2009年4月29日
私のドキュメンタリー映画『沈黙を破る』の東京・ポレポレ東中野での公開(5月2日公開)が迫ってきました。
『沈黙を破る』は、3年がかりで私が編集・制作してきたパレスチナ・ドキュメンタリー映像4部作『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』の4作目に当ります。
4部作全体で、“占領”という“構造的な暴力”を、さまざまな実例を通して描き 出そうと試みましたが、とりわけ『沈黙を破る』は、元イスラエル軍将兵たちへのイ ンタビューで彼らの心情を引き出し、“占領する側”もまた深い傷を負う様を描いたものです。
それは単に、パレスチナ・イスラエル問題だけではなく、“侵略し占領する者たち”が必ず抱えざるをえない普遍的なテーマを提示しています。
映画のチラシやパンフレットに掲載した「監督の言葉」の中で、私はこう書きました。
イスラエルによる“侵略・占領”を語るとき、パレスチナ側の被害の報告だけでは一面しか伝えたことにならない。“侵略・占領”する側の動機や行動原理、心理状況をも伝えてはじめてその実態が重層的、立体的に見えてくる、と私は考えている。
20数年にわたってパレスチナ側から“侵略・占領”を伝え続けてきた私が今、“侵略・占領する側”のイスラエル将兵の内面に迫ろうとしたのはそういう動機からだった。その困難な作業を可能にしてくれたのが「沈黙を破る」の元将兵たちだった。
しかし彼らの証言は、日本人にとっても「他人事」ではない。元イスラエル軍将兵たちの証言は、日本人の “加害の歴史”と、それを清算せぬまま引きずっている現在の私たち自身を見つめ直す貴重な素材となるからだ。つまり、元イスラエル軍将兵たちの行動と言葉を旧日本軍将兵の言動と重ねあわせるとき、それは“遠い国で起こっている無関係な問題”ではなく、かつて侵略者で占領者であった日本の過去と現在の“自画像”を映し出す“鏡”なのである。日本人である私が元イスラエル軍将兵たちの証言ドキュメンタリーを制作する意義は、まさにそこにある。
しかしこの映画は、作り手の私のそんな意図を越えて広がっていくに違いない。元将兵たちの証言に、アメリカ人はベトナムやイラクからの帰還兵を想うだろうし、ドイツ人はアフガニスタンに送られた自国の兵士たちと重ね合わせるだろう。『沈黙を破る』の元将兵たちの言葉が、それだけの力と普遍性を持っているからである。
この映画は、東京(ポレポレ東中野)では5月2日から、大阪(第七芸術劇場)では5月9日から、京都(京都シネマ)では5月23日からロードショーが始まり、その後、名古屋、岡山、沖縄など地方でも公開していきます。
関連情報:
書籍『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』紹介ページ
その後、名古屋、岡山、沖縄などでの公開を予定
→詳細:「沈黙を破る」元イスラエル軍将校ノアム・ハユット氏 来日イベント情報
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