山形国際ドキュメンタリー映画祭2009 (1)
山形国際ドキュメンタリー映画祭2009 (2)
山形国際ドキュメンタリー映画祭2009 (3) からのつづき
2009年10月15日(木)
これまで山形市での映画祭で観たドキュメンタリーについての雑感を書いてきたが、この映画祭で上映され、私自身が事前に観た、2本のパレスチナ・イスラエル問題に関するドキュメンタリー映画についても言及しないわけにはいかない。とりわけその1本『Z32』は、私の映画『沈黙を破る』と同様、イスラエル軍将兵の加害をテーマにした映画だからだ。
第2次インティファーダの初期、ヨルダン川西岸のイスラエル軍の検問所で、6人の兵士がパレスチナ人の狙撃兵に射殺される事件が起こった。その直後、イスラエル軍のある部隊がその復讐として同数以上のパレスチナ人警官を殺せという指令を受ける。その作戦に参加した1人の兵士は、2人のパレスチナ人警官を射殺した。その兵士は除隊して数年を経てやっと過去を恋人に打ち明ける。元兵士と恋人との2人の会話、事件から数年経って射殺現場を再訪した元兵士の現場での証言、さらに監督自身による“歌による状況説明”がこの映画の柱になっている。
この兵士の証言は、すでに「沈黙を破る」のグループが発行した証言パンフレットに公表されていて、私自身、拙著『沈黙を破る』の執筆の折に日本語訳したことがある。映画ではその証言を恋人に語らせるというスタイルで再現している。顔は、最初はモザイクで、後半では巧妙なCGマスクで隠されている。その兵士は仲間6人を殺された復讐を上官に命じられ、事件とはまったく無関係の2人のパレスチナ人警察官を自分が射殺したときの様子をリアルに証言する。50代で白いひげの男だったこと、その身体は銃弾で穴だらけになっていて、服に触ると、自分の指の間からゼリー状のものがこぼれてきたこと、身元を確認するのにも触るのが気持ち悪くなり、足蹴りにしてその遺体を動かしたことも。
兵士はその殺人を「楽しんだ」ことも恋人に告白する。恋人に「自分が撃ち殺した相手の名前や年齢を知ろうとはしなかったの? その男性には家族がいて、妻や子どもがいたことは脳裏に浮かばなかったの?」と問われた兵士は「そうだ」と答える。恋人は「兵士の殺害と関係のない者を殺すのは、殺人よ」と言う。
その証言の合間に監督が登場し歌を歌う。「自分が“殺人者”をかくまい、その人物を映画に登場させようとしている。そして許しと受認を求めている。それが観ているあなたを困惑させる」「妻はそんな映画はやめてと言う」……。そして「兵士は、当時、殺人を楽しんだ自分と闘い、もがいている」と監督は歌で解説する。
そしてラストは、兵士と恋人の次のような会話で続く。
「あなたは、その男のことは考えなかったの? 例えば家族のこととか、その家族がどういう人たちなのか、男が殺され家族はどう感じるかとか?」
「考えなかった」
「そのときその男たちはあなたの目にはどういうふうに見えたの?」
「ほとんど見えなかった。ただ灰色の点が走っているのが見えただけだ」
「じゃあ、その時、あなたはどんなことを考えていたの?『自分はテロリストを殺すんだとか、アラブ人を殺すんだ』とか?」
「考えたりしないよ。ちょうど標的に向かって射撃訓練をしているようなものさ。相手を人間とは見ないんだ。相手が痛みを訴えて叫ぶ声などまったく聞こえなかった」
「どうして?」
「射撃音がとても大きいからさ」
「誰か、両手を上に向かって挙げる者はいなかったの?」
「そんなの何にもならないさ。そうしたって撃つんだ」
「自分たちの作戦がどういう意味なのか議論はしなかったの?」
(あくびしながら)「殺さなければならない奴が、誰かだって? 俺たちが基地に戻ったとき、ある奴が『これは虐殺だ』って言ったんだ。背筋が寒くなるような冗談さ」
「あなたはまったく罪の意識を感じなかったの?」
