2010年5月21日(金)
『トーラーの名において』
──シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史
ヤコヴ・M・ラブキン著(平凡社/2010年4月)
ユダヤ人であるラブキン氏の主張のなかで、他のユダヤ人にとってだけではなく、私たち非ユダヤ人にとって最も衝撃なのは、“ショアー(ホロコースト)”に対する見解である。もしこのような見解を私たち非ユダヤ人が口にしたら、「反ユダヤ主義者」として世界中から大非難を免れ得ないにちがいない。
氏は、“ショアー”は「災厄とはユダヤ教徒をしてみずからの行いの検証、そして個人ないし集団としての改悛にむかわせるもの」であり、「ユダヤ教徒を改悛に導くために用いられる残酷な手段」とし、ヒトラーのような加害者も「神の懲罰の代行者」というのである。
「(ラビ・)ヴァセルマンは、ショアーが(中略)、シオニストたちによって鼓舞され、実行されてきたトーラーの廃棄に対する懲罰であると信じて疑わない。この論理に従うならば、シオニズムの企画がこのまま継続される限り、ユダヤの民は、シオニズムに内包された個々の侵攻侵犯行に対し、人の命の形で高い代償を払わされ続けることになるのだ」
「ユダヤ人が、かつて神が彼らの祖先とのあいだに交わした契約を完全に忘れ、地上のほかの民と同じように暮らしたいなどと思い始めた時には、まさに今日、われわれの眼の前で繰り広げられているように、野獣のような反ユダヤ主義者らの群れが恐るべき力と猛々しさをもってユダヤ人を叩きのめすことになるのだ」
またラブキン氏はラビ、アムラム・ブロイの次のような「ショアー解釈」を紹介している。
「もしもシオニズムの罪がなかったら、ヨーロッパの惨劇は起こらなかったであろう」
「シオニズムの信奉者たちのあいだに広く根づいている仮想、すなわち、もしもイスラエル国が1930年代に建国を成し遂げていたならば、そこにより多くのヨーロッパ・ユダヤ人を吸収することができていたにちがいないという見方には断固異議を唱える」
「それは完全なる異端思想である。繰り返しいうが、ショアーは、シオニストたちの罪に対する報いとして起きたのだ。彼らは、ユダヤ国家なるものの建設に向かうことを諌める神の命としてタルムードに記された、あの3つの誓いを破り、それによって、ユダヤ人の体がナチどもの使う石鹸に変えられてしまうような大災厄を引き起こしたのである。無信仰の人々の目には問いとして映ることも、われわれにとっては答えそのものなのである」
ラブキン氏はさらに、シオニストたちのショアーそのものへの責任へと論を進める。
「ラビ、ヨセフ・ツェヴィ・ドゥシンスキー(1868−1948年)は、1947年、国連パレスティナ特別委員会に宛てた文書のなかで、シオニズムこそ、アラブ人たちとのあいだで暴力や諍いを引き起こし、それによって、1930年代の終り頃、パレスティナへのユダヤ移民を制限する方向にイギリス政府を動かしてしまった張本人であると述べている。つまりショアーの犠牲者、数百万人の命を救う道を閉ざしてしまったのはシオニズムであるということだ」
「現実に起きてしまったショアーも、ユダヤ国家の取得に向けてシオニズム指導者たちの政治的意志をさらに強固なものとする役割しか果たさなかった。そして、その実現に向けて彼らが手にした議論は、たしかにたぐい稀なる説得力を宿したものであった」
「ナチズム台頭の直後、シオニストたちは、ベルリン政府に対し、6万人のドイツ・ユダヤ人をその私財もろともパレスティナに移動させる計画を持ちかけ、合意をとりつけた」
「ドイツに派遣されたシオニストの代表団は、ナチス当局、とりわけ、当時、ユダヤ人の国外移住問題を担当していたアードルフ・アイヒマンとのあいだで実に円滑な協調体制を築くことができたのだった」
「あるシオニズム指導者は、ヨーロッパ・ユダヤ人に支援の手を差し伸べようとの呼びかけに対し、『ポーランドのユダヤ人を全部ひっくるめたよりも、パレスティナにいる1頭の牝牛の方がよほど価値がある』と答えたという。また別のシオニズム指導者は、第二次世界大戦後に国家を要求することの重要性を強調して、次のように述べたという。『われわれの側でかなりの犠牲者を出さなければ、国家を要求する権利などまったく認めてもらえないだろう。〔…〕よって、敵に資金まで出して、われわれの側の流血を押しとどめようとすることはまったくもって馬鹿げた行いなのだ。われわれは、もっぱら血によって国家を手にすることになるのだから』」
「(『ユダヤ機関』の代表、ルードルフ・カストナー(1906−57年)は、)起訴状によれば、ナチスが数千人の若いユダヤ人にパレスティナ移住の許可を与えさえすれば、それを餌として収容所内のユダヤ人たちを落ち着かせることができると呼びかけ、結局、ナチスの収容所運営に手を貸していたというのだ」
「20世紀、老若男女合わせて600万人のユダヤ人が、国家の創設者、指導者らの手により、その国家設立の交換条件として犠牲に供された。果たして正常な感性を備えた人間として、かくもおぞましい行為を思いつくものがいるだろうか?」
「ベン=グリオンは、『救出作戦のための技術と資金を備えた大規模な公的組織を創設することや、こうした救出作戦のためにシオニスト組織をつうじて集められた資金を使うことには反対の姿勢を示した。彼はまた、アメリカ・ユダヤ人を動かして、こうした使途の義援金を集めさせることにも消極的だった』」
