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日々の雑感 144:
【ガザ現地取材】サムニ・ファミリー虐殺事件(2)

【ガザ現地取材】 サムニ・ファミリー虐殺事件(1)

2009年1月26日(月)

 同じ地区の別の家族にはもう1つの悲劇が起こっていた。
 1月3日の夜、イスラエル軍の攻撃が始まったとき、ジナット・サムニ(35歳)は夫や子どもたち、それに避難してきた他の一族の人たちと30人ほどで家に留まり避難していた。その翌朝に起こったことをジナットは次のように証言した。

朝、夫や子どもたちとお茶を飲みました。その後、家の裏にはオリーブの木が茂っているのですが、そこからイスラエル兵たちが侵入してきました。夫は「何も起こらないから安心して」と私たちに言いました。その直後、イスラエル軍が家のドアを壊して、「この家の主人はどこだ?」と叫んびました。夫は身分証明書を手に持ち、両手を挙げて部屋の外に出ました。その時でした。兵士の1人が夫の眉間と胸を撃ったのです。兵士は夫に何の質問もしませんでした。夫は私たちがいる部屋の前で倒れました。家族全員が泣き叫びました。すると兵士たちは家族に向かって威嚇射撃をしました。その銃弾でいちばん下の4歳の息子は胸を撃たれて倒れました。

兵士たちは他の部屋へ行きました。そこでタンスや棚などをすべて壊しました。お金を見つけると、盗みました。そして部屋に火を着けました。

私たちは1つの部屋の真ん中に集められていました。部屋の中に煙が入ってきて、窒息しそうになりました。それでも兵士たちは部屋中を撃ちまくっていました。胸を撃たれていた息子は、煙のために意識を失いました。その後、胸の傷とひどい煙のために息子は死にました。

5分後兵士たちは、全員に部屋を出るように命令して、私たちは台所に連れて行かれました。兵士は夫の遺体の身体検査をしました。そして兵士は私を銃で狙い、撃とうとしました。私は兵士に叫びました。「どうしてこんなことをするの! どんな理由があるの!」と。兵士は答えず、私たちに家から出るように命じました。夫の遺体を運んでいきたいと嘆願しましたが、兵士は「だめだ! すぐに立ち去れ!」と言いました。

家を出たとき、隣の家の女性が自分の家に来るようにと言ってくれました。しかし兵士はそれも許さず、私たちに「両手を挙げて歩け。そのまま進み、周囲のどの家にも入るな」と命じました。長い距離を歩き、町までたどり着きました。私は、救急車を呼んでくれるよう何時間も周りの家々に叫びました。しかし返事はありませんでした。

下の娘アマル(9歳)は、私たちが家から立ち去るとき、叔母の家に行ったのですが、その後、120人ほどの住民と一緒に1軒の家に閉じ込められ、その家はミサイルで破壊されました。

4日後、兵士たちが負傷者の救助や遺体の収容を許可したとき、死んだとあきらめていた娘が生きていたことがわかりました。そう聞かされても、最初は信じることができませんでした。瓦礫の下に4日間もいたのですから。

私はアマルがいる病院に連れて行かれました。娘に何を言ったらいいのかわかりませんでした。私は意識を失いました。香水や玉ねぎの匂いをかがせてもらい意識が戻りました。医師は私に「娘さんに、父親のことついては何も話さないように」と言いました。娘は意識を失っていましたが、4日後、意識が戻りました。自分が助けられて病院に運ばれたということも思い出せないでいました。

アマルが病院でしゃべった最初の言葉は、「お父さんに会いたい」という言葉でした。父親が自分の目の前で殺されたことを忘れてしまっていたのです。私はアマルに「末の妹を世話するために、お父さんと2人揃ってはお見舞いに来られないのよ」と答えました。娘の叔父がやってきて「私がお前の父親だよ」と言ったのですが、アマルは「違う、お父さんじゃない。お父さんに会いたい」と応えました。

1歳半の息子は朝目を覚ますたびに父親がまだ生きていると思い、「パパ、パパ」と言います。夫は毎朝、この子に1シェーケルを与えてクッキーやキャンディなど好きなものを買ってあげていました。

 母親のそばにいたアマルが、自分に起こったことを訥々(とつとつ)と語った。退院したアマルは、徐々に記憶を回復していた。

アマル・サムニです。9歳です。

あの朝、私たちは家で座っていました。兵士たちが朝の6時ごろやってきて、銃を撃ち始めました。家の中にも入ってきて、私たちに向けても撃ちました。

そして「この家の主人はどこだ?」と訊きました。お父さんは両手を上げて「私です」と言いました。お父さんが部屋から出ると、兵士がお父さんの額を撃ちました。胸も撃ちました。兵士は私たちがいた部屋の中にも入ってきて撃ちました。お父さんのかばんを探り、お金を見つけるとそれを盗みました。そしてそのかばんを投げ捨てて、部屋に火を着けました。撃たれてケガをした私の弟は、煙のために気を失いました。

兵士は私たちに台所へ行くように言いました。5分ほどそこにいたら、今度は家を出るように言われました。近所に住んでいる叔母さんが、叔母さんの家の玄関のところから自分の家に来るようと私に言ったので、私は叔母さんのところに走って行きました。お母さんと兄弟たちは通りに残って、どこかに歩いて行きました。叔母さんはやってきた兵士に「これは私の娘です」と言いました。そして玄関の扉を閉めました。

しばらくして私は叔父さんの家につれて行かれました。そこに兵士がやってきて、みんなにIDカードを見せろと言いました。そしてその後、イスラエル軍は私たちがいたその家に攻撃を始め、天井が落ちてきました。

【ガザ現地取材】 サムニ・ファミリー虐殺事件(1)

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