山形国際ドキュメンタリー映画祭2009 (1)
山形国際ドキュメンタリー映画祭2009 (2)からのつづき
2009年10月12日(月)
皮なめし工場経営で財を成したハンガリーの旧家の歴史を、過去の写真と映像で延々とたどるストリーを40分ほど我慢して見ていたが、なぜこんな記録を見せられるのか、その意味がわからず、苛立ち、ついに劇場を出てしまった。だから批評はできないし、批評する気にもならない。
中国雲南省の麗江で700年も続く鷹狩りを記録したドキュメンタリーだが、鷹狩りのシーンが繰り返される単調さに飽きて、途中で眠ってしまった。ただ麗江の古い街並みの風情だけが印象に残った。これもこの映画祭でなぜ上映されるのかわからない作品だ。
今回の映画祭で私が最も学ぶべきだと判断した作品の1つ『要塞』をもう1度観るつもりで、それまでの20分の待ち時間を潰そうとこの劇場に入った。しかし上映が始まって間もなく私はこの作品に釘付けになり、予定の20分が経っても席を立てなくなった。『要塞』は諦めた。この映画はどうしても見ておかなければならないと直感したからだ。
コルカタ(カルカッタ)の貧民街、小さな家々がひしめき合う狭い路地の一角に3歳のビラルと盲目の両親、そして生まれて間もない弟の4人家族が暮らしている。日本の落語に登場する長屋の住民たちの世界に似た、家族のようなコミュニティーがそこにある。弟を苛めては両親の手を焼かせ、外でもいたずらの絶えないわんぱくなビラルの日常を、その低い目線のカメラが丹念に追い続ける。そこから見えてくるのは、父親が失業し借金と窮乏生活に喘ぐ一家の悲惨な生活、盲目という障害を抱えながらも手探りで必死に2人の息子を育てる両親の姿、あれこれと世話を焼き、時には激しくののしり合う隣人との濃密な人間関係、そして少年ビラルの底抜けの明るさと、狂おしいほどの愛らしさ……。
その映像には確かに悲惨なまでの“貧困”が映し出される。しかし前述した『生まれたのだから』に描かれたブラジルの“貧困”の、未来も閉ざされた絶望感と暗さが、インドのその映像からは感じられないのだ。そこには笑いや笑顔が絶えない“明るさ”と“ぬくもり”がある。天真爛漫なビラル少年の笑顔と言動がその象徴だ。「私はインドの貧困という社会問題を描こうとしたのではなく、少年ビラルそのものを描きたかったのだ」とソーラヴ・サーランギ監督は強調した。撮影開始の2年前、生後8ヵ月のビラルとの最初の出会いが、この映画制作の出発点だったからだ。サーランギ氏は「監督のことば」のなかでこう書いている。
妻を介して初めてビラルに会ったとき、彼は病院のベッドにいた。まだ生後8ヵ月で、転んだために脳に障害を負っていた。私はただ黙って立ちつくし、生きようと必死に戦う赤ん坊を見つめていた。目の見えない母親が赤ん坊をぎゅっと抱きしめている。ビラルはしばらくの間、私をじっと見て……そしてようやく、ほほえんだ。ビラルは母親に優しく触れた。そうやって私の存在を母親に知らせたのだ! 私はビラルの手が伝える魔法を感じ取り、そして目を見た。美しいビラルの目……、闇がおおう世界の中にある、愛と希望を伝える目……。そうしてビラルと過ごした時間をつなぎ合わせ、この映画ができあがった。
この映画には、「インド社会の底辺の貧困を伝えるのだ」といった気負いがない。観ていて疲れない、肩の力を抜いた作品に仕上がっているのは、「この少年を撮りたい」という監督の素朴な動機から生み出されたからだろう。しかしビラルを描こうとすれば、この少年と家族が生きる社会環境も当然映し出される。観客の中にはそこに“インド社会の貧困”“インドでの身体障害者の過酷な現実”を読みとる者も少なくないだろう。だが監督は、「そういう社会的なメッセージをこめて制作したのですか」という観客からの質問に、「この映画にはそんな“社会的なメッセージ”を込めたわけではありません。しかし、観る人がそこにさまざまな社会的なメッセージを読みとるとしたら、それは自由です」と答えた。その姿勢がかえって、押しつけがましさを感じさせずに、でも確実に社会的なメッセージを観客に伝えている。そこがまたいい。
この映画を観て私がまず感嘆したのは、カメラワークである。まさにビラル少年の目線のカメラの位置から、家の中の生活の様子や周辺の状況を見せていく。一方、狭苦しい家の中で子どもたちと両親をアップで映し出す。「撮影者はいったいどの位置から撮っているのか」という好奇心に駆られてしまう。しかも両親も家族もほとんどカメラを意識せずに動き回る。「目が見えない両親は、カメラが接近してもほとんど気づかず、意識しなかったんです」という監督の説明はわかるが、好奇心旺盛なビラルはそうはいくまい。しかしこの少年はカメラ撮影などまったく気にもかけないように自由奔放に動く。監督は、私のインタビューの中で、その疑問に「病院で初めて出会ったときから、撮影を始める3歳になるまで、何度も家に通い続け、ビラルと大の仲良しになっていたから」と答えた。つまり撮影者である監督の存在が、ビラルにとってもう日常の風景になっていたのだ。
もう1つこの映画を際立たせているのが、編集の凄さである。私がその点を指摘すると、「撮影には1年間かけ、気が向く対象は何でも自由に、思う存分撮影してきたが、その分、素材の映像は百数十時間にも及んだ。この素材の編集にはたいへん苦労し、1年半も費やした」と監督が語った。経歴を見ると、「インドの名門映画学校、FTHで編集を学ぶ」と記されている。その編集のプロが、試行錯誤を繰り返しながら、納得のいくまで編集に時間をかけたからこそ、これほど洗練された作品に仕上がったのだ。
