2009年11月22日(日)
「最終的には累計約300万人動員という驚異的な記録を達成」「老いた農夫と1頭の牛の映画が、韓国映画界に奇跡をおこした」「『牛の鈴症候群』と呼ばれる社会現象にまでなったドキュメンタリー」……そんな宣伝文句に、いったい何がそれほど人を引き付けるのか、ドキュメンタリーを創る者として自分の目で確かめてみたいと思い、試写会に行った。
確かにパンフレットの通り「描かれているのは、腰の曲がった老人2人と1頭の牛のみ」の映画ということもできる。しかし単に「老農夫と老牛との『美しい交流の物語』」ではない。これは80年代から急速に高度成長し、欧米や日本並みの先進国になった現在の韓国社会への「あなたは人間として大切なものを見失っていませんか」という問いかけの映画なのだと私は思った。「モノの豊かさ」こそが幸福への道と信じ込み、その獲得のために「効率」「便利さ」を金科玉条のごとく追い求める現在の韓国の都会人や私たち先進諸国の人間たちに、立ち止まり、この映画の“鏡”に自らの姿を映し出して見たらと、語りかける映画なのである。
(以下、映画の内容に関する言及を含みます)
79歳の農夫チェ爺さんは、「牛が食べる草が毒になるから」と農薬をかたくなに拒む。そのために稲の収穫は少なく、野菜もすぐに虫に食べられてしまう。80歳近い妻の老婆には、草取りも重労働だ。こんなに歳を取っても苦労ばかりが続くと老婆は嘆く。チェ爺さんは、少年時代の医療ミスで不自由になった右脚を引きずりながら、牛に与える草を刈り、背負子(しょいこ)に水分をたっぷり含んだ重い生草(なまくさ)を山のように積み、両手の杖で身体を支え、よろけながら立ちあがり、ゆっくりと農道を歩き、家路につく。
老いた牛に鞭を打ちながら田植え前の水田の地ならしをするチェ爺さんの隣では、トラクターに乗った若い(チェ爺さんに比べてだが)農夫が、スイスイと水田を耕していく。また田植機で次々と苗が植えられていく光景の横で、チェ爺さんと老婆は、泥の中を這うようにして1本、1本、苗を植えていく。秋になれば、田んぼに膝まずきながら1株1株、鎌で稲刈りをするチェ爺さんの隣の田んぼでは、コンバインによってあっと言う間に稲が刈り取られていく──。「効率」と「前時代的な非効率」の見事なコントラストである。
これらの映像に私は、監督とカメラマンがこの作品に込めた現在の韓国人への“問いかけ”と“主張”を目の当たりにする思いがした。韓国で「累計約300万人動員」した理由は、これらの映像に凝縮されていると思ったのだ。
では、日本で、観客はこの映画に韓国人と同じような反応を示すだろうか。私は残念ながら、そうはいかない気がする。なぜか。それは日本と韓国の高度成長の歴史と過程に大きな違いがあるからだ。韓国が現在のような「豊かさ」を獲得したのはつい最近、ソウル・オリンピックに象徴される80年代後半だった。韓国国民の多くはまだ、それ以前の、これほど「豊か」ではなく、これほど「効率」「便利さ」が重視されることのなかった時代を肌で知っている。つまりそれは「豊かさ」「効率」「便利さ」と引き換えに失ってきた、共同体の絆が息づき、自然と人間がまだ共生していた時代の空気を韓国の多くの人びとが深く記憶に刻み込んでいるということにもなるだろう。だからこそ、その残影の一片を目にするだけで、痛いほどの“郷愁”となって人びとの中に蘇ってくるのだ。
一方、日本ではどうか。日本がこれほどの「豊かさ」を獲得し始めたのは、韓国よりも20年以上も前の、東京オリンピックを契機とした60年代半ばである。つまり日本で生まれ育った若い世代はもちろんのこと、都会に生まれ育った中年の世代さえ、それ以前の「豊かさ」「効率」「便利さ」にこれほど支配される前の、「共同体の絆が息づき、自然と人間がまだ共生していた時代」を知らない。つまり韓国人のように、比較できるもう一方の“社会の在り方”を肌で知らず、「その残影の一片を目にするだけで、痛いほどの“郷愁”」を持ちようがないのだ。
ただ私は幸いなことに、佐賀という地方の農家で生まれ育ったために、少年時代に、「豊かさ」「効率」「便利さ」にこれほど支配される以前の日本の濃密な共同体を肌で知り、それらがどんどん変わっていく過程を体験してきた。つまり現在の韓国人に似た時代を生きてきたことになる。だからこそ、私はこの映画に、“郷愁”に似た深い感動を覚えるのだろう。
