2010年5月28日(金)
昨夜8時過ぎに横浜駅からタクシーで我が家に着いた。ラジにとって初めての我が家の訪問である。
私と幸美の最初の「デート」は、2002年2月、ラジが所有するオレンジ畑だった。ラジが私をそのオレンジ畑に案内するというので、当時、ガザ市内のアトファルナ聾学校でボランティアをしていた彼女を誘った。特別な感情があったわけではなく、せっかくラジの畑へ案内してもらうのだから、もったいない、誰か他に同行できる人はいないかぐらいの軽い気持ちで誘ったのだが。帰国後に私たちのつきあいは始まったが、2人でガザを再訪したとき、付き合っていることを知ったラジが、「ガザで結婚しろ」と迫った。私は「ガザでの結婚式では家族や親族は呼べないから、もしあなたが日本に来れば、結婚するよ」と流した。まさかそんなことが実現するとも思わず、執拗に迫るラジをかわすための言い訳だった。しかしその翌年、ラジが講演のために、ほんとうに来日することになった。それで私たちはあわてて結婚の準備を始めた。2003年7月、講演旅行を終えてラジが離日する前日に、私たちは留学生会館の食堂ホールを借りて手造りの結婚式を挙げた。もちろん主賓はラジである。私たちの出会いのきっかけをつくってくれたラジが、私たちの結婚式に立ち会い、祝福のあいさつをしてくれる──私たちにとって最高のセレモニーだった。
あれから7年。私たちの結婚生活はなんとか続いている。その私たちの家に“仲人”のラジを初めて迎える。それは私たち夫婦にとって感無量の“出来事”である。「ベイティ・ベイタック!(「私の家を、あなた自身の家だと思ってくつろいでください」という意のアラビア語で、親しい客を招き入れるときに使う)」と言って私はラジを家に招き入れた。
幸美が寿司やおでんなど、ちょっとバランスを欠いた、数品の日本料理をラジのために用意してくれていた。もちろんラジが大好きなおいしい日本酒も。
私たちはこの7年間に起こったことを語りあった。ラジが日本を再訪するまでの7年間、私たちが夫婦であり続けることができたのは奇跡に近いと私が言うと、「それは、すべてユキミのお陰だよ。君は彼女に感謝しなければ」とラジが私を諭した。
我が家からは横浜市のシンボル、ランドマーク・タワーなど街の夜景も楽しめる。ラジにこの光景を見せるために、隣で建設が決まっていた集合住宅の建設工事の開始時期を無理やり延ばしてもらった。
我が家の風呂の湯に入ってくつろいだ、ほろ酔い気分のラジは、それでも夜遅くまでガザのオフィスとのメールの交信を続けていた。
夜中過ぎ、ラジは我が家唯一の日本間で畳の上に敷いた布団に入った。2度の来日で彼が畳の上で寝るのは初めてだろう。枕元の床の間に、幸美が生花を飾っていた。日頃は何も置かれない殺風景な床の間も、今日はラジのために精一杯華やいでいる。
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