Webコラム

日々の雑感 182:
演劇『かたりの椅子』とNHK番組改編事件の告発書(1)

2010年7月16日(金)

 『かたりの椅子』(二兎社、作・演出:永井愛)という演劇の脚本を読み、その舞台をテレビで観た。それは偶然と幸運が重なった結果だった。
 自作の映画『“私”を生きる』のシンポジウムを計画していた私は、このテーマについて語れる演劇界の人物を探していた。知人の脚本家が推薦してくれたのが脚本家・永井愛さんだった。偶然、永井さんの作品『かたりの椅子』の脚本が雑誌『せりふの時代』最新号(2010年春号)に掲載された。しかも、ほぼ時期を同じくしてNHKがその舞台を録画放映したのだ。主演は女優の竹下景子である。
 可多里(かたり)市で開催されるアート・フェスティバルのために実行委員会が結成された。メンバーは造形作家の入川(いりかわ)クニヒト、市立美術館館長・九ヶ谷章吾(くがや・しょうご)、ライフスタイル・コーディネーターの戸井ひずる、そして市役所の課長、沼瀬圭作(ぬませ・けいさく)など6人である。文部科学省からの天下りである市文化振興財団理事長、雨田九里(あまだ・くり)、その部下、目高陽倫(めだか・ようりん)、そしてこの劇の主役、イベント・プロデューサー、六枝(むつえだ)りんこ。財団から依頼されて、このアート・フェスティバルをプロデュースすることになった。彼らが主要な登場人物である。

 文化振興財団の雨田が中心になって作成した企画「まちかどアート・プロジェクト」と、造形作家の入川が企画した「かたりの椅子プロジェクト」の双方を比較検討したイベント・プロデューサーのりんこは、その企画者を知らないまま理事長の前で、前者「まちかど……」を「こういうのって、よくありますでしょ。有名なアーティストの作品で町おこしだ、みたいの」と酷評する。一方、「かたりの椅子……」を「市民から、要らない椅子を集めるんでしょう? それを、この可多里市に住むアーティストが、アートにリサイクルする。その生まれ変わった椅子に座って市民が語り合う。非常にユニークな試みですし、とても明確になったと思うんです。アートを通して交流しようという、このフェスティバルの狙いが」と激賞してしまう。おもしろくないのは「まちかど……」を企画した理事長、雨田である。34年間、文部科学省に在籍した。こんな小さな町の文化振興財団理事長にしか天下りできなかった自分に雨田は無念でならない。独りになると、「私は遠くまで行くはずだった。文部次官になるはずだった。いえ、文部科学大臣にだって……」と嘆きつぶやいてしまう。そんな雨田にとって、自分の企画が、若い造形作家の企画にとって代わられるなど、とてもプライドが許さないのだ。
 雨田は、自分が雇ったりんこに、「かたりの椅子……」の企画者の入川に、その案を引っ込めるよう説得するように命じる。争うことが嫌いな入川はあっさり自分の企画を引っ込めようとするが、「かたりの椅子……」の企画を知った実行委員会のメンバーたちは、その企画の奇抜さに感動し、ぜひこの案でやろうと盛り上がる。そして実行委員会は入川案でやることを決議する。しかしなんとしても自分の企画でやりたい雨田は、部下の目高を使い、さまざまな画策をする。「都庁でパッとしなかったお前を引き抜き、どれほどいい思いをさせてやったか」と雨田に恩を着せられる目高は、その上司のために奔走する。実行委員の1人で市役所の課長、沼瀬に命じ、すでに決定した「かたりの椅子……」企画の妨害工作をさせる。しかし、メールが不得意な沼瀬は、上司の目高に送るはずの「妨害工作の進行状況」の報告メールを、誤ってプロデューサーのりんこに送ってしまう。この雨田と目高の魂胆を知って激怒したのは、実行委員たちである。企画者の入川とりんこは記者会見を行って、この事実を公にしようと主張するが、美術館館長・九ヶ谷は、「ミサイルが飛び交う前に、まずは外交努力が必要だ。実行委員会を代表して、私が雨田理事長と話をつけよう」と主張し、他の実行委員たちも同意する。
 歓声と拍手で送られた九ヶ谷はしかし、イタリア料理店で雨田と目高に接待され、言いくるめられてしまう。失望したりんこと入川は、記者会見を開いて訴えるしかないと考える。だが、市役所課長の沼瀬はなんとか思いとどまるようにりんこに迫る。自分の失敗で雨田理事長が窮地に追い込まれ、さらに記者会見までやられたれら、もう自分は市役所をクビになってしまうと恐れるからだ。沼瀬はりんこにこう訴える。
「これ見て、ウチの娘……(と、携帯電話の待ち受け画面を見せ)百合花ってんだ。結婚が遅かったんで、まだ小学校にあがったばかりだ。俺、働かなきゃなんないんだよ。百合花がオトナになってくれるまで。おひとり様じゃないんだよ!」