「シオニズム運動全体に対しても、それがショアーをつうじて目的どおりの効果が得られそうな場合を除いてヨーロッパ・ユダヤ人の運命からは目を逸らし、そして、みずからの政治綱領にそぐわない救出作戦はことごとく妨害していたのではないか、という批判がさし向けられている。シオニズム指導者たちは、『ヨーロッパ・ユダヤ移民にパレスティナに向けての出立を余儀なくさせるため、地球上のそれ以外の場所に彼らを導こうとする計画に横槍を入れた』というのだ」
「シオニズム運動がショアーについて負っている歴史的責任について、ハレーディ系、改革派を問わずラビたちが述べ続けてきた糾弾の言葉は、今日、イスラエルの一部の歴史家たちによっても裏づけられてようになっている。それぞれが異なる言葉遣いを見せてながらも、歴史家たちは、ベン=グリオンとその同志たちがヨーロッパのユダヤ人居住地を絶滅から救うための努力を妨害したという点において、すでに見解の一致を見ているのだ」
ディアスポラ(離散)の地のユダヤ人を『私物化』しようとする傾向。
「イスラエルの歴代政府は、どの党が政権を担当するかによらず、あらゆるユダヤ移民の流れをイスラエルへ向かわせようとして、事実上、ロシアのユダヤ人がアメリカやドイツへ、アルゼンチンのユダヤ人がアメリカへ、マグリブのユダヤ人がフランスへ向かうことを阻止しようとしてきた。ディアスポラのユダヤ人をあたかも自国の資産でもあるかのように扱い、国家事由を個人の自由の上位に位置づける習慣は、シオニズムのみならず、20世紀に勃興したいくつかの革命的政治体制に備わる主意主義的な本性を図らずも露呈するものといえよう」
「シオニストたちがショアーから導き出す教訓は明快そのものである。つまり、いかなる犠牲を払ってでも国家を手に入れ、それを強靭なものにし、そして、アラブ側からのあらゆる異議申し立てを退けつつ、そこに可能な限り多数のユダヤ人を流入させなければならないというものだ」
「イスラエル国の存在はショアーに対する償いの意味を持つのだという意識を、イスラエル人にも、またディアスポラの地のユダヤ人の若者たちにもうえつけるため、シオニストの教育者たちはさまざまな手法を用いる。なかでももっとも効果的なのは、1988年に始まった『生の行進(ミツアド・ハ=ハイーム)』であろう。この行進に参加するユダヤ人の若者たちは、まずポーランドを訪ねてアウシュヴィッツ絶滅収容所をはじめとするショアーの歴史的跡地を見学し、それからイスラエルへ行き、独立記念日を祝う。ここから発せられるメッセージはきわめて強力だ。つまり、死の後に生があり、アウシュヴィッツのバラックの後に、青と白の国旗が飾られ、独立記念日を祝うイスラエルの町々があるというのだ」
「かくてショアーは、イスラエル国の存在理由にかなり強い説得力を付与するばかりでなく、イスラエル国への具体的支援の梃入れを促す契機にもなっている」
ショアーのイデオロギー的かつ政治的利用が習慣化し、日常茶飯事となっているという事実。
「(『ホロコーストは過ぎ去った』の著者アヴラハム・ブルグによれば)イスラエル人がみずからを永遠の憎悪の被害者とみなしており、中東を舞台として内続く紛争の一方の当事者であるという認識がきわめて稀薄であるという」
「イスラエル・ユダヤ人の意識は、被害者意識、強迫観念、盲目的愛国心、好戦性、独善、そしてパレスティナ人の非人間化と彼らの苦しみに対する無関心によって特徴づけられる」
「イスラエル政治に対する批判に、ナチスによるジェノサイドの記憶さえ動員されるようになった。2008年-2009年、ガザ地区への攻撃が多くの国々のユダヤ人からも激しい抗議にさらされた時、あるフランスのユダヤ人がイスラエル首相宛てに1通の公開状を書き、かつてナチスに殺害されたみずからの祖父の名を、以後、『ヤド・ヴァ=シェム』記念館から抹消して欲しいと要求したのである」
「首相閣下、あなたの手でその命運が左右されるこの国家は、ユダヤ人の全てを代表するのみならず、ナチズムの犠牲になったすべての人々の記憶をも代表するとの自負を表明しています。しかし、それこそが、まさに私の懸念の種であり、どうしても耐えがたい点なのです。ユダヤ国家の中心に位置する『ヤド・ヴァ=シェム』記念館に私の親族の名を保存しながら、あなたの国家は、シオニズムという鉄条網のなかに私の家族の記憶を幽閉してしまっています。そして、日々、まさに正義に対する挑戦としかいいようのないおぞましい行為を、いわば道義的に正当化するために、人質としてその記憶を利用しているのです」(イスラエル人作家、アモス・オズ)」
「われわれは苦難を体験したことによっていわば免責証、つまり道義上の白紙委任状を与えられたも同然なのだ。けがらわしい非ユダヤ人どもがわれわれにしたい放題のことをしたのだから、だれからも道徳について説教されるいわれはない。なにしろこちらは白紙委任状を手にしている。それもわれわれ被害者としてあまりにも辛い体験をしてきたからだ。かつて被害者であり、いつも被害者だった。被害者であり続けたがゆえに、当然、動議のらち外に置かれてしかるべきだ、という含意である」
ショアーの記憶の政治利用。
「ショアーの象徴主義が、とりわけ民族主義系の活動家たちによって最大限に活用されている」
「ユダヤ教の立場からシオニズムを批判してきた人々は、ショアー、そしてとくにワルシャワ・ゲットーにまつわる公式記念行事が、かえって出来事の真相を歪め、ユダヤ教にはまったく無縁のモラルを打ち広めようとしているとして非難する」
(つづく)
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