「『ああ、なんてかわいそうなパレスチナ人警官だ』といったふうな古典的な意味での『罪の意識』はなかった。その男を1人の人間だとは思わなかったんだ」
「でも、他のことを考えていたのね。怖かったんでしょ?」
(あくびをしながら)「そうさ。殺された6人の兵士がいた基地に着いたときのことを思い出すよ。みんな泣いていた。基地のみんなが涙にくれていたよ。2人の秘書は外に座ってすすり泣いていたんだ。もちろん、俺たちがやったことで兵士たちが殺されたことの悲しみが減るわけじゃあない。誰かが死ぬってことは怖いことさ。でも、パレスチナ人を殺したとき、とても自分が誇らしかったことを思い出すよ。自分が何か素晴らしいことをやったかのようにね」
「あなたは、兵士たちを殺した犯人を射殺したんじゃないのよ」
「俺はそれとはまったく関係のない奴を殺した」
「そうよ」
「その男は警官としての仕事をやっていただけなんだ」
「あなたの誇りってどこからくるの?」
「わからない。戦場に自分がいるとき、当時、自分が見たものと、いま現在、自分が見ているものとはまったく違うものさ。また当時の認識する力と今の自分の認識する力は違うんだ。戦場にいる兵士には、自分の側が正しくて、相手は悪なんだ……」
じっと2人が見つめ合い、沈黙が流れ、そして映画は終わる。
この映画を観終わって、昨年観た『戦場でワルツを』(原題は『バシールとワルツを』)を思い起こした。1982年の第1次レバノン戦争に従軍し、その後、失った記録をたどるために、かつての戦友たちを訪ね歩くアニメ映画で、今年のアカデミー賞外国語映画の最有力候補といわれていた。
昨年暮れ、『戦場でワルツを』を観た直後、私は以下のような批評を書いた。
この映画は、監督自身また参戦した他の元兵士たちが25年経った今なお抱え込む、レバノン侵攻での戦闘の恐怖と加害体験による個々人の“心の傷”をあからさまに描いて見せた、“告白の作品”だ。案内文によれば、この映画はイスラエル国内では「大絶賛された」という。でも「国家と個人の暗部」を白日の下にさらすこの映画が、なぜ「大絶賛された」のか。
私はこの映画が“治癒”の効果があるからだと思う。これまで個人の内面に押し込め隠し通してきた“負の記憶”を、自分に代わってこの映画が曝け出してくれたことに、監督と同じように“心の傷”を抱える同世代のイスラエル人たちは、この映画にある種の“カタルシス”を見出したのだろう。つまり「抑圧されて無意識の中にとどまっていた精神的外傷によるしこりを、言語・行為または情動として外部に表出することによって消散させようとする精神療法の技術、浄化法」(『広辞苑』より)となったからではないか。さらに、自分たちイスラエル人は、自分たちの「暗部」をも曝け出すだけの「勇気」と「良心」を持つ人間なのだと自己確認する“カタルシス”でもあったのかもしれない。
『Z23』に登場する元兵士が、「無実のパレスチナ人警官を射殺した体験」を敢えてカメラの前で恋人に語ったきっかけは、アヴィ・モグラビ監督の依頼によるものだろうが、元兵士がその要請を受諾した主要な理由の1つは、この“カタルシス”のためだったのではないか。自分を受け止めてもらいたい恋人に向かって、彼は執拗に「自分の体験を聴いてどう感じたのか。殺人者だと思うか」という問いを繰り返す。その問いかけは、監督から要請されたり指示されたものではなく、恋人からの“癒し”の言葉を得て“カタルシス”を成就するためにそうせざるをえなかったからだろう。
では監督自身がこの証言を映画にしようと考えた動機は何だったのか。私のその問いに監督はイスラエル人の“罪とその意識”と “罪に対する責任”を提示したかったと言い、まさにそこが“罪とその意識”を提示しただけに留まった『戦場でワルツを』と違うのだと強調した。
