2010年9月10日(金)
今日はラマダン明けのイドゥ(祝日)。ハムラ通りの大半の商店、スーパー・マーケットも閉店している。
コーディネーターSに案内されて私はブルジ・バラジネ難民キャンプへ向かった。ベイルート市内の南部だ。入口は西岸のバラータ難民キャンプのように大きな写真と看板が掲げられていた。アラファトの写真と、ハマスのアハマド・ヤシン師とランティーシの写真である。
入り口からの大通りは、西岸やガザの難民キャンプのように広い。昨日のシャティーラ難民キャンプよりも環境はいいように見える。しかしこのキャンプでもシャティーラと同じように、電線が建物の壁沿いや頭上に網の目のように張り巡らされている。昨日のシャティーラではあまり目につかなかったが、ここでは水道管の黒い束も頭上を縦横に走っている。キャンプでは地面に埋めることができないからだという。
広い大通りに車が駐車している。これもシャティーラには観られなかった。このキャンプの住民がシャティーラより経済的に豊かなのかと訊くと、いや単に物理的にシャティーラには車を駐車する場所がないから、駐車場に置かれているのだとSは答えた。
Sは私に「ここは私自身、知り合いがいないから公の場での撮影は控えるように」と注意した。実際、キャンプ内を歩いていると、青年が近づいてきて、Sに何事かささやいた。「ここでは撮影させないように」と警告を受けたとSが私に伝えた。
大通りから外れ、一旦キャンプ内に深く入ると、このキャンプでも迷路のような路地が続き、その路地から住民の生活の一片がのぞける。イドゥで一張羅の晴れ着に着飾った少女たちが、歌いながらブランコ遊びに興じている。狭い敷地のわずかな空間を利用して作られた遊び場。これが子どもたちの数少ないレクリエーションの1つなのだ。一方、ほとんどの男の子たちはおもちゃの銃を手にしている。私自身、少年時代、「強い者」「強者のシンボルである武器・銃」に憧れモデルガンを手に入れ後生大事に磨いていた時期もあったのだから、男の子にとっておもちゃの銃を持ちたがるのは世界共通の傾向なのかもしれないが、ほとんどの少年が銃を手にしているのは、やはり異様だ。難民キャンプで生活の大半を過ごすレバノンのパレスチナ人の閉塞感、そこから脱出する道として“力”に憧れる傾向は他の世界の少年たちよりも強いにちがいない。もう1つ特徴的なのは、まだ10歳にも満たないような少年たちがスクーターを乗り回している姿だ。細い路地を移動するにはスクーターは欠かせないのだろうが、なぜ少年たちの乗り物になっているのか。今日がイドゥという特別の日だからだろうか。
路地で初老の男が話しかけてきた。本人は56歳でレバノン生まれだが、両親はアッカ(現在イスラエル領)近くの村の出身だという。34歳の長男を頭に6人の子どもがいる。長男は病気で大手術をした。33歳になる次男は喧嘩が原因で学校を中退、いまは仕事がなく家にいる。娘は結婚して家を出たが、下の2人はまだ学校に通っている。
子どもたちにいい教育を与えるのは難しいですか?
「息子は大学に行こうとした。しかし1学期のために700万リラ(1ドル=1500リラ)が必要だ。どこからそんな大金を手に入れるんだ。アッバース(自治政府議長でPLO議長)からか?」
もし大学を出たら、青年たちは職を得られるんですか?
「たとえ仕事があっても、パレスチナ人は雇われない。政府は助けてもくれない。ここのパレスチナ人の医者はロシアなどで勉強しているが、ここレバノンじゃ、大きな病院では働けないんだ」
希望はない?
「全くない」
1人の青年が話をしてもいいと言った。イブラヒム・ナッシム、30歳。高校を中退して電気工になった。イブラヒムは言った。
「パレスチナ人も誰だって医者のような社会的にステイタスが高く収入のいい仕事につきたいさ。でもそれはできないんだ。パレスチナ人にはまったく市民権がないからさ」
どんな夢を抱いている?
「ヨーロッパへ行きたいんだ。自分の夢をかなえるためにね。ここにいる限りずっと差別される」
ここには差別があるんですか?
