Webコラム

石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞

2009年11月6日

映画『沈黙を破る』が「早稲田ジャーナリズム大賞」をいただきした。

石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞

授賞理由

イスラエル兵士としてパレスチナの民衆に攻撃を加えていた若者たちの、内省する声が全編を覆っている。自分たちは「占領マシン」だった、相手を人間としてみられなくなっていた、という事実を突き出して行かない限り、社会生活を送れない、との苦悩から、自分たちは一体何をしたのか、と沈黙を破って証言し始める。病んでいるイスラエル社会の内部告発が苦悩の表情とともに語られている。そこに希望がほの見える。ベトナムやイラクの米兵にも共通する問題として支持された。
(鎌田慧)

受賞コメント

30年近くライフワークとして追ってきた「パレスチナ・イスラエル問題」と、もう1つのテーマ「日本の加害歴史」との接点を、この映画の製作と、同名の拙著の執筆を通して、私の中にやっと見出した気がしています。イスラエル軍将兵の心理を伝えることで、旧日本軍将兵にも通じる普遍的な“加害者の心理”を描写したいと願った作品です。受賞は、私のその思いを受け止めていただいた結果なのだろうと解釈しています。そこが、私にとって最高の喜びです。

授賞式スピーチ

(以下、2009年11月6日リーガロイヤルホテルで行われた授賞式でのスピーチです)

 私は“パレスチナ”と出会って31年、取材のため現地へ通い始めて24年になります。パレスチナ・イスラエル問題は私のライフワークとなりました。そんな私は、周囲の日本人や現地のパレスチナ人から、「日本人のあなたが、なぜ遠いパレスチナのことを延々と追い続けるのか。なぜ日本人としてもっと身近な問題を追わないのか」と問われ続けてきました。それは何よりも、私自身の自問でもあったのです。
 私はまったく日本の問題に関心を持たなかったわけではありません。長年、広島に住んでいた私は、カタカナの「ヒロシマ」に象徴される「日本の被害」を強調することに疑問と反発を抱いてきました。だからこそ私は、その後、在韓被爆者や韓国の元日本軍「慰安婦」、そして南京など“日本の加害歴史”を取材するようになったのです。それは日本人のジャーナリストとしての責務だと思いました。
 ただ“パレスチナ”というライフワークと“日本の加害歴史”というもう一つのテーマの接点を、私は長年、見出すことはできませんでした。それが初めて、私の中で重なりあったのが、この『沈黙を破る』だったのです。

 元イスラエル軍将兵の青年たちの証言を初めて聞いたとき、私はその“深さ”と“普遍性”に驚き、強い衝撃を受けました。彼らはまだ20代半ばの青年たちなのです。
 彼らの証言を聞きながら、私は中国大陸での旧日本軍の姿を思い浮かべていました。それは10年ほど前に読んだ精神科医・野田正彰氏の著書『戦争と罪責』に登場する旧日本軍将兵たちの証言でした。この元イスラエル軍将兵たちと元日本軍将兵たちのどこが共通し、どこが違うのか、それを追求したい──そう思った私は、京都の野田氏に、文章化した元イスラエル軍将兵たちの証言を送りました。そして2度にわたって野田氏宅を訪ね、7時間にわたってその共通点と相違点をインタビューしました。それは映画公開の前年に出版した同名の本『沈黙を破る』(2008年5月9日 岩波書店)に収録しています。
 『沈黙を破る』の執筆と映画製作は私にとって、元イスラエル軍将兵の加害証言を“鏡”にして、元日本軍将兵、つまり日本の加害歴史の実態を映し出す作業でした。それによって初めて、“パレスチナ”と“日本の加害歴史”というまったく異質に見えた2つのテーマが私の中で重なりあったのです。日本人である私が、遠いイスラエルの元将兵たちの証言を日本に伝える意義はまさにそこにあると思いました。

 映画を観てくださった方々の中には、私がそこに込めたそういう思いをきちんと受け止めてくださった人も少なくありません。「この映画のイスラエル人青年たちに、私はアジアの日本軍兵士たちの姿を観る思いがしました」という声です。またある若い男性は、「会社員である私は、映画を観ながら、会社の論理と個人の倫理のジレンマを想っていました」という感想を語ってくれました。観る人それぞれが自分の姿を映し出す“鏡”となっていれば、この映画は“普遍性”をもっていると思います。
 この映画を「パレスチナ・イスラエル問題の映画」として見られたら失敗作だと言えるかもしれません。私が目指したのは、パレスチナ・イスラエルを舞台にはしているが、それを突き抜けた“深さ”と“普遍性”をもった作品でした。そんなふうに観てもらえれば本望です。
 もしそのような映画に仕上がったとすれば、それは「取材、撮影、編集をした私の力だ」と自慢したいところですが、実は私の力によるものではありません。この映画の持つ力の多くは、元イスラエル軍将兵たちの力、彼らの言葉の力によるものです。ジャーナリストである私は“黒子”に徹して、彼らの言葉を観る人たちの前にそっと差し出せばよかったのです。

 『沈黙を破る』の構成の最終段階で、さまざまな重要な提案をしてくれたのは、会場の後方におられるプロデューサー、シグロの山上徹二郎さんでした。山上さんが、採算がとれそうもないこの映画を世に出してくれました。
 また私の粗編集の作品から、私と二人三脚で映画として仕上げる編集をしてくれたのは、秦岳志(はた たけし)さんです。まだ30代と若いですが優秀な編集マンで、私の思いをとても大事にしてくれて、素晴らしい作品に仕上げてくれました。
 また後方のシグロの西晶子さんは、この映画を広めるために、いま一生懸命がんばってくれています。
 この『沈黙を破る』は私のパレスチナ・ドキュメンタリー映画4部作『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』の第4部に当たる作品です。それぞれが約2時間の映画ですから全部で8時間を超えます。その粗編集は私が3年がかりで独りでやりました。その間は、収入になる仕事はほとんどできず、また延々と続く孤独な作業に、ほんとうに精神的に参ってしまいました。
 私事で恐縮ですが、その間、私を物心両面で支えてくれたのは、連れ合いの幸美でした。

 この賞は、私個人というよりも、映画に登場する元イスラエル軍将兵、パレスチナの人々、そして山上さん、西さんたちシグロの方々、編集の秦さん、そして連れ合いなど、この映画のために力を尽くしてくれた人たち全員に対しいただいた賞だと思います。

 ほんとうにありがとうございました。

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