Webコラム

日々の雑感 201:
ニューヨークでの最初の上映会

2011年1月26日(水)米国上映ツアー

 ニューヨークは朝から雪である。鉛色の空から白い雪が時には周りの光景がかすむほど激しく、時には粉雪となって優しくゆっくりと舞落ちる。建物や広場、そして街路樹も分厚い雪で覆われ、真っ白だ。人びとは防寒具に身を包み、背を丸めて通りを急ぎ足で行き交う。ニューヨークの雪は風情がある。その一方、この鉛色の空に舞う雪が、私の中の、慣れない外国の街で独りいる不安と感傷的な気分をいっそう掻き立てる。
 アメリカの東海岸では今年は例年になく冷え込み大雪に見舞われているというニュースを日本で聞き知っていたので、妻の幸美が耳まで覆う帽子やイヤーバンド、それに厚めの手袋を用意してくれていた。それが今大いに役に立っている。
 22日午前9時半ごろオークランドの空港を発ち、5時間ほどでニューヨークのJFケネディー空港に降り立った。3時間の時差のため、現地時間は午後6時近かった。電車、地下鉄を乗り継いで、ニューヨークでの宿舎となるマンハッタンのど真ん中、ワシントン広場に近い友人のアパートに、道に迷いながらやっと辿り着いたのは、もう8時を回っていた。
 4年半前にニューヨークを訪れたときも、この友人の家が最初の滞在場所となった。近くの地下鉄の駅「West 4st,Washington Sq.」は複数の路線が交わる大きな駅で、ニューヨーク市内を動き回るにはとても便利な場所である。
 翌日の朝、昨年春以来、電話やe-mailで何度もやりとりをしてきた中国系アメリカ人Lさんが、車で私の宿舎近くまで訪ねてくれた。初対面である。「初めまして、土井です」と私は日本語であいさつした。Lさんも流暢な日本語で「初めまして、Lです」と答え、握手した。
 18歳まで横浜で生まれ育ったLさんは、その後、渡米し、ハーバード大学医学部を卒業し、研究者として長年、大学や研究所に勤務してきたが、50代初めに退職し、現在、ウォールストートの投資家として活動している。その一方、パレスチナ・イスラエル問題にも強い関心を持ち、パレスチナ支援活動にも関わっている。私の映画『沈黙を破る』に注目し、その上映活動に協力を申し出てくれたのもそういう経緯からだった。
 日本を離れて数十年が経つにも拘わらず、Lさんの日本語は日本人並で、会話にはまったく不自由しない。日本語の文章も読めるので、e-mailでは私は日本語で、Lさんは英語でというやりとりである。英語で文章を書くことにあまり慣れていない私には願ってもない協力者である。
 ニューヨークでの最初の活動は、24日の夜、Lさんが所属するハーバード・クラブの上映会だった。このクラブは、ハーバード大学出身者たちの同窓クラブで、社会的に成功した名士たちも少なくない。今回の上映会は、このクラブの「Special interest Group」という定例研究会のメンバーを対象にしたもので、一般への呼びかけはできない限定した会だったため、10人ほどの小さな会だった。しかしアメリカ東海岸のイスラム社会の有力者や人権団体の顧問、日系アメリカ人の女性、香港出身の女性、さらに特別ゲストとして故エドワード・サイードの夫人、マリアムさんも会場に駆けつけてくれた。正式に公の場で『沈黙を破る』がアメリカで上映されるのはこれが初めてだった。2時間10分の映画を全部上映する時間はないので、冒頭の「バラータ難民キャンプ」、そして「沈黙を破る」グループの写真展から始まる元イスラエル軍将兵たちの証言、ジェニン侵攻などのシーンなど1時間ほどを観てもらった。上映後、私は英語で、この映画を制作した経緯、この映画のテーマは単にパレスチナ・イスラエル問題に限らず、「中国大陸での旧日本軍兵士」や「ベトナムやイラク、アフガニスタンでのアメリカ兵士」にもつながる普遍的な問題であること、さらにパレスチナ人やユダヤ人など当事者ではない、日本人が伝えることの意味と重要性などを説明した。
 映画を観た参加者たちの反応は「powerful」「shock」という言葉に集約された。「こういう映画をアメリカでこれまで観たことがない、アメリカ国内で広く観せていくべき映画だ」という声もあった。「この映画はアメリカ人にも伝わる」──私はそう確信した。
 やがて参加者の間で、どうやってアメリカ国内で広げていけるかの議論が始まった。「私の知人に『PBS(アメリカ公共放送)』のプロデューサーがいる。彼に見てもらって、4部作を短縮してドキュメンタリー番組にしたらどうだろう」「ニューヨーク周辺のモスク関係者たちに話しをしてみよう、各地のモスクでも上映できるのではないか」「『ヒューマンライツ・ナウ』が近々、映画祭をやる予定だ。そこで上映する道があるかもしれない」……参加者たちの間での熱い議論を聞きながら、私は正直、いま目の前で起こっていることが信じられないような気持だった。そして父の死に直面し、あれほど迷いながらも、アメリカ上映ツアーを続ける決断をしたことはやはり間違っていなかったと思った。
 こうして私のニューヨーク上映ツアーが始まった。そして今夜、アメリカで最初の一般公開となるコロンビア大学での上映会が開かれる。Lさんのフェイスブックにはすでに200人近い人たちから参加希望の連絡が入っているという。
 このコラムを書いている今も、外では雪が舞っている。夜には大雪になるという。そんな天候の中、果たして、それほど多くの人たちが、日本人が撮ったというパレスチナ・イスラエルのドキュメンタリー映画を観にほんとうにやってくるのだろうか。でも20人でも50人でもいい。私が長年かけて取材し撮影し編集した映画を、初めて一般のアメリカ人に観てもらう、願ってもない機会なのだから。

"Breaking the Silence" Trailer

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