「もちろんさ。だからヨーロッパに出たいんだ、そのための唯一の方法は、密航さ。でも、入国許可や労働ビザ、その国の市民権を得るのは簡単なことじゃないんだ
ここで希望を持てないんですか?
「レバノンの市民権を得られなければ、ここで希望なんか持てないさ。ここから脱出し、他の国の国籍を取得して、またここに戻ってくるつもりだよ。だけど脱出するために5000ドルから7000ドルを稼ぐために働き続けなければならないんだ。もちろんその金を稼ぐのもたいへんだけど、実際、ヨーロッパへ行くこともたいへんなんだ。金だけ取られて詐欺に合うことだってあるんだ」
ここでの生活に満足していなんですね?
「まったくしていないさ。自分にできることは、金を稼いで、ヨーロッパへ行く道を探すことなんだ。これが大半のキャンプの若者の夢さ。10代の少年に訊いても、『自分は明日にでもレバノンを出たい』と答えるさ。実際、先日、このキャンプ出身で密航した15歳の少年がギリシャで拘束されたんだ」
結婚したい?
「もちろんさ。でもそのための状況はとても厳しいんだ。金も仕事ないんだから」
このキャンプから出て、仕事を得ることができるんですか?
「もし家族が裕福で、外で生活できる資金があればできるさ」
パレスチナ人だと仕事を見つけるのは難しい?
「どんな会社でも、パレスチナ人だとわかると、給料は安く引き下げられる。エンジニアでもパレスチナ人なら、エンジニアとしてではなく、未熟練労働者の仕事の給料しかもらえないんだ」
希望を失った青年が麻薬や犯罪、また武装グループに加わっていくと聞いたけど、実際そうなんですか?
「それは最悪のシナリオだよ。自分の目の前が壁で塞がれて、そこにしか活路がなければ、それを選ぶしかない。自分や家族を養うためにさ」
解決法の1つとして、宗教に向かい、その武装グループに加わる者もいると聞いたけど?
「俺が知る限り、そんなに多くはないね。多くは麻薬など犯罪に走るんだ」
レバノンのパレスチナ人に仕事の自由を与える法律が通過したと聞いたけど?
「それは紙の上だけのことさ」
そんなひどい状況にあるパレスチナ人たちの怒りは誰に向かうんですか? 誰に怒っているんですか?
「レバノン(政府)に対してさ」
傍で聞いていた中年男が発言した。
「UNRWAだよ」(UNRWA:国際連合パレスチナ難民救済事業機関)
なぜ?
「パレスチナ難民のことを気にもかけていないからさ。パレスチナ人に教育も十分な医療も与えてくれないんだ。以前、子どもが病気になり、政府系の病院に行ったんだ。すると2500ドルを請求さえれた。『パレスチナ難民である自分にはそんな大金はない』って言ったんだ。それでUNRWAの病院に移ろうとした。でもUNRWAからそのための書類を拒否された。『他の病院へ移れ』って言うんだ。それで移ったんだけど、息子のためのベッドはなかったんだ。息子は手術を受けなければならなかった。そのために2万3000ドルが必要だった。UNRWAはパレスチナ難民の医療費を負担することになっているが、1ドルも払わなかった。仕方ないから、あちこちから金を集めて1万4000ドルを支払った。しかしUNRWAはまったく支払わなかったんだ」
私は再びイブラヒムに質問した。
怒りはレバノン政府の他にどこへ向かうんですか?
「PLO。パレスチナ人の組織は何もしてくれないんだ」
なぜPLOを責めるんですか?
「自分たちの組織に所属している者しか援助しないんだ」
PLOに一般のパレスチナ難民を支援を要請しないんですか?
「しない。PLOのいったい誰が支援してくれるのか! 自分で何とかしなければいけないんだ。そのためにヨーロッパに行くんだ」
ヨーロッパ人が助けてくれなかったら、他の誰に頼る?
「神さ。それにカラシニコフ銃」
将来、パレスチナに帰れるという希望はありますか?
「あるさ。以前よりもパレスチナのために闘う意志はパレスチナ人の間に強まっているよ。以前はイスラエルの力が強くて何もできなかったが、今は違う。パレスチナに戻れる希望はあるよ」
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