2011年6月30日
飯舘村(いいたてむら)の集団的避難計画が決まってから、村人たちがどんどん村から去っていき、それに伴い、商店も次々と閉店していった。最後まで残ったのはJAが経営するスーパーマーケット「Aコープ」だった。それもこの日をもって「休業」する。午前10時の開店前から取材のため、2つのテレビ・クルーが開店を待ちかまえていた。店内は多くの棚がもう空で、品数もまばらだ。今日で売りさばかなければならないために、多くの商品が「半額」の大安売りになっている。それでも、来店する客足はまばらだ。村人の多くがこの村から避難してしまったからだ。それでも避難場所から週に何日かは飯舘村に戻ってくる村人は少なくない。福島市内のアパートに避難したという50代の主婦が言った。
「私たちは我慢できるんだけど、おじいちゃん、おばあちゃんが、行くところがなくて、かわいそうで、かわいそうで。アパートだから。村でずっと動いてきた人だから、どうしていいかわからなくて、私たちが村に用事があるから、行こうって連れてきたの。このままでは病気になっちゃうから」
同じく福島市内に避難した中年女性は、涙ぐみながら語った。
「いつもきれいに草刈りして、空気もいいし、あんなきれいな村だったのに、外から飯舘村に入ってくると、草がいっぱいはえていて、なんでこんなふうになっちゃったのって。悔しいというか、悲しいというか、情けないというか、なんとも言葉にならないです。今日、ここが最後だというので、最後に福島市内から買い物をしに来たんです。ここに来たいと思っても生活できない。やっぱり自分が生まれた所、いつになるかわからないけど、自分のウチを守っていきたいから、ときどき戻ってきます」
「計画的避難」が進み、村で住民の姿がまばらになった飯舘村で、この「Aコープ」だけが人が集まる広場になっていた。久しぶりに避難場所から村に戻り、この店で買い物する村人たちが、知人たちと久しぶりの再会し、話がはずむ。離散した村人たちの再会とコミュニケーションの場となっていた「Aコープ」が、この日の午後6時をもって、20数年の幕を閉じた。これによって、バラバラになった村人が集う場所も、この村から完全に消えた。
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