Webコラム

日々の雑感 179:
沖縄訪問記(3)現地で知った住民の“怒りと危機感”

2010年6月26日(土)

 沖縄本島の北部、東村高江(ひがしそん たかえ)区で計画されている米軍のヘリパット建設に反対する集会が行われるというので、会場へ向かうことになった。知花昌一さんと彼の友人2人と共に読谷村(よみたんそん)を正午ごろ発ち、国道58号線を北上してほぼ1時間半かかって会場に着いた。会場となった広い運動場の一角に小型トラック2台の荷台をくっつけて「演壇」が作られていた。その前に100人ほどの参加者が集まっていたが、広い運動場にはその数はあまりにも少なく見えた。
 日差しが強く暑い。30度はゆうに超えているだろう。それでも知花さんは、炎天下で椅子に座り、次々と登場するさまざまな運動組織の代表のスピーチをじっと聞いている。仲間の2人も、読谷村の運動団体の幟(のぼり)を立てて地面に座り、発言者に拍手を送った。
 おそらく本土の人たちは「普天間基地の移転問題」や「辺野古の沖合での代替基地建設の計画」の話はメディア報道で聞き知ってはいても、東村高江区に米軍のヘリパットが建設されようとしていることはほとんど知らないだろうし、知っても関心もないだろう。
 しかし沖縄では、本土の日本人たちが見向きをしない場所で、鳩山首相が辞任し「問題は終わった」と勘違いし関心を失った時期でも、住民が米軍基地建設に反対し闘っている。知花さんたちも車で1時間半もかかる集会にわざわざ出かけ、炎天下に何時間も座り続ける。これが本土と沖縄の落差なのだ。
 集会が終わると、大型のスピーカーやたくさんのアンプとそれをつなぐ複雑なコードの片付けが始まった。器材とセットを担当したのは、読谷村に住む音響のセミプロだ。彼は、たくさんのアンプやスピーカーなど器材をワゴン車いっぱいに積んで、朝早く読谷村を出て会場にかけつけた。音響機材の設置も独りでこなす。しかも、こういう市民運動では見返りを求めない、ボランティアである。知花さんと仲間たちが片付けを手伝う。すべて住民たちの手作りの集会なのである。
 集会の後、知花さんと仲間たちは、ヤンバルの山の中へ向かった。仲間の1人、「節ちゃん」を訪ねるためだ。「節ちゃん」は最近、大病で入院していたが、退院後、原生林が生い茂る山の中の「自宅」に戻ったので、皆で様子を見に行こうということになったのだ。彼女は、山中で長年独り暮らしを続け、細々とした農業と織物の仕事で生活しているという。その家は山の林の中にあった。母屋のかやぶき屋根は朽ちて、所々、青空がのぞく。中は土間で、生活に必要なものだけが並んでいる。実に質素な「家」である。この家も、30年ほど前、仲間たちが総出で造った。「節ちゃん」は知花さんと同じ62歳、独身である。沖縄出身だが、若い頃に本土に渡り、三里塚に住みつき、長年、あの三里塚闘争を闘った。その後、沖縄に戻り、現地の米軍基地や石油備蓄基地の建設反対闘争、市民運動に関わってきた。20数年前、知花さんが国体で日の丸を焼いた事件の後は、知花さんの支援のために身体を張った。右翼の攻撃にさらされた知花さんのスーパーマーケットを警備するために、このヤンバルから2時間近い読谷村へ通い続けたのである。
 知花さんと仲間たちの間で、早速、この「家」の改築計画の話が始まった。この穴だらけのかやぶき屋根を何とかしなければならない。かやはどこで手に入れるか、朽ちた横木はどうする、足場も必要だ、これは建設資材の店からレンタルするしかない、その料金は仲間たちからカンパで集めよう、たくさんの人手が必要だ、読谷村などから仲間たちが交代で週末に通おう……、次々と計画は具体化していく。まるで少年・少女たちが目を輝かして、自分たちの「秘密の隠れ家」造りの計画に夢中になっているような雰囲気である。
 「仲間たちはみんな、運動に人生を賭けてきた節ちゃんを尊敬しているんだよ。つまり、みんな節ちゃんが好きなんだよな」と知花さんは言う。
 結局、7月中旬の連休から「節ちゃん」の家の改築を始めることが決まった。

 帰りの車の中で、知花さんと仲間たちが、鳩山前首相の沖縄訪問時のエピソードを語ってくれた。鳩山氏が沖縄県庁を訪ね、知事に「普天間基地の代替地は辺野古に」と伝えたとき、知花さんと仲間たちは本気で、前総理の乗った車を実力で止めることを考えた。沖縄住民の“怒り”をかたちで表現するためだ。しかしその計画は未完に終わった。
 「もし辺野古に基地建設が実行されることになったら、今度こそ沖縄中の住民が、身体を張って阻止しますよ。逮捕されることも覚悟の上です。そのくらい住民は怒りと危機感を持っているんです」
 この「沖縄住民の怒りと危機感」も、本土の日本人には伝わっていない。4月25日の住民9万人を集めた「米軍普天間基地の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」など「映像や写真になりやすいイベント」は、本土のメディアでも一過性で断片的に伝えられることはあっても、「沖縄住民の怒りと危機感」は本土の日本人には伝わっていない。少なくとも私自身は実感できていなかった。そのことを、知花さんやその周囲の人たちの言動に直接触れて思い知るのである。
 この1週間の沖縄の旅の最大の収穫は、現地で暮らす人びとの心情の一片を肌で知ったことだろう。

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