2011年7月6日(水)
私はこのコラムで国内政治の動きについて言及することはこれまでしてこなかった。ジャーナリストとして国内政治についてモノ申すなら、日頃、丹念に政治の動きを追い、きちんとした根拠と知識に基づいて発言しなければいけないが、それができていないという自覚があったからだ。しかし今回は、呆れかえり、怒りを抑えきれない。
それは2日前、テレビ・ニュースで、就任1週間足らずの松本龍・復興大臣の宮城県の村井知事に対する発言を見たときである。
「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないとわれわれは何もしないぞ。だから、ちゃんとやれ」。さらに「それと後から入ってきたけど、客が来る時は入ってから客を呼べ、いいか。長幼の序が分かっている自衛隊なら、そんな事やるぞ」と、多くの報道陣が取り巻くなかで発言した。しかも、その直後、その報道陣に向かって、「今の最期の言葉はオフレコです。いいですか、みなさん、書いたら、その社は終わりだから」
これが一都道府県の首長、しかも津波によって最も甚大な被害を受けた県の1つで、その被災者の救済のために奔走している首長に対する言葉である。
何なのだ、この奢り、傲慢さは! 私はその映像に、醜悪な汚物を見たときのように、吐き気を催すほどの嫌悪感を抱いた。なぜこんな人物が、いま最も重い責任を果たすべき「復興担当大臣」に選ばれるのか。民放のニュース番組で、あるコメンテーターが言うように、「こんな人物を復興担当大臣に選ばざるをえないほど、菅政権は末期的状態」なのだろうか。ネットで彼の経歴を調べていたら、防災担当大臣だった彼の3月11日の大震災直後の行動についてこんな記事があった。
「ボンボン育ちで、修羅場をとても仕切れない。地震発生時にはパニックに陥り、以来、会見もできない」(匿名の全国紙編集幹部)、「官邸の危機管理センターに詰めていた松本氏がまったくの役立たずで、自衛隊の初動が遅れた」(匿名の全国紙政治部デスク)、「震災が発生した3月11日から数日間、被災地救援や物資輸送が滞り、その後の活動に多大な悪影響を及ぼしたが松本氏はその“元凶”と目されている」(匿名の『週刊現代』記者)。
この「ボンボン育ち」というのは、実家が養祖父の代からゼネコン・松本組で、彼自身も顧問を務め、2008年度の所得公開で国会議員のトップの8億4366万円の所得を得ていたといわれることを指している。
松本氏の発言でさらに許し難いのは、私の故郷である九州・佐賀を汚すような以下の発言である。
「私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして、結果として被災者を傷つけたとすれば申し訳ないと思います」
馬鹿野郎! 「九州の人間」がみな「語気が荒い」とでも言うのか。「九州の人間」がみなお前のように無神経で傲慢だとでも言うのか。
またこういう発言もある。
「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とかわからんのだ」
災害担当大臣を務め、さらに復興大臣という重責を負う政治家が当然知っておくべき基礎の基礎を知らない、そんな呆れる無知を、「九州の人間」のせいにするのだ。こういう人物こそ“九州の面汚し”である。
問題発言が公になった翌日の昨日、松本氏は辞任した。それに対する被災者のコメントは実に的を射ている。
「当然と言えば当然、最初から間違った人を選んだ」
「辞めればいいと思っていた。政治家としてというより、人として」
しかしこれは単に松本龍氏だけの問題ではないのではないか。中央の政治家、官僚たちと現地の被災者たちとの埋めがたい乖離を象徴しているような気がしてならないのだ。
今回のドタバタ劇を見ながら、私は飯舘村で目撃した、現地の実情を知らない中央の政策によって振り回される被災者たちの姿を思い出していた。村の酪農家たちは、乳牛や生産される牛乳の処置に関して、農水省と厚生労働省とのちぐはぐで、遅々とした対応に翻弄され、そのツケを負わされて、“家族の一員”のような牛を、身を切る思いで屠殺場に送らざるを得なかった。その現場でカメラを回しながら考えた。政争に明け暮れる中央の政治家たちは、口では「被災者の1日も早い救済」を叫びながらも、それを政争に利用しているに過ぎないのではないか、彼らは、実は被災者たちの“痛み”と“悲しみ”と“怒り”を何一つ実感していないのではないか、それを想像する感性を失っているのではないか、と。その中央の政治家や、それを背後で操り、現地の実情も熟知せず、遠く離れた「霞が関」で大所高所から政策を決めていく官僚たちへの疑問と不信感は、松本氏の言動によっていっそう強まり、容易には拭いきれそうにもないほど確かなものになっていった。松本龍氏の言動へのどうにも抑えがたい私の怒りと嫌悪感の根は、そこにあるのかもしれない。
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