しかし、この映画は、「個人の“罪とその意識”、そしてその“責任”」というテーマ以上には広がってはいかない。私の映画『沈黙を破る』で元将兵たちが語る、自分が人間性、道徳心を失い、人間として“壊れていく”ことへの戦慄もうかがえなければ、その個人の崩壊が、イスラエル社会の倫理観の崩壊へとつながっていくことへの危機感もない。
そして、『戦場でワルツを』と完全に共通するもう1つの重大な点がある。それは自分が“罪”を犯してしまった“相手”がまったく見えていないことだ。前述した「日々の雑感」の『戦場でワルツを』評の中で、私はこう指摘した。
この映画には、すっぽりと抜け落ちている部分がある。その1つは、ここで描かれるパレスチナ人、レバノン人には、「バシール」というファランジストの指導者以外、固有名詞も“顔”もないことだ。つまり「敵」であり「テロリスト」であり、せいぜい「虐殺の犠牲となった民間人」というマスなのである。実際に参戦した1兵卒の等身大の視線からこの侵攻を描こうとすれば、それ以外に捉えようがなかったことも確かだろう。1箇所だけ、「敵」の顔が見える瞬間がある。進軍するイスラエル軍の装甲車に立ちはだかり、ロケット砲を放つ少年だ。しかしそこには「なぜこんな少年が死を覚悟で攻撃してくるのか」という問いの投げかけはない。大半の観客は「敵は生来のテロリストだから」とやり過ごすことだろう。しかしこの場面と問いは、このレバノン侵攻の“背景”と“構造”へと思いをはせる入り口となりえる重要なシーンだったはずだ。
このレバノン侵攻の“背景”と“構造”こそ、イスラエルが抱えるもっと根深い“暗部”であるはずなのだ。それを見つめるにはまず、向き合う「敵」や「テロリスト」「虐殺の犠牲となった民間人」が、自分と同様、身体の傷だけではなく、深い“心の傷”を負う“感情を持った同じ人間”なのだという自覚を持ちえなければならない。心身共に傷つく“同じ人間”に自分が“痛み”を与えているという自覚は「なぜ?」という疑問につながり、自分の行動を相対化する営為へと発展していく。それはさらに自分が所属する軍隊、それを動かす国家の意図の相対化につながっていくはずだ。
“顔”のない「敵」「テロリスト」せいぜい「虐殺の犠牲となった民間人」として登場するパレスチナ人やレバノン人は、この映画のテーマである戦争の恐怖と「虐殺を黙認した」加害の自責による元イスラエル兵個々人の“心の傷”を浮かび上がらせ際立たせるための“背後の風景”“舞台装置”でしかないようにも見える。
『Z32』の場合、この『戦場でワルツを』以上に“相手側”のパレスチナ人”の顔、存在が見えない。唯一、その接点が、ヨルダン川西岸の村の「射殺現場」だ。しかしここでも、パレスチナ人の存在は無視される。元兵士が指で示しながら当時の様子を語る現場に、パレスチナ人女性の村人が近づいてくる。しかし元兵士はあたかもその女性がまったく存在しないかのように無視し、当時の状況説明を続ける。現場に居あわせる監督も、その女性に声をかけ当時の様子を訊くこともしない。
「なぜあの現場であの村人の存在が無視されているのか。なぜ映画にパレスチナ人の“顔”も“声”も登場しないのか」──私はモグラビ監督に、その疑問をぶつけた。すると彼は、「実際、占領地での兵士たちには、パレスチナ人という相手側の“人間の顔と姿”が見えていない。それが現実だ。その現実をあのシーンは象徴的に示している」と答えた。
しかし、この映画の核心とも思われるその監督の狙いを、あの現場の再訪シーンによって読みとれた観客はいったいどれほどいるだろうか。私自身、監督の説明を聞いて初めてそのことに気付かされた。「でも、そのことをいくらかでも暗示してくれなければ、誰もそこまでは読みとれないはずだ。歌で、あそこまで映画について語るのなら、その重要なポイントにも言及すべきでなかったか」。私は監督に質問をたたみかけた。すると彼は「“兵士にはパレスチナ人が見えていない”という現実を、私が解説することで壊したくなかった。それはドキュメンタリーそのものを壊してしまうことになる」という趣旨のこと(1週間以上も前の記憶をたどっているため、実際の表現を正確には再現できないが)を語った。私は納得できなかった。