 雨田理事長と目高の、「かたりの椅子……」企画とそれを支持する実行委員会の切り崩し工作は執拗に続く。実行委員長で「かたりの椅子……」企画の発案者でもある入川に、「実行委員長を辞めてほしい」と迫る。「この埋め合わせはきっとします。市の芸術関係の仕事で便宜をはかることもできますし、もっと、それ以上のことまでも……」
 部下の目高が、雨田にへつらい、その言葉を補う。
 「理事長は、文教族の大物議員と親しい関係にありまして、文部科学省、文化庁にも影響力をお持ちです。また、文化・芸術関係の賞につきましても、理事長は多くの選考委員と、お友だちと申しますか……」
 しかし入川は、「それ、買収じゃないですか! 歩み寄りが聞いてあきれる」と突っぱねる。
 しかし実行委員の戸井は、九ヶ谷と同じく接待されて変節してしまう。「もう、フェスティバルには理想を求めず、次の仕事で成果を上げよう、そうだろ、たがかフェスティバルだ。命をかけるなんて馬鹿げとる。その後も人生は続くんだよ」と言い放つまでに。
 そしてりんこ。筋を通そうと、一時は雨田に「嘘はやめよう、心の休まるときがないから。本音を言って、楽に生きよう」と迫ったはずの彼女が、変わっていってしまう。それは次のようなやりとりからだった。
 誘惑や欺瞞から逃れようと、走り出したりんこに、雨田と目高がこう語りかけるのだ。

雨田 どこへ行く!
りんこ 本当の居場所へ。
目高 そっちへ行くと、怖いことになるぞ。
雨田 そう、あの行列が待っている。
りんこ あの行列?
目高 一杯の豚汁(とんじる)を求めて並ぶ行列だ。
りんこ ……
雨田 事務所にローンは、あといくらだ?
目高 お前に返すアテはあるのか?
雨田 厚生年金、入ってる?
目高 国民年金だけだとキツイぞ。
雨田 並ぶのか、あの行列に?
目高 一杯の豚汁を求めて?

そして実行委員会。入川を除いた委員たちは、雨田理事長側に寝返っている。委員会は入川を実行委員長から解任する決議をする。そしてりんこが、次の委員長に推薦される。「困ります、お引き受けできません!」と断ろうとするりんこに、雨田と目高がささやく。

目高 高額のギャラを保障します。今の契約以上のね。
雨田 市の芸術関係の仕事で、便宜をはかることもできます。もっと、それ以上のことまでも……
目高 理事長は、文教族の大物議員と親しい関係にありまして、文部科学省、文化庁 にも……