このサーランギ監督への私のインタビューは、近い将来、このコラムで全訳を掲載する。
『ビラル』Bilal 予告編(2分14秒)
cultureunplugged.com: Bilalにて全編(英語字幕)を観ることができます。
『ビラル』Bilal
インド/2008/ベンガル語/カラー/ビデオ/88分
監督:ソーラヴ・サーランギ Sourav Sarangi
“政治、社会問題の運動”に関するドキュメンタリー作品を制作するとき、作り手、撮り手がどういう“立ち位置”をとるのかは、作品の質を決める決定的な要因の1つとなる。「運動の主体に距離的にも、心理的にもあまりに接近し過ぎると、『運動支援のための宣伝映画』になってしまい、一般の観客は引いてしまう。市井の人たちにこそ観てもらいたい作品にも関わらず、だ。だから、取材対象者にはある程度の“距離”を置くことが必要だ」──多くのプロのドキュメンタリー関係者たちはそう言うだろうし、私自身、一面で、それは正しいと思う。
この映画は、2007年夏に控えた世界陸上のため、大阪市当局によって強制排除される公園内のテント生活者たちを、彼らの側に身を置き記録したドキュメンタリーだ。市の職員たちによってまさに破壊され撤去されようとするテントの中で、そのテント生活者が「この瞬間を撮影し、記録してくれ」とカメラに向かって叫ぶシーンからこの映画は始まる。その直後、破壊されるテントの中でもカメラは回り続け、「なんで、人が暮らすテントを破壊するんだ!」という撮影者の泣き叫ぶ声が響き渡る。このシーンが、この映画がどの“立ち位置”に立って作られたドキュメンタリーであるかを、観る者に明確に宣言している。
撮影者でもある佐藤零郎監督は「監督のことば」の中にこう記している。
1年前、同じ大阪市内のうつぼ・大阪城公園の強制代執行の現場でテントが潰されるのを撮影した。テントが潰される中で私は何も感じずにいた。私は今潰されているテントが誰のテントかも知らずにただ黙々と撮影した。自分のテントが潰されているわけでもないのに、怒り叫ぶ人達を怪訝な目で見ながら。
その半年後、長居公園テント村が立ち退きを要請されているのを知った。いずれは強制代執行が来ることは誰もが知っていた。私は1年前のような、自分自身が何も感じていない映像は撮りたくないと思った。単身長居テント村で生活し、カメラを廻しだした。
まだ20代のドキュメンタリストのこの姿勢に、私ははっとさせられた。「ドキュメンタリストは取材対象から“距離”を置き、冷めた目で事象や人物を描かなければならない」という「定石」をまったく逸した撮影スタイルかもしれない。しかし「これを撮らずにおくものか! 記録せずにおくものか!」といった、心の奥底から湧き起こってくる怒りと情熱が映像からほとばしり出て、観る者を圧倒する。「運動の宣伝映画」といった批評も、吹き飛ばしてしまうほどの力があるのだ。同じ日本の作品(監督は在日韓国人だが)である『あんにょん由美香』の対極にあるような作品である。
「定石」とはかけ離れた、こういうドキュメンタリー映画だって、観る者の心に届くし、こういうスタイルもあっていいのだと私はこの若いドキュメンタリストに再認識させられた思いがする。
ただその一方で、不満もある。テント生活者たちの置かれている状況も、そこからも追われる彼らの怒りも確かに伝わった。しかしそのテント生活者たちがどういう経緯でテント生活をするようになったのか、どういう人生を背負い、そこからどういう人生観を持つようになった人たちなのか、彼らの目からは今の日本社会はどう映っているのか、「世界陸上のために、競技場周辺を整備する」という大義名分でテント村を排除しようとする大阪市当局側の何が理不尽なのか、支援集会でテント生活者が「俺たちとお前たちがなんで『私たち』といっしょなんだ! 『私たち』なんて気安く言うな!」と罵倒する「支援者」と、彼ら自身との壁は何なのか──観る者の多くが抱くだろうそんな疑問に、このドキュメンタリーはほとんど答えきれていない。それがこの作品に私が“深さ”を感じない大きな要因なのだろう。
2009年10月13日(火)
公式カタログの紹介文はこの映画をこう要約している。
ウクライナのセヴァストポリ湾のひと夏。巨大な軍艦が停泊する前で、海底からスクラップを拾い上げて日銭を稼ぐ男たち、桟橋で飛び込みに興ずる若者たち、早朝からのんびりと泳ぐ老人たち。緩い解放感と停滞感が同居する小さな港町の日常が積み重ねられる。
舞台は、セヴァストポリ湾の一角にあるアポロノフカ桟橋。そこに集まる人たちの雑景である。何かセンセーショナルな事件があるわけでもない。若者たちの飛び込みの遊び、スクラップ拾い作業、老婆の日常などがただ淡々と描かれているだけなのだ。しかし監督の言葉を借りれば、「アポロノフカのアホウドリたちは、彼らが暮らすセヴァストポリをとりまく難しいジレンマの象徴だ。きらびやかな栄光には貧しすぎ、廃墟となるには活気がありすぎる。しかし、少年少女たちは、街の欲望、そしておそらくは街の希望をも体現している」、そんな街のドキュメンタリーなのである。
「街の人びとの日常を描写しただけのこんな映像でもドキュメンタリー映画として成立するのか」──それが私の見終った直後の率直な感想だ。
→ つづく
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