『戦場でワルツを』がそうであるように、映画『Z32』でも、相手側パレスチナ人の“人間の顔”が見えないことが、問題の“背景”や“構造”を浮き彫りにする深さを観る者が感じることができない大きな要因になっている。さらに、この“パレスチナ人の顔”の不在、“背景”や“構造”の不可視が、このドキュメンタリーをイスラエル人の“カタルシス”の映画にしていることも、『戦場でワルツを』と共通する点である。
それにしても、映画の中で監督自ら、音楽に合わせて語るシーンは、私には実に不可解で、目障りだった。監督自身は、自作をこう解説している。
『Z32』では、ある若者にイスラエル軍の選り抜きの兵士としての自らの体験を語らせる不穏な証言の一方で、そのまさに同じ証言を芸術的に表象してみせて、両者間のたえがたいギャップを描いている。つまり、この作品が訴えるところは、冷酷な現実を芸術作品の形で伝えることの計り知れない虚しさであり、芸術作品が政治行動とはいかに無縁であるかということであり、さらに、人生における残虐さを美しい芸術に作り上げることの皮肉なのである。(「監督のことば」より)
つまり監督によれば、あの音楽と歌は「まさに同じ証言を芸術的に表象してみせて、両者間のたえがたいギャップを描いている」「人生における残虐さを美しい芸術に作り上げる」ためだったというのだ。あの調子はずれの歌を「芸術」と言われて、納得する観客は少ないだろう。しかも歌で語られる内容も、映画に不可欠な要素とは思えない。むしろないほうがすっきりする。
「なぜ、あなたが映画に登場する必要があったのか」という私の質問に、監督は「私が登場することで、あの元兵士が『犯罪』を告白した“責任”を、元兵士だけではなく、監督である自分自身も、あえて顔を出すことでその“責任”を引き受けるためだ」と答えた。監督が歌う「私は殺人者を、映画の中にかくまう」という歌詞は、観る人に自分の“責任”を公言する意味があったのだと監督は言いたいのだろう。しかし監督が映画に登場することで、ほんとうに「“責任”を引き受ける」ことになるとは、私にはどうしても思えないのである。むしろ元兵士の証言を、もう一方の当事者“パレスチナ人”に照射させることで普遍化し深化させ、問題の“背景”と“構造”をあぶり出すことこそ、語った本人に危険が及ぶかもしれない証言を聞き出した監督が真にやるべき仕事であり、責務ではないのか。
Z32:予告編(1分10秒)
「イスラエル兵に射殺されたパレスチナ人少年の臓器がイスラエル人の子どもに移植される」──そんなストーリーのドキュメンタリーだと聞いたとき、「ああ、“憎しみ合うイスラエル人とパレスチナ人が臓器提供という人道的な行為によって、和解への道が開ける”といった“感動的な和解ストーリー”か」と思った。以前、日本でも上映された『プロミス』という映画は、イスラエル左派の家庭の少年が、パレスチナ難民キャンプの子どもたちを訪ね、いっしょに遊び戯れるうちに仲良くなり、互いの不信と誤解を氷解させていき、そこにパレスチナ・イスラエル問題の解決の糸口を見出だしていく──という物語だった。憎しみ合う両者の対話で平和への道が切り開かれるといった「美談」は、ナイーブな日本人が最も好む物語である。だが、パレスチナ・イスラエル問題は、個人レベルの「対話」や「和解」で解決の道が見えてくるほど生易しくはなく、「占領」という「構造的な問題」なのである。この映画もまた『プロミス』と同根の、「憎みを超えた人道的な臓器移植」を題材にした「感動的な映画」なのだろうと予想していたのだ。しかし、そんな単純な話ではなかった。