しかし、今の日本社会では、私のような者は多くはない。だから日本の配給会社が、「最終的には累計約300万人動員」「韓国映画界に奇跡をおこした」「『牛の鈴症候群』と呼ばれる社会現象」といった謳い文句で多くの人が観てくれると期待しているとすれば、それはちょっと違うような気がする。なぜ韓国では「累計約300万人動員」できたのかという背景をきちんと見極め、ではそれを時代背景の違う日本では、どう“翻訳”して伝えれば、人びとの心に届くのかという戦略を立てなければ、期待はずれに終わるような気がしてならないのだ。試写会で渡されたパンフレットの中には「なぜこの映画が韓国でヒットしたのか」「日本でも通用する普遍性がどこにあるのか」といった分析の記述はほとんどない。
もう1つ、パンフレットの内容に頭をかしげたことがある。
この映画の最大の魅力の1つは映像だ。うっとりするほどの農村の自然の美しさに、都会の喧騒に疲れ果てた人びとは心癒される思いがするにちがいない。この映画の映像の力はそれだけではない。人や牛のアップの映像はこの映画の特徴の1つになっている。それは状況を説明するナレーションもテロップもないことを補って余りある効果を生み出している。老夫婦の顔のアップが、その心の内を見事に語っているのだ。そして“主人公”の牛。物言わぬこの動物だが、眼のアップ、よろける足元、背中の皮から飛び出した肉片とそれにたかるハエのアップ映像、そして牛の視線を、その頭の背後から見せるカメラアングルで、見えないはずの牛の感情を映像に映し出してみせる。真骨頂は、売られるために送られた牛市場でのシーンだ。仲買人から「ただでもいらないような老いぼれ牛だ」という罵言を浴びせられ、老いた牛はまるでその言葉の意味を理解したかのように、眼から涙がこぼれ落ちる。その眼と涙のアップは、観る者の心に突き刺さる、この映画の中でも最高のショットである。
この映像はカメラマン、チ・ジェウ氏の力だ。たとえ監督のイ・チュンニョル氏が「こんな絵を撮ってほしい」と指示したとしても、実際にファインダーをのぞき、撮る対象を決めてフォーカスを合わせ、サイズを決め、シャッターチャンスだと判断する瞬間に「ON」スイッチを押すのはカメラマンなのである。その映像は間違いなくそのカメラマンの感性と思想、そして技量で決まる。だからドキュメンタリーは、方向性と視点を決める監督(ディレクター)と、実際にそれを映像というかたちに表すカメラマンの力量で決まると言っていい。
しかしこの映画のパンフレットの「STAFF」の中にはカメラマンの名も写真もない。あるのは「監督/脚本/編集」のイ・チュンニョル氏と「プロデューサー」のコー・ヨンジェ氏だけだ。コー氏については「すべての映画が国内外の映画祭で高く評価され、韓国インディペンデント映画界でももっとも期待されるプロデューサー」と紹介されている。しかしこの映画が韓国で成功したのは「プロデューサー」の力ではないだろう。この映画の持つ“力”によるものだ。その最大の貢献者は監督であり、カメラマンである。そのカメラマンの力を“軽視”したようなこのパンフレットの作り方に、宣伝する側のこの映画への視点のずれを見る思いがするのは私ひとりだろうか。
このパンフレットと対照的なのが、同じく動物を主人公にしたドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と』だ。この映画は監督の飯田基晴氏と、土屋トカチ氏、そして常田高志氏の3人がカメラを回している。伝えたい趣旨とそのための対象をきちんと捉えた見事な映像である。パンフレットには、そのカメラマンたちの経歴はもちろんのこと、カメラを回したときの心情が記されている。土屋氏は、少年時代から飼っていた愛犬の思い出を語り、犬や猫にカメラを向けるときの自分の心情を映像に投影している。また常田氏の映像は、取材対象者のネコばあさんから預かった子猫が、だんだん慣れていき、自分も心情的に近づいていった過程を描き、撮る側の気持ちを描写している。「なるほど、だからあのような映像が撮れたのか」と私は妙に納得した。自らカメラを回すプロデューサー/監督の飯田氏だからこそ、カメラマンの撮影時の心情が、映画制作にとってどれほど重要であるかを理解しているのだろう。
『牛の鈴音』は、観る側の体験や生き方、価値観、さらに社会の在り方を映し出し問う“鏡”となりえる、“深さ”を持った映画である。そのことをきちんと捉え、「では日本では、そのことをどう伝えるのか」という発想に立たないと、この映画は日本では広がっていかないだろう。配給会社が韓国での成功だけに寄りかかり過ぎると、大きな失望を味わうことになるような気がする。
『牛の鈴音』予告編(約1分52秒)
→ 次の記事へ
ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。