Webコラム

日々の雑感 172:
2度目の脳梗塞

2010年6月10日(木)

 1年8カ月ほど前、初めて脳梗塞で入院したとき、それまでの自分の不摂生の生活を深く反省し、今後、生活習慣とりわけ食生活を変えようと決心したはずだった。退院して1ヵ月ぐらいはその誓いは守れた。脂っこい食べ物は避け、ご飯の量も秤で測って200gと決め、酒も焼酎のお湯割りコップ1杯までとした、はずだった。しかし1ヵ月ほど過ぎると、「血液をサラサラにする薬も飲んでいるし、もう大丈夫」と気が緩み、いつもの暴飲暴食の日々に徐々に戻っていった。
 そのツケが回ってきた。『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』の上映会初日の朝、また脳梗塞の症状が現れた。
 寝起きで足元がふらつくのは、前夜の酒の飲み過ぎかと思った。しかし右足の皮膚の感覚が麻痺している。そして、パソコンに向かい、キーを打ち出したとき、右手の異常に気付いた。これまでと違って、ブラインド・タッチで無意識に打てた文字が打てない。自分では「k」を押しているつもりなのに、出てくる文字は「0」だったり「9」だったり。パソコンのキーボードが壊れたのかと思った。しかし目で見て押すと、間違いなく、その表示されている文字が出てくる。とすれば壊れたのはパソコンではなく、自分の身体なのだ。自分の指の感覚が麻痺して、脳が指令するところに指が動かないのである。「これは間違いなく、脳梗塞の症状にちがいない」と確信した。もう上映会どころではなくなった。血の気が引くような恐怖心、絶望感を覚えた。上映会は私がいなくても、映画を観てもらえば済む。しかし、脳梗塞の治療が遅れれば、このくらいの麻痺では済まない。しかも今後、死ぬまで引きずる後遺症になる。私は、横浜市民病院の救急治療センターに急行した。
 幸い、最初の脳梗塞の入院以来、私の治療を担当してきた医者が宿直医としてセンターにいた。すぐにMRI検査が始まった。
 2、30分ほどの検査を終えた私に医者が言った。
 「見つかりましたよ。今度は前回の右側の脳ではなく、左側です。しかも運動中枢に近いところです。足の調子がおかしかったでしょう? ちょうど足の運動機能の脳神経の近くです」
 私はそのまま入院を命じられた。1年8カ月前と同じパターンである。5泊6日、点滴の日々が続いた。前回の入院から、私は結局、何の教訓も“学習”できなかったのだ。悔いと、自制心の弱さへの反省と自己嫌悪に落ち込んだ
 周りの人たちからは、「たいへんな仕事で疲れがたまっていたせいですよ」「仕事で疲れ切った身体を労わり、ゆっくり静養してください」と温かい、慰めの言葉をかけられる。しかしこの脳梗塞が「たいへんな仕事」のせいではないことは、本人がいちばんよくわかっている。要するに、自分の食生活、日常生活を管理・自制できなかっただけの話である。「仕事」とはほとんど関係ないのである。「脳梗塞で倒れるほど、濃密な仕事」など最近、ほとんどやっていないのだから。

 6人部屋の病室で、私の斜め向かいに、60代後半と思われる男性が入院していた。同じ脳梗塞の患者さんである。しかし私と比べようもなく、重症である。手足もほとんど麻痺状態、歩くことはもちろん、ベッドから独りで起き上がることもままならない。排泄も、紙おむつに頼らざるをえない。
 声をかけると、その男性は涙声になって不自由な言葉で語った。
 「脳梗塞です。3度目なんです。ずいぶん用心はしていたんですけど……」
 後は泣き声になって、言葉が続かない。不自由な左手に持ったタオルで、男性は流れ落ちる涙を拭いた。
 「自分の身体が思い通りにならず、悔しいだろうな……」。泣きじゃくる初老の男性を見つめながら思った。「自分も一歩間違えば、あの男性のような状態に陥っていてもおかしくないのだ。右下半身にいくからしびれや麻痺が残っているとはいえ、私のケースはまだ不幸中の幸いだった」と。

 前回と違ったのは、右手の軽い麻痺だった。パソコンがこれまで通りに打てなければ、ジャーナリストとしての仕事ができなくなる──それがいちばん怖かった。パソコンだけではなく、カメラも持てなくなったら、自分はもうジャーナリストでなくなる。私にとって、現場で取材できない者はもう“ジャーナリスト”ではないのだから。自分からジャーナリストの仕事を取ったら、もうほとんど何も残らない、つまり「土井敏邦」の存在意味がなくなるような気さえする。

 こういう事態に陥ったとき、考えるのは、「自分が生き続けるうえで、何が真に不可欠なものなのか」ということだ。「不必要なものを次々と削ぎ落していったとき、それでもこれだけは削れない。これがなくなったら自分の“生”を支えられなくなる」というものは何かを、病気など不幸に見舞われると、見極めざるをえなくなるのである。
 そして今回つくづく実感するのは、今の自分にとって、ジャーナリストとして“伝える”“自己表現する”ことが、自分を支えているのだということだ。
 だからこそ、そのための環境や状況(自分の身体と心の健康状態、そして活動に必要なだけの物理的な条件)はなんとしても確保しなければならない。それを失いかねない状況に追い込まれた今、改めて実感するのである。

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