。私たちのことを忘れないでください!」
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