2009年5月6日(水)
昨年1月以来、編集作業を続けてきたドキュメンタリー映画『沈黙を破る』が、5月2日、東京の劇場「ポレポレ東中野」で封切られた。
この映画は、パレスチナ・ドキュメンタリー映像4部作「届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと」の第4作目に当たる。4部作は過去17年間にわたりパレスチナ・イスラエルで撮り貯めた数百時間の映像を、3年間をかけて私自身が粗編集したものを土台に仕上げたものだが、映画『沈黙を破る』の素材となる映像は、パレスチナ側が2001年から、またイスラエル側は2005年から2007年秋までに撮り続けたものである。
この取材・撮影・編集のなかで、私がとりわけ、こだわった点がいくつかある。
まず、人間をきちんと描くこと。固有名詞で、等身大で、そしてその内面を引き出すことである。そうすることで、この問題を単にパレスチナ人やイスラエル人の問題としてではなく、“人間共通の普遍的なテーマ”として描き出したいと思った。
実際、この映画を観ていただいた方から、「イラクやベトナムでの米兵のことを想った」「観ながら死刑制度のことを考えていた」「企業人である私は、組織と個人の関係を思った」といった反応がいくつか返ってきた。私の狙いがいくらかでも通じたことがとても嬉しかった。
私自身は、やはり日本人として中国大陸や他のアジア諸国で、現地の民間人に蛮行を繰り返した旧日本軍兵士たちのことを念頭に置いていた。私は映画のチラシやパンフレットに掲載した「監督の言葉」の中でこう書いている。
彼らの証言は、日本人にとっても「他人事」ではない。元イスラエル軍将兵たちの証言は、日本人の “加害の歴史”と、それを清算せぬまま引きずっている現在の私たち自身を見つめ直す貴重な素材となるからだ。つまり、元イスラエル軍将兵たちの行動と言葉を旧日本軍将兵の言動と重ねあわせるとき、それは“遠い国で起こっている無関係な問題”ではなく、かつて侵略者で占領者であった日本の過去と現在の“自画像”を映し出す“鏡”なのである。日本人である私が元イスラエル軍将兵たちの証言ドキュメンタリーを制作する意義は、まさにそこにある。
しかしこの映画は、作り手の私のそんな意図を越えて広がっていくに違いない。元将兵たちの証言に、アメリカ人はベトナムやイラクからの帰還兵を想うだろうし、ドイツ人はアフガニスタンに送られた自国の兵士たちと重ね合わせるだろう。「沈黙を破る」の元将兵たちの言葉が、それだけの力と普遍性を持っているからである。
さらに私が留意したのが、“現象”ではなく“問題の構造”を描くことである。空爆や砲撃による破壊や殺傷など、目に見える、センセーショナルな事象を伝えるのではなく、地味ながら、生活を淡々と描き、深い嘆息と共に人びとが絞り出すように語る声を紡ぎだすことで、“占領”という“構造的な暴力”を伝え知らせることである。
もう1つ、心を配ったのは、パレスチナ人とその苦悩だけを描くのではなく、もう一方の当事者であるイスラエル人側も人間としてきちんと描くことだった。パレスチナ人の被害だけを描き、イスラエル側を「悪」として対比させる手法だけは避けたかった。それでは「パレスチナ支援運動のための映画」になってしまい、観る人の範囲も、パレスチナ支援者たちか、親パレスチナの人たちに限られてしまいかねない。しかし、私がもっとも観てもらいたい人たちはむしろ、「支援運動」に拒絶反応を起してしまいがちな人たち、また親イスラエルの人たちである。彼らにこそ、この現実を直視してほしいと願っている。
双方をきちんと描くもう一つの理由は、パレスチナ側とイスラエル側を“合わせ鏡”のように相互を相手に映しだすことで、問題の根源、本質が、もっと立体的に、重層的に見てくると考えたからだ。
映画『沈黙を破る』に登場する映像は、2001年冬から2007年秋にかけての6年間に撮影したものであるが、元イスラエル軍将兵に関する映像は2005年夏から2007年秋までの2年間で撮り重ねてきた映像である。
なぜ、元イスラエル軍将兵たちの証言なのかと、映画を観た方々から質問されることが多い。私は長年、占領地でパレスチナ人民衆の取材を続けてきた。その中でいやというほど目撃したのは“占領する側”の20歳前後の若いイスラエル兵たちの凶暴さ、傲慢さであった。イスラエルの街角では、まだあどけなささえ残るあの若者たちが占領地で兵士として立つとき、なぜあのような言動をとる人間になってしまうのか。彼らは占領地で兵士としてパレスチナ人住民と向かい合うとき、どういう心情を抱いているのか。そんな疑問がずっと私の中にあった。いつかあの若い兵士たち自身の口から聞いてみたい、私は長年ずっとそう願ってきた。
そして2004年夏、イスラエル人の友人たちから「沈黙を破る」のグループについて聞いたとき、「これだ!」と思った。私はすぐに彼らと接触をとり、取材を申し込んだ。しかし、彼らは海外のジャーナリストである私の取材を拒否した。彼らの説明によると、「これはイスラエルの“醜部”であり、それをイスラエルの外に曝け出すことは『汚れた洗濯物を、外で洗濯すること』であり、祖国イスラエルへの裏切り行為になってしまう」という。だから「イスラエル国内のメディアを通して国民に知ってもらい、内側から変えていく」というのだ。
しかし1年後、彼らが方針を転換したことを知った。そして再度、取材を申し込むと、彼らは受諾した。代表のユダ・シャウールに最初にインタビューしたとき、私は方針転換の理由を訊いた。彼は、方針転換には主に2つの理由があったと説明した。
1つは、「イスラエル内部からだけでは、この問題を解決することはできない。海外からの圧力は欠かせない」という判断である。
もう1つは、「沈黙を破る」のグループが取り組もうとしている問題は、決してイスラエルだけの問題ではなく、イラクでの米兵の問題でもあり、かつての中国での旧日本軍の問題でもある、つまりこの世界が共通に抱え込む“普遍的なテーマ”なのだということに、彼らが気付いたというのである。
そのような事情で、2005年から始まった取材は、元将兵たちの家族にまで及び、2007年秋まで続くことになった。
映画を観た知人のジャーナリストたちの中には、「このように深く普遍的な“加害者の内面の叫び”を元将兵たちの口から訊き出せたのは、土井さんが相手ときちんと信頼関係を築けた結果だ」と褒めてくれる人がいる。
しかし私はそうは思わない。占領地で兵士として、自分の良心と“占領者”という現実の狭間で葛藤し呻吟するなかで、自分の人間性を救うために声を上げずにはいられない沸点に達した彼らが、長年の占領地での取材経験からイスラエル軍将兵たちの声を聞きたいと心底願っていた私という“聞き手”を得て、吐き出すようにその内面を“吐露”したのだと思う。だからそれは、私の「特別な能力」というより、“偶然の出会い”だったのである。
■ 東京・ポレポレ東中野にて5月2日(土)より公開
■ 大阪・第七藝術劇場にて5月9日(土)より公開
■ 京都・京都シネマにて5月23日(土)より公開
■ 東京・ポレポレ東中野にて5月23日(土)より、『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』全4作を公開。
(『沈黙を破る』は、土井敏邦による長編ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』4部作の第4部です)
その後、名古屋、岡山、沖縄などで公開予定。詳しくは、上映情報をご覧ください。
関連情報:
書籍『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』紹介ページ
→詳細:「沈黙を破る」元イスラエル軍将校ノアム・ハユット氏 来日イベント情報
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