困惑し、出口を求めてうろうろするりんこに、寝返った実行委員がささやく。
「あ、あ、そっちへ行くと、豚汁だ」
「六枝さん、そんなに豚汁を食べたいんですか?」

 そして入川が実行委員会に登場し、他の委員たちが満場一致で、委員長の解任を決議する。そのやり方に異議と唱える入川に誰も耳を貸さない。入川は唖然とする。
「いったいここは、どこの国だ。今は、どんな時代なんだ」
「理事長は、アートに関心なんかないんだよ。彼女は、ちっぽけな自尊心を守ろうとしているだけなんだ。なぜ、こんなものに、多くの人が振り回されてしまうのか。何を恐れて、つき従って行こうとするのか!」

 すると「実行委員長」になったりんこが「もうやめて! 私に話しかけないで」と入川の言葉を制する。そして、理事長の理不尽なやり方を追及していたあのりんこが、こう語るのだ。
 「アート・フェスティバルの実行委員長というものは、芸術的なひらめきだけで務まるものでは、もとよりない。何よりも求められているのは、謙虚な心である。なぜなら、フェスティバルには、公的な資金が投入される。国民の皆さんの税金だ。その税金を分配してくださったのは、官僚の皆さまだ。であるからして、実行委員長は『お金をくださって、ありがとう!アートをやらせてくださって、ありがとう!』と、心からの感謝を捧げ、もっとお金を回していただけるよう、官僚の皆さまとは、進んで仲良くしなければならないのだ!」

 しかし、これは翌日に開かれる実行委員会のリハーサルだった。
 その当日、いよいよ実行委員会が始まろうとしている。
 会が始まる直前、会場前でりんこと入川がこんな会話を交わす。自分が実行委員長を解任されることを予想した入川は、りんこにこう言うのだ。

入川 ヤツラ(理事長に寝返った他の実行委員たち)は、僕が抗議すると思っている。僕は、抗議しないんだ。
りんこ 抗議、しない?
入川 だって、被害者はあの人たちだ。加害者は常に被害者であることに、僕はやっと気がついた。
りんこ それは…自分がやったことに耐えられない、良心が痛むというような?
入川 似ているけど、ちょっと違う。自分を社会的な目から見て、いいとか悪いとか判断するんじゃないんです。もっと、心の底からの、自分に対する問いかけだ。これがお前か……というような。
りんこ ……
入川 こういう声が話し合える相手は、自分自身しかいないんです。だから、今日はそれを言う。フェスティバルはやがて終わる。でも、自分に対する裏切りは、その後も続くんだと。

「時間ですよ、始めましょ!」と目高に促されるりんこ。その前に、2つのドアが待っている……。
 そこで劇は終わる。
 りんこの前にある2つのドアの一方は、リハーサルのように「変節し安定した生活を選ぶ自分」へのドア、そしてもう一方は、「豚汁の列に並ぶ、つまり職を失いホームレスになることをも覚悟で、“私”を貫く自分」へのドアなのだろう。果たしてりんこは、どちらのドアに入っていくのか、そういう謎かけをしたまま、演劇『かたりの椅子』は終わるのである。それは、観客の一人ひとりに、「あなたは、どちらのドアへ進みますか。実際いま、あなたはどちらのドアを選んで生きていますか」という問いかけのようにも思える。

 人は、自分の理想を貫いて、自分に嘘をつかず、気高く生きていきたい、そのように「“私”を生き」ていきたいと願う。しかし、「社会的な地位や安定した生活を犠牲にしてまでも?」と問われれば、ほとんどの人は躊躇してしまう。そして多くの人が「家族を養わなければならない、人間は弱い者だ、きれいごとだけじゃ生きていけないよ」と後ろめたさの残る自分自身に言い訳をしながら、「安全」「安定」への道、「自尊心が満たされる」道を選んでいく。しかし少数ながらも、自分を偽らず「“私”を生きる」道を選ぶ人たちもいる。
 永田浩三著『NHK 鉄の沈黙はだれのために』は、一度は多数派の“ドア”を選びかけたが、悩み、迷い、苦しみ抜いた末、あえて少数派の“ドア”を開いた、NHKの元プロデューサーの告白の書である。

次の記事へ続く→『かたりの椅子』とNHK番組改編事件の告発書(2)

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