イスラエル兵に射殺されたジェニン難民キャンプのパレスチナ人少年アハマドの臓器は、臓器移植を待ち望む、イスラエル国内の6人の子どもたちに提供される。心臓を移植されたのは、ゴラン高原に住むドゥルーズ(イスラム教の一派を信じるアラブ系市民)の少女だった。腎臓の1つは、ネゲブ砂漠で暮らすベドゥイン(砂漠で暮らす遊牧のアラブ人)の少年に、そしてもう1つの腎臓が提供されたのは、エルサレム在住の敬虔なユダヤ教徒一家の少女だった。イスラエルの兵士に殺された息子の臓器を、敵であるイスラエル人、とりわけアラブ人に対する憎悪と不信、侮蔑の感情を抱く右派ユダヤ人に提供したことへの周囲のパレスチナ人社会の動揺と両親の葛藤、彼らが暮らすジェニン難民キャンプの絶望的な状況、そして移植から1年半後、父親が、息子の臓器がその体内で生き続ける子どもたちとその家族を訪ねることで、彼らが暮らすイスラエル社会の周辺地域の実態を浮き彫りにしながら、ストーリーは展開していく。
この映画の中で、私がとりわけ印象に残ったシーンが2つある。1つは、臓器移植から1年後、両親が息子の臓器を提供されたイスラエル内の子どもたちに会うために、検問所を通過しようとするシーンだ。警備するイスラエル女性兵が、アハマドの遺族を通過させるかどうか無線で上官に尋ねる。しかし埒があかない。「死んだ息子の臓器をイスラエル人に提供した両親が、相手の子どもたちに会いに行く。そのための通行許可書を持っている」と説明しても、無線の先で上官は「その子どもの死と両親のイスラエル入国とは関係ない」と言い放つ。そのやり取りの様子を金網越しにじっと見つめる父親の失望と怒りの表情。
もう1つは、右派ユダヤ人の父親の表情だ。娘の命を救う臓器を提供した相手が、自分たちが憎み侮蔑する敵のパレスチナ人のものであることを知らされたユダヤ人の父親の動揺と、訪ねてきた「娘の命の恩人」である少年の父親を迎え入れるそのユダヤ人の父親の対応のぎこちなさ。その様子を目の当たりにしたパレスチナ人の父親の、自分が「招かれざる客」であることを敏感に感じ取った失望に満ちた表情。憎しみ合うパレスチナ人とイスラエル人の両者の和解の糸口となるはずの「臓器提供」を通して、いっそう鮮明に見えてくる両者を隔てる不信と憎悪の“壁”、埋めようのない“溝”を、これらのシーンが見事に浮き彫りにしてみせる。
一方、この映画は同時に、ドゥルーズやベドゥインのような、イスラエル社会の周辺部や底辺に置かれた人々に対する“イスラエル社会の差別構造”の実態をも透かしてみせる。
何といっても、この映画に深い余韻を与え、素晴らしいドキュメンタリーに仕上げている重大な要因は、パレスチナ人の父親イスマイルの、深い心情を吐露する誠実で朴訥な語りと、その心の内を直截に伝える豊かな表情である。そのイスマイルの言葉と表情に、私は、今の“パレスチナ人の心情”を体現する普遍性を見た思いがする。
この『ジェニンの心』は、私がこれまでに見た“パレスチナ・イスラエル”に関する映画の中でも、最高のドキュメンタリーの1つである。山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペティション作品にノミネートされるべきだったのは『Z32』ではなく、この『ジェニンの心』だったのではないか──山形で上映された2つの作品を観比べた、私の率直な印象である。
『ジェニンの心』 The Heart of Jenin:予告編(2分56秒)
『ジェニンの心』 The Heart of Jenin
2008年/ドイツ、イスラエル/89分
監督:マルクス・フェッター Marcus Vetter、レオン・ゲラー Leon Geller
The Heart of Jenin:公